《体操のひろみちお兄さん》こと佐藤弘道さんが夫婦で『徹子の部屋』に登場。脊髄梗塞の下半身麻痺から回復「『父ちゃんが生きてるならそれでいい』ポジティブな息子と妻の言葉に救われて」

2025年2月14日(金)11時0分 婦人公論.jp


佐藤弘道さんと妻の久美子さん(撮影:清水朝子)

2025年2月13日の『徹子の部屋』に、《ひろみちお兄さん》こと佐藤弘道さんと妻の久美子さんが登場。昨年6月の「脊髄梗塞」での緊急入院からリハビリの日々を語ります。今回は、絶望からの復帰と家族の支えについて語った、2025年1月20日の記事を再配信します。
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《体操のひろみちお兄さん》こと佐藤弘道さんが脊髄梗塞で緊急入院という報道が流れたのは2024年6月。下半身麻痺から奇跡的な回復を遂げ、2ヵ月という異例の早さで退院した。絶望からどのように立ち上がり、家族はいかに支えたのか。夫婦が心境を語った(構成=菊池亜希子 撮影=清水朝子)

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一度も泣かなかった妻と息子たちの思い


弘道 とても数ヵ月間の出来事とは思えないよね。

久美子 そうね。あなたが自分の足で歩けることがこんなに幸せだなんて、少し前は考えたこともなかった。

弘道 以前のようには歩けないけどね。排泄障害と両足のしびれも続いてる。便意は薬でコントロールできるようになったけど、おならは勝手に出ちゃうし。

久美子 下半身は温度感覚がないから、お風呂は必ず手で熱さを確認してから入るのよね。

弘道 そう。熱いとか痛いとかがわからない。足の指を変な方向に曲げられても痛くないから、骨折しても気づかないと思うよ。でも肌感覚は少しずつ戻ってきてる。最初は自分の足かどうかもわからなかったけど、今は6割ぐらい感じられるようになってきたね。

——弘道さんを突然襲った脊髄梗塞とは、脊髄にある血管が何らかの原因で詰まり、神経が機能しなくなる病。背骨の中にあり脳に繋がる神経の束が脊髄で、血管が詰まった位置によって麻痺の範囲も程度も違うため症状は十人十色だ。弘道さんの症状からすると、10番目の胸髄近辺で血管が詰まったと考えられる。

久美子 あの日(24年6月2日)の弘道さんは朝からリビングで転んだり、少し様子が変だったのよ。仕事で一緒に鳥取へ行く日で、羽田空港に着いたぐらいからひどく腰を痛がって。何とか飛行機には乗ったけど、機内で腰から下が完全に動かなくなってしまったのよね。

弘道 足の感覚がまったくなくなり、腰が強烈に痛くなって、まるで鉄板で下半身を締め上げられてるようだった。到着後、機内の通路には車椅子が入らず、腕の力だけで一番前の出口まで這っていったことは覚えてるよ。

久美子 そして、そのまま鳥取の病院に緊急搬送。その日は日曜日だったけれど、当直医が整形外科と脳神経外科の先生だったのが奇跡的な幸運だったよね。お二人の連携で「脊髄梗塞の疑い」と診断され、そのまま緊急入院できた。あのとき原因不明ということで帰らされていたら、今みたいに歩けるようにはなっていなかったかもしれない。

弘道 激痛の中、枕元のスマホで「脊髄梗塞」を調べたよ。「症例数は全脳卒中の1%」「治療法は確立されていない」「完治は困難」と出てきて愕然とした。下半身はまったく動かない。尿意も便意もないから尿道には尿管を入れられて、おむつの状態。

ずっとこのままかと思ったら、窓から飛び降りてしまいたかった。でも窓までの数歩も歩けなくて。

久美子 弘道さんはこれまでもケガの多い人生で、でもそのたびに奇跡的に回復してきたから、私は奇跡を起こすって信じていたよ。ただ、今回は飛行機に乗せちゃった私にも責任があるって、それもつらくて……。

弘道 そんなこと思ってたの?

