2つの会津小鉄