デヴィ夫人、参院選に立候補!「12(ワンニャン)平和党」代表に「お墓も自らデザイン、愛犬の名前も刻んで。娘と孫のため財産整理の真っ最中」
2025年2月13日(木)12時30分 婦人公論.jp
「数年前にテレビ番組の企画で、希望通りの葬儀をしたんですけど、なかなかおもしろい体験でした。こんなに準備しているのに、本番を見られないのが残念ね」(撮影=宮崎貢司)
2025年2月12日、タレントのデヴィ夫人(85)が、今夏に行われる参院選に比例代表で立候補すると表明、自身が代表に就任する新党「12(ワンニャン)平和党」の設立記者会見に出席。記者からの質問に対し、現在のインドネシア国籍から日本国籍へと変更する手続きを進めており、申請が受理された時点で出馬すると語った。新党は日本初の犬猫の保護に特化した国政政党を目指すそうで、ワンイシューとSNS、知名度での闘いが注目される。デヴィ夫人が終活や愛犬について語った『婦人公論』2022年10月号の記事を再配信します。
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パワフルに世界を飛び回るデヴィ夫人が82歳の今、気がかりなのは、集めた膨大な数の芸術品のゆくえ。自分の亡き後、娘や孫に迷惑をかけないために準備を始めていると言います(構成:平林理恵 撮影:宮崎貢司)
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棺を担ぐのは、燕尾服の美男子たち
私は、人生は自分で切り拓くものと考え、努力を重ねてまいりました。その結果、完全な独立と自由を得て、生きたいように生きることができましたけれど、残念ながら「死」だけはコントロールできないのよね。
人は思ったようには死ねない。そこに人生の悲哀を感じますが、だからこそ終活すること、備えておくことが大切です。あとに残された人が困ったり迷ったりしないようにしておくことは礼儀でもあるし、生きてきたことへの責任でもありますから。ですので、お墓もお葬式もここ数年、着々と準備を進めています。
永遠の眠りにつく場所や人生最後のセレモニーは、やっぱり自分でデザインしたいじゃない? 私のお葬式は、葬儀場ではなく教会で行い、会場には大好きなラヴェルの「ボレロ」を流します。
白いドレスを身にまとった私が眠る棺を担ぐのは、燕尾服の美男子6名! 祭壇のお花は白と緑を中心にピンクや紫を少しだけ加えたイングリッシュガーデン風に。日本式にピシッとまとめるのではなく、自然に咲いているようなアレンジにできたらいい。
数年前にテレビ番組の企画で、希望通りの葬儀をしたんですけど、なかなかおもしろい体験でした。生前にリハーサルをすれば、本人確認のうえで、より理想に近づけられます。こんなに準備しているのに、本番を見られないのが残念ね。
夫人が自らデザインしたお墓。奥のお墓に両親と弟、自分が入り、右手に歴代の愛犬たちが眠る
お墓は、私と両親と弟、それからともに暮らしたワンちゃんたちが一緒に入れる場所をずいぶん前に確保しています。デザインもあちこちの墓地を見て、ほぼ固まってきました。中央奥の墓石には「愛」という字。右手にはワンちゃんたちのお骨を入れる場所があります。その上の本のような彫刻には、歴代の子たちの名前を刻む予定です。
さらに、私とワンちゃんたちの写真をレリーフ彫刻した墓石も建てて。そういう彫刻が上手な方が中国にいらっしゃるの。彫刻のもとになる写真はもう撮ってあるんですけど、みんながカメラの方向を向いてくれなくて、ホント大騒動でした。なにせ今も、17匹おりますから。
すでに亡くなったワンちゃんのお骨はすべて残してあります。今いる子たちはなるべく私が看取り、最後に私がこのお墓に入れればいいですね。
日当たりがとっても良くて、自分が永久に休めるところはここだな、と思える場所なの。そんな居場所のイメージを持って終活するのは、案外良いものじゃないかと思いますよ。
ただなんの不満もないわけではありません。たとえば岡本太郎さんのお墓は、一目見ただけで岡本太郎さんそのもの。墓石に短歌を刻んだ与謝野晶子夫妻もそう。だから私は、小さいパレスを建て、ロマンティックなものにしたかったのです。でも、墓地のご住職に突飛なものにしないでほしい、と言われてしまって。墓地全体の雰囲気もあるでしょうから、現在のデザインに妥協しました。
場所もデザインも決まっていますけど、まだ手をつけていません。というのも、お知り合いの方が数人、自身で作ったお墓が完成した途端、亡くなっているの。安心してポックリ逝っちゃうのかしらね(笑)。私はまだしたいことがあるので、計画段階で止めています。
夫のスカルノ大統領は生前、トルストイのお墓に感銘を受けていたんですよ。広大な森の中央にある大きな木の下に、緑の草に覆われた小さな盛り土があるだけの、シンプルなお墓。自分のお墓は、木の下に自然の石を置いて「ここにブンカルノ(我が兄弟スカルノ)眠る」と刻んでくれ、と頼まれました。結局それは叶わず、ジャワスタイルのお墓になってしまいましたけれど。
好きなものを集めてそばに置くのが幸せ
このように、お墓やお葬式の準備が順調なのに比べて、思うように進まないのがモノの始末、財産の管理です。
とにかくモノがありすぎて、私が死んだらみんなが困ることになるのは確実よ(笑)。ニューヨークと東京を合わせてお家が3つ。買い集めた絵画や古美術品、ジュエリーなどがお家にも入りきらないため、ほかにも倉庫をいくつか借りています。