久美子 わからなかったでしょ。

弘道 うん。久美子も息子たちも、あっけらかんとポジティブな言葉を次々に言ってきたからね。「退院したら何食べたい?」「今食べたいものランキングをLINEして」って。死にたいと思っている身としては困惑したよ。でも「父ちゃんが生きてるならそれでいい」という言葉には救われた。

久美子 鳥取では、面会時間が終わったら私一人で地元の居酒屋さんでおいしいものを食べて、翌日には「あそこのこれがおいしかったよ」って報告してたよね。私自身が元気でいなきゃと思ったし、退院したら一緒に食べに行こうと思って。息子たちも「父ちゃんが帰ってきたら一緒に食べよう」と、家族LINEにご馳走の写真や笑える動画ばかりアップしてたよね。(笑)

弘道 ふざけんなよ! と思いながら、いつの間にか「あ、それ食べたい」なんてね(笑)。食べたいものランキングも「寿司、焼き肉、ラーメン」と返信したよ。でもさ、一度ぐらい泣かなかったの?

久美子 息子たちと3人のときは、誰も泣かなかったわね。最初から「父ちゃんが生きてるならよかった!」だった。でも一人のときは……泣いてたかな。


「東京の病院で担当してくれた理学療法士さんが《ひろみちチルドレン》でね、そりゃ力も入る。(笑)」(弘道さん)

公表したからにはやるしかない


弘道 リハビリ開始は早いほうがいいと言われて入院4日目に始めたけど、正直、最初は「こんなことして効果あるの?」って感じで。

久美子 スイッチが入ったのは、入院した10日後に、闘病を公表したとき?

弘道 そう。公表したからには、もうやるしかない。「復帰に向けて頑張ります」なんて宣言しちゃったしね。でもリハビリはほんときつくて、一つクリアしたら次の課題へ進むんだけど、これが延々と続く。

久美子 足の指先をひたすら動かして、右足の感覚が先に少しずつ戻ってきたんだよね。そしたらすぐ右足の上げ下げ。そこから平行棒を使っての歩行練習が始まったんだっけ?

弘道 うん。でも平行棒の間に掴まり立ちさせてもらっても、足を前に出せないんだよ。最初は後ろから理学療法士さんに押し出されてたな。

久美子 リハビリを頑張るようになって元気も出てきたし、6月末に思い切って東京の病院に転院したのよね。気圧の関係で飛行機に乗れないから陸路で。尿道に管を入れたまま、車椅子での長時間移動は緊張したよね。

弘道 あれは大変だったけど、とにかく東京に戻れるのが嬉しかった。東京では少しずつ尿意が戻ってきて、尿管を外せたときは一段ステップアップした気がしたな。ぐっと動きやすくなってリハビリにも力が入ったよ。しかも東京の病院で担当してくれた理学療法士さんが「ひろみちチルドレン」でね、そりゃ力も入る。(笑)

久美子 カッコ悪いとこ見せたくないもんね。しばらくして、歩行器を病室に入れてくれたこともよかったんじゃない?

弘道 あれは嬉しかったなぁ。自由に歩けるのが嬉しくて、朝も夜も歩いてた。病室からナースセンターまでの廊下をずっと。

久美子 看護師長さんが「佐藤さんはずっとニコニコしながら歩いてますよ」と笑ってた。「終わったかなと思ったら、今度は逆回りが始まるんです」って。

——鳥取と東京で計6週間の入院中、弘道さんは体中を隈なく検査されていた。脊髄梗塞の原因となった血栓がどこにできたのか、その血栓が体のどこかに飛んで悪さをしていないかを調べるためだ。しかし、何度調べても、血栓はおろか、血栓の痕跡すら見つからなかった。

弘道 検査はほんとつらくて、思い出すのも嫌だよ。食道に超音波カメラを入れて、心臓を裏側から映し出す検査までしたんだから。

久美子 そこまでしても、何も見つからなかったのよね。脊髄梗塞は治療法がないから、血栓がなければあとはリハビリだけ。それで、リハビリ専門の病院に転院することになった。

<後編につづく>

婦人公論.jp

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