【インタビュー】工藤梨穂監督、“映画づくり”原点の地からの新たな挑戦『オーガスト・マイ・ヘヴン』
2025年2月14日(金)11時45分 シネマカフェ
『オーガスト・マイ・ヘヴン』工藤梨穂監督©️ Naoko Kumagai
本作は元々、2024年にスタートしたメディア配信プラットフォーム「Roadstead」のオリジナル作品。黒沢清監督の『Chime』と共に第74回ベルリン国際映画祭ベルリナーレ・スペシャル部門に正式招待され、Roadsteadでの先行配信を経ての劇場公開となる。
依頼人の家族や知人を演じる「代理出席屋」の女性が、行きつけの中華料理屋の店員の頼みで旧友に扮し、失踪したはずの男性と共に旅に出る。約40分の中にアイデアと奇妙な出会いによって紡がれるひと夏の時間が詰まったロードムービーだ。
映画について学び続けた地・京都に舞い戻り、新作を創り上げた工藤監督。Roadsteadとの協働や自身のクリエイティブについて、語っていただいた。
Roadsteadとの新たな企画と取り組み
——Roadsteadサイドからは、同世代のスタッフとともに制作をされてはどうか、と助言があったと伺いました。ロケ地にもその要素がありますが、改めて、Roadsteadの皆さんとの協働はいかがでしたか?
そうですね。私自身、学生時代に経験した映画づくりの充実は心に残っていたので、またいつかかつての仲間と再集合して作品を作ることができたらという思いは持っていました。それがこんなにも早く叶うとは思っていませんでしたが、そうしたアドバイスもいただいたので、今回はそのチャンスかもしれないと思い、学生の頃から交流のあったメンバーやこの企画を機に出会えた同世代の方々にも参加していただいて、非常に自由度の高い中で取り組ませてもらいました。
また、キャスティングについても縛りのようなものがなく、作り手の思いを第一に希望を汲んでくれるというのはこの企画の大きな特徴だと思います。なので、主要の人物については当て書きに近い状態で脚本を進めたりもできてイメージが湧きやすかったですね。
あと何より、オリジナル作品の可能性を信じてもらえたことが私は単純に嬉しかったです。
——『Chime』の黒沢清監督は「中編だと謎のまま投げっぱなしにしていても観客に怒られない」と語っていらっしゃいましたが、工藤監督は今回、約40分の中編を手掛けられてどのように感じられましたか? 工夫した点やメリットなど、教えていただけますと幸いです。
正直に打ち明けるととても難しかったです。ドラマとしての着地点は見つけたいと思っていたので、この尺の中でどの要素を削り、何を残していくか、また彼らのどんな時間を画面に捉えるべきかということにはかなり悩みました。旅を描いた短編や中編映画はどのように物語っていたっけ? と他作品のシーンの組み立てを振り返ったりもして。
そうして模索しながらも、今回工夫した点で言うとタイムカプセルの中から出てくるガラクタなどそういった小道具に象徴的な意味合いを持たせ、短い物語だけど映画としての奥行きを出せたらいいなと思っていました。
あとは、「何か映画を観たいけど今2時間観るのは体力や時間的にどうしても難しい」という時が誰しもあると思うんですが、そういう方にとって映画へのハードルが低いというか、手が伸びやすいのは尺の短さとしてメリットの一つだと思います。どうしても映画を観るというのは体力も使うので、日常の中で疲弊している人も楽しめるかもしれないというような、誰も取りこぼさないことが中編映画の可能性かなとも思います。
作品の“テーマ”への追求
——『オーファンズ・ブルース』『裸足で鳴らしてみせろ』『オーガスト・マイ・ヘヴン』には「記憶(が薄れる不安)」があるように感じています。ご自身が惹かれるテーマなのでしょうか。上記以外にも、映画制作において追究しているトピック等があれば教えて下さい。
私の祖母が実際にアルツハイマーを患っていたので、忘れてしまうことや忘れられてしまうことは勿論のこと、記憶が失われていくことで祖母の人柄が変わっていってしまう過程も目の当たりにしてきました。しかしそれでも、その人の中に残っていくものがあるのだと感じたことが私にとって「記憶」というテーマを特別にしたように思います。
それと同時に「嘘」や「偽装」といった要素や、様々な関係性の中だったり生きる中で生じる「矛盾」も人間を描く上でこれからも追求していきたいテーマです。
また、映画表現のテーマとして追求したいのは音や光、身体の運動などです。このような原始的な要素が映画をより豊かにすると信じていますし、それらを物語るドラマに用いて映画でしか表現できないような光景を目指したいと思っています。
——こちらも『裸足で鳴らしてみせろ』とも通じるかと思いますが——「3人」という構造での見せ方が絶妙です。本作では「なりすます」も重要な要素ですが、人物の関係性を構築するうえでどういった部分に特にこだわられていますか?
