PL教団 野球部廃部、信者の実数は数万人程度に減少か

2月12日(日)7時0分 NEWSポストセブン

絶大な人気を誇った野球部も昨夏に廃部

写真を拡大

 昨年、かつて甲子園の常連校だったPL学園野球部が休部(実質上の廃部)に追い込まれた。母体のパーフェクト リバティー(PL)教団が、目に見える形で活動規模を縮小し続ける背景には何があるのか。ノンフィクションライターの柳川悠二氏がレポートする。


 * * *

 PLの2代教祖・御木徳近(みきとくちか)が鬼籍に入ったのは、1983年2月2日である。


 彼の葬儀で流されたメモリアルビデオでは福田赳夫や若き日の森喜朗石原慎太郎といった政治家との交流が描かれ、さらには長嶋茂雄王貞治など、一流の野球人と談笑する姿も写っている。


「人生は芸術である」


 その言葉をPL処世訓の第一条に掲げた徳近は、信者にスポーツや芸術活動に励むことを推奨したが、彼自身がもっとも愛したのが野球だった。1955年に創立したPL学園に野球部を作るように命じ、甲子園で人文字を描くことで教団名を喧伝しようとした。


 葬儀の2か月後、PL学園に入学してきたのが、KKコンビ(桑田真澄、清原和博)だった。KKは5季連続甲子園に出場し、2度の全国制覇を遂げて、野球部は黄金期を迎える。その頃、教団の信者数も公称265万人に達し、新宗教の一大勢力となっていった。


 25歳という若さで3代教祖を継承したのは、徳近の養子である御木貴日止(たかひと)だが、先代とは対照的な人物といえた。82歳で亡くなるまで、強烈な個性で信者に世界平和と幸福な人生を説き続けた徳近のあとを受けたのだから、無理もない。内気な性格で、徳近のようなカリスマ性を発揮できない。継承後、信者数は減少の一途をたどった。


 継承と同時期、彼は美智代夫人と結婚している。その結婚に対して教団内で強い反発があったことも、信者の不信を招く結果となったといわれる。


 そして結婚24年目の2007年に、教団を大きく揺るがす事態が起こった。3代教祖が脳の疾患である硬膜下出血で倒れたのだ。その後も体調はすぐれず、最近では車椅子での生活を余儀なくされている。一方で夫人の姿が教団行事で頻繁に確認されるようになっていく。


 2000年代に入ってから教団は、教会の統廃合を進め、かつて400以上あった教会は、いまやおよそ半数にまで減っている。財政状況は良好とはいえず、教団運営をスリム化するのも致し方ないことだろう。しかし、全国の教会はその土地の信者の寄付で建てられたものだ。一方的な統廃合の決定に、教会を第二の“我が家”のように思う信者の不満は募るばかりである。


 信者の実数を知る立場にあった元教団教師(布教師)が証言する。


「公称265万人の頃でも、実数は約90万人。現在は公称90万人ですが、機関紙である『芸生新聞』の発行部数から考えれば、数万人程度ではないでしょうか」


 信者がここまで激減すれば2世、3世が通うPL学園の生徒数も大きく減った。


 かつては3学年で1000人の学生が共同生活を送っていたPL学園高校への入学試験は定員を大きく割り(2015年度の理文選修コースの競争倍率は0.23倍だった)、現在の1年生は2クラスしかない。


 そして、春と夏の甲子園を通算7度制し、高校野球ファンの間で絶大な人気を誇った野球部も、昨年夏に廃部となった。


 毎年8月1日にはPL花火大会(教祖祭PL花火芸術)が開催される。かつては12万発を打ち上げ、大阪府富田林市に50万人を集めたという真夏の風物詩も、現在では40分程度で打ち止めである。かつての華やかさを知る者にとっては寂しい限りだ。(文中敬称略)


【PROFILE】やながわ・ゆうじ/1976年宮崎県生まれ。週刊誌、スポーツ雑誌を中心に、幅広いテーマで執筆。2016年、PL学園野球部の終焉を描いたルポルタージュ『永遠のPL学園 六〇年目のゲームセット』で小学館ノンフィクション大賞を受賞。


※SAPIO2017年3月号

NEWSポストセブン

「野球部」をもっと詳しく

「野球部」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