恵俊彰 結成25年のホンジャマカへの思いを語る

2月9日(火)11時0分 NEWSポストセブン

恵俊彰が語るホンジャマカへの思い

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「仕事の合間には、僕、メシを食えないんですよ。食べると仕事のスイッチがオフになっちゃって」──情報番組『ひるおび!』(TBS系、月〜金11時〜)の生放送中の中休み、控え室に戻ってきた司会者の恵俊彰(51)は、他の出演者たちが用意された弁当をほおばる中、わずかにフルーツゼリーを食すだけにとどめた。恵は、こう明かす。


「空腹でいると繊細になれるんです。ちょっとした音とか、ゲストのわずかな変化にも気がつくことができる。司会者って、ボールを投げて回していく役じゃないですか。だから鈍感さは命取りになる。番組内で起きていることに気づかなかったり、コメントの準備ができてない人に話を振ったりしてしまうのがすごく嫌なんです」


 そんな細やかな神経で仕事に臨み続けてきたからだろう。恵の仕事ぶりは、ここ数年、各分野で高い評価を受けている。昨年末まで放映されていたドラマ『下町ロケット』(TBS系)では、敏腕弁護士の神谷を演じ、はまり役として話題を呼んだ。7年前にスタートした当初、2%そこそこだった『ひるおび!』の視聴率も、現在は同時間帯トップを維持している。今年1月18日には番組史上最高の10.6%を叩き出した(視聴率はビデオリサーチ調べ・関東地区)。


 いまや司会者や役者としてすっかり定着した恵だが、そもそもは石塚英彦との漫才コンビ「ホンジャマカ」で知られる芸人である。司会者や役者へ仕事を広げる芸人は少なくないが、恵は中でもひときわ華麗な活躍を見せる。


 恵は、1964年、鹿児島市の大島紬の工場の長男として生まれた。奄美大島で紬を織っていた祖父が「一旗揚げよう」と鹿児島に出てきて「恵大島紬織物」を立ち上げた。それを継いだ恵の父親が、染色職人や織り方など200人が働く工場を経営。まさに『下町ロケット』の世界そのものだった。


「規模こそドラマの佃製作所ほどは大きくなかったけど、雰囲気はまさにあの通りの町工場でしたね。親父は、京都の西陣には負けないぞと戦略的に経営をしていました。子供の頃、『大島紬で特許を取ったのは俺だけだ』と語していたのを覚えています」


 跡継ぎと目されていた長男は、鹿児島大学教育学部附属小学校、県立甲南高校と地元のエリート校に進むも大学受験に失敗。東京の駿台予備校に入学するが、すぐに進学の意欲は失せてしまう。


「大学受験はあくまでも上京のきっかけで、4年間自由に過ごせるモラトリアムぐらいに思っていたんですね。18年間桜島を見てきた田舎者が上京して三宅裕司さん主宰の『スーパー・エキセントリック・シアター』の舞台とかを見に行って、東京ではこんなに面白いことをやっているんだ、と一気に都会の色に染まっていったんです」


 お笑い好きの姉の影響もあって、恵は、次第にテレビに強く惹かれ始める。


「何よりテレビに出たい、一発逆転でスターになりたいと思うようになっていた。当時のテレビにはそんな夢を見られる力があったんです。時代はまさに漫才ブームで、『オールナイトフジ』や『オレたちひょうきん族』(いずれもフジテレビ系)というすごい番組があった。あそこに立てたら人生変わるな、と。とにかく“あの箱”の中に行きたいという一心でしたね」


 まず恵は、新聞配達をしながら憧れの俳優・西田敏行のいる青年座を訪ねたりと俳優の道を模索する。しかし、どの俳優養成所も受講料が必要であることがネックになった。


 そんな中、渡辺プロダクションが無料で参加できるお笑い養成所を開設したことを知り、恵はこれに飛びつく。ほどなく11人からなるコント集団「ホンジャマカ」を結成した。


「当時は下北沢の『鈴木荘』という家賃月3万円のアパートに住んでいました。結局、家賃を10か月も滞納して追い出されるんですが、その頃、いまの妻が支えてくれたんです。


 番組で必要なポロシャツを用意してもらったり、お弁当を買ってもらったり、2000円の小遣いをもらったり(笑い)。『ひょうきん予備校』(フジテレビ系)にレギュラーで出るようになって最初に手にしたギャラはたった2500円。とても暮らしていけなかったんです」


「ホンジャマカ」の名が世間に知られるようになるのは、石塚と2人のスタイルに落ち着き、勝ち抜きのお笑い番組に出始めてからだ。しかし、軽妙なコントは受けたものの、レギュラー番組『大石恵三』(フジテレビ系)が1993年に2クールで終了し、2人は曲がり角を迎えてしまう。


「僕らはレギュラーの椅子を早くも失ってしまった。石塚さんとは、30歳前後のこのタイミングで負けているというのは絶望的だよな、という話になった。コンビこそ解散はしないけど、個人にくる仕事はどんどん優先していこうと2人で決めたんです。それからは、テレビの中での居場所はどこなんだって、手漕ぎボートで探す日々でした」


 ピンでも動き始めた恵と石塚は、やがてそれぞれの居場所を得て、活躍し始める。しかし恵は、自らの原点であるコントも忘れていない。石塚との「ホンジャマカ」は結成から丸25年が過ぎた。


「解散したのかとファンからも聞かれるんですけど、発注がないからやってないだけで、発注があったらいつでもやるつもりです。まあ、石塚さんに確認していないから、何というかわからないけど(笑い)。でも、3日間だけ時間をいただければ、何十本もコントを作れると思います。ピンでいろんな経験をしてきた2人がいまやれば、面白くなるんじゃないか、とも思うんです」


 恵俊彰は、テレビの中になおも新たな可能性を見いだそうとしている。


「インターネットの時代ですが、僕はテレビはまだまだやれると思っています。50代になったからできることも自分にはあると思う。僕にとって、自分の評価は、やっぱりテレビという箱の中だけにしかないんです」


◆めぐみ・としあき/1964年、鹿児島県生まれ。1988年に11人で「ホンジャマカ」を結成し、その後、石塚英彦とお笑いコンビに。昼の情報番組『ひるおび!』(TBS系)や『MUSIC FAIR』(フジテレビ系)にレギュラー出演し、タレント、司会、俳優と幅広く活動中。


■取材・文/一志治夫 撮影/中庭愉生


※週刊ポスト2016年2月19日号

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