3人という構造についてはなぜか惹かれます。ただこれまでは、3人のうち1人は不在だったり、1人のために2人が奮闘するというように最終的には一対一の話になることが多かったのですが、今回は3という数をはっきりと意識して、3人の男女が特殊な関係性の中で関わり合う物語にしたいという思いがありました。
まず映画としての感情の最終地点や題材、主軸となる人物を固めてから人物相関図的なものを作成するのですが、その関係性においてそれぞれが抱く思いが交錯したりすれ違うことの複雑さを考えながら、ドラマにうねりをもたらせるよういつも試行錯誤しています。
『オーガスト・マイ・ヘヴン』の撮影については特に、1人を2人の間に挟むような構図だったり、サークル(形としての円)、3人の視線の交わりを意識して動線や立ち位置、座り位置などにこだわった記憶があります。
影響を受けた人と作品、今度の展望——
——工藤監督の感性に影響を与えた作品や作り手、近年琴線に触れた作品や作り手には、どういったもの/人がいるのでしょう。
近年ですと、川上未映子さんの「夏物語」をはじめとして「ヘヴン」や「黄色い家」には、かなりくらいました。それらの物語は苦しくもあるのですが、最後には生きることに背中を押してくれるような力強さがありますよね。また、どの登場人物も「ひとり」であることが印象的で、読み手に対して小説にしかできない寄り添い方をしてくれるような気がします。それが魅力的です。
映画作品では、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの『不安は魂を食いつくす』や『自由の暴力』などを劇場で観ることができて、彼の描く人間の非情さや愛に心を射抜かれました。
また、昨年は素晴らしい邦画作品との出会いが多かったように感じていて、特に森井勇佑監督の『ルート29』がとても好きでした。画面の切り取り方やショットの繋ぎ方に鳥肌が立つほど感銘を受けたのですが、何よりも寓話的要素も含めながらこんなにも心の奥深くに迫る作品が邦画として作られたということが嬉しくてたまらなかったです。
その他にも、空音央監督の『HAPPYEND』や山中瑶子監督の『ナミビアの砂漠』、川添彩監督の『とおぼえ』には本当に圧倒されました。素晴らしかったです。
——『オーガスト・マイ・ヘヴン』は第74回ベルリン国際映画祭でも上映されました。工藤監督の今後の映画制作における展望や野望、目標、或いは現状の課題に感じている点等々、将来に向けた想いを伺えますでしょうか。
これまでは作品に現代を意識するよりももっと根源的なことをテーマにしたいという思いがありましたが、世界的な映画祭に参加したこともきっかけの一つとして最近は考えが変化してきていて、今のこの世界を生きている人たちの励みになるような作品を目指すことができたらと思うことが多くなってきました。
それは、リアルタイムで起きている戦争や虐殺について自分自身が自分ごととして向き合う機会が増えたことが背景として大きかったと思います。
それと同時に性暴力や貧困、LGBTQや特定の人種に対するヘイトの動きなど日本に限らず世界中どこでも毎日のように起きている。私自身、精一杯の生活の中で挫けそうになることもありますが、いろんな状況の中でそれぞれ何かに耐えて暮らす人のことを考えながら、それでも生きていくことを信じられるようなものをいつか撮ることができたらいいなと今は思います。