萩本欽一「おヒョイさんは僕が一番尊敬する芸能人」

2月12日(日)16時0分 NEWSポストセブン

 1月25日、「おヒョイさん」の愛称で親しまれた俳優・藤村俊二さんが心不全のため死去した。藤村さんは振付師として活動したのち、ドラマやバラエティーなどで俳優やタレントして幅広く活躍。体調不良で、2015年10月に担当していた『ぶらり途中下車の旅』(日本テレビ系)のナレーションを降り、療養生活を送っていた。


 交友関係の広い藤村さんは、同じ昭和9年(1934年)生まれの長門裕之さん、愛川欽也さん、大橋巨泉さん、坂上二郎さんらとともに、「昭和九年会」を結成。藤村さんの経営する南青山のワインバー「O’hyoi’s」(おひょいず)で例会が開かれていた。


 昨年7月に大橋巨泉さんが急性呼吸不全で亡くなった際には、「また一人、大切な仲間が天国に行ってしまって寂しい限りです」と、仲間の死を悼んでいる。


 その藤村さんを「僕が一番尊敬する芸能人です」と公言しているのが、萩本欽一(75才)だ。二人は1975年にクイズバラエティー番組『ぴったし カン・カン』(TBS系)の共演で出会い、40年以上の付き合いがあったという。


 自らの交友録を書いた『運が開ける【欽言録】』(徳間書店)で、藤村さんについてこう語っている。


《最初に会った頃、おヒョイさんは、ふわふわとした軽い感じで、口癖は「ぼくちゃん、お仕事、嫌い」、「ぼくちゃん、考える事、ダメ。一生懸命やる事、もっとダメ」でした。


(中略)


 ところが、80年に『欽ちゃんのちゃーんと考えてみてね!!』(日本テレビ系)という番組を一緒にやり、おヒョイさんを見直してしまいました。


 長〜いセリフが多いんです。それなのにおヒョイさんは全然間違えずに、ビシッとやります。

「ぼくちゃん、ダメ」と言いながら、セリフを間違えたら本当にダメな人ですが、おヒョイさん、「ぼくちゃん、ダメ」って言いながら、全然NGを出さないんです。》(萩本欽一『運が開ける【欽言録】』より)


 1980年に萩本が一緒にニューヨークに行った時は、日本では全く英語を使わない藤村さんが英語をペラペラ話したことに驚いたという。ホテルのチェックインから土産店の場所までガイドしてくれ、ブロードウェーの舞台では「これはこういうお芝居なの」と全部、説明してくれたそうだ。


 それでも日本に帰ると、「僕は英語なんて知りません」という顔で、相変わらず、ひょうひょうとしていたという藤村さんは、実はエリートだった。


 芸能関係者が語る。



「お父さんは『有楽町スバル座』などを運営する『スバル興業』の社長です。高校までは名門の暁星学園で学び、早稲田大学に進んでいます。ヨーロッパへの留学経験もありますし、“フランス語やイタリア語もペラペラなのでは?”という噂もありましたね」(芸能関係者)


 エリートで多才。萩本が著書で語ったところによると、そんな藤村さんの性格を一番表しているのは、「車を運転してきたのに、お酒をすすめられると絶対に断らないこと」だという。


《おヒョイさんは、飲むと車を置いたまま、タクシーで帰るんです。

 そして、次の日、自分の車を取りに来ます。

 別におヒョイさんは酒好きではないですし、次の日に車を取りに来るのも面倒ですから、お酒をすすめられたら「いいえ、今日は車を運転してますから」と断ればいいんです。でも、断らない。


「相手がすすめてくれてるのにさ、断ると座がシラけるし、悪いじゃない」と、おヒョイさん。

「ぼくちゃんがさ、次の日、早く起きて、車を取りに戻ってくればいいんだからさ」って笑っています。》(萩本欽一『運が開ける【欽言録】』より)


 前出の芸能関係者も、藤村さんの気遣いをこう語る。


「おヒョイさんの経営するワインバー『O’hyoi’s』ではサービス料を一切取りませんでした。なんでか尋ねると“お客さんにサービスするのは当たり前だから”と笑顔で答えていましたね。おヒョイさんらしいなぁと思いました」


 久しぶりにテレビ局で会い、萩本が「おヒョイさん、また別の番組を一緒にやりましょう」と言うと、「お仕事じゃなくていいじゃないの。遊びを一緒にやろうよ。だってさ、ぼくちゃん、お仕事、嫌いだから」と語っていたという藤村さん。


 天国でも、ひょうひょうと粋に過ごしていることだろう。

NEWSポストセブン

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