モノが多い大きな理由のひとつは、私が小学生の頃からの思い出の品々を捨てずに取ってあるからなの。幼い頃からおぼろげながら、私はいつか有名人になると思っていました。世界に羽ばたいて、歴史上かつてない存在として名を残す。そんな願望とも確信ともつかない気持ちを抱え続けていたのです。
きっと将来必要になるから、私の人となりや幼い頃の姿を示すものは保存しておくべきだと、小学校時代の成績表から描いた絵、65年前の草月流のお免状、手紙、お洋服まで……残せるものはすべて取ってあります。
2020年に80歳を記念して開催した「傘寿記念 デヴィ・スカルノ展 わたくしが歩んだ80年」で、一部を皆さんに見ていただくことができましたが、さてこれから先も持ち続けるべきなのか。手放すことに迷いもあり、時間がないしで、片づけに手をつけられずにいます。
もうひとつ、モノが増えてしまうさらに大きな理由は、私は好きなものを集めてそばに置き、眺めて暮らすことに何よりも幸せを感じてしまう人間であるということ。一点一点、出合った時の思い出もあれば、ともに過ごした愛着もある。
ずいぶん前に、高峰秀子さんが雑誌のインタビューで、フランスで買い集められた絵をバーッと並べた写真の前で「全部売ります」とおっしゃっていたんです。ご自分が心奪われてともに暮らしてきたモノたちを手放すってどんな気持ちなのかしら、と想像して胸が痛みました。
ああ、でも、そんなことも言っていられない。私も整理を始めなくてはいけない時期がもうとっくに来ているのですね。
「私はお金は生かすためにあると考えます。一生懸命働いて得たお金を、自分の人生を快適にするために使う、これが生かすということ。貯め込んだって、お墓には持っていけません」
宝石とは無縁の生活をしている娘に
5年ほど前から、いろいろな銀行の方がわざわざいらして「夫人、どうなさいますか」ってプレッシャーをかけてくるのですよ。周りの方に聞くと、財産を持つおひとりさまの方に働きかけているんですって。
私に身寄りがなかったら、まるごと整理をお願いして、寄付先などを考える必要があったかもしれません。でも、私には娘のカリナも孫のキランもいるので、娘が困らないような遺し方ができればいいと考えています。
娘一家はロンドン在住。日本に住みたいという気持ちがあるなら、東京のお家も生かすことができますが、娘も孫もヨーロッパ育ちですからね。生活範囲がヨーロッパになる可能性のほうが高い。と考えると、日本にあるものはやはり売ることになるでしょうね。いずれにしても決めるのは彼女たちです。
私が当面できるのは、絵画や古美術品などのリストを作っておくことぐらい。契約社会のフランスだと、専門家に頼めば、すぐに所持品のリストアップをしてそれぞれの価値の査定もササッとしてくれます。でも日本では、自分で写真を撮って、リストを作る必要があるのです。手をつけ始めましたが、とにかく数が膨大なので……。
宝石は、全部カリナのところに行くことになるでしょう。でも、私の心配はね、彼女が宝石とはまったく無縁の生活をしていること。服装の趣味がまったく合わないの。とにかく私と比べられるのがいやで、私が美しいものを身につければ身につけるほど、あの娘は地味に地味になっていく。
大きい粒の真珠のネックレスは、アメリカでもヨーロッパでも社交界のパスポート。けれど、汗に弱くて、ちょっとでもお手入れを怠ろうものなら、すぐに美しい光沢が損なわれてしまう。宝石を譲る時は、あわせてお手入れ方法も丁寧に伝えないとならないでしょうね。
でも、ジュエリーにまったく関心がないというわけではなさそう。ある時、私のジュエリーボックスをチラリと見て、「これちょうだい」と言ってきたのが、大きなルビーにダイヤをあしらったブルガリのイヤリングと指輪のセット。見ただけで心華やぐジュエリーの魅力もわかっているのだな、と思いました。
人間の煩悩の数である108まで生きるつもり
私はお金は生かすためにあると考えます。一生懸命働いて得たお金を、自分の人生を快適にするために使う、これが生かすということ。貯め込んだって、お墓には持っていけません。
私は、才能があるのに経済的に恵まれない音楽家を支援するイブラ音楽財団の活動を、32年前から行っています。個人の慎ましやかな財団ですから、大がかりなことはできませんが、それでもイブラの活動で誰かが羽ばたいていけるよう、少しでも多くの人がクラシック音楽に親しんでもらえるよう続けていきたい。私がいなくなった後のことも考えて、若いスタッフを教育中です。次の代へ縁をつないでいく。これもまた私の「終活」のひとつ。
来月中に、個人的にウクライナに入り、両親を失った子どもたちのお見舞いに行く予定です。2年前にはミャンマーのロヒンギャ難民キャンプにも行きました。現地へ行ったところで、私にできることは多くないけれど、こうやってお金を生かすことが、何かを動かすかもしれない。子孫にお金を遺そうとするのも終活なら、社会でよりよく使おうとするのも終活なのですから。
人生100年時代と言いますが、私は人間の煩悩の数である108まで生きるつもりなの(笑)。ありがたいことに体が丈夫ということもあって、弱っていく自分は想像しにくい。まあ、それでも今の調子でピンシャンとして動けるのは、あと10年くらいでしょうね。
その間にしたいのは、娘や孫も含めて次の世代に、自分の経験を伝えていくこと。戦後の貧しさを経験した幼年時代、政変にあってフランスに亡命し、社交界デビューしたこと。こんな経験をした人は、ほかにはいらっしゃらないわよね。だから伝えられるうちに伝えておきたいのです。
そして、人生の最後の10年くらいは、娘や孫と一緒に住んで、のんびり暮らせたらいいなあ、と思うんですよ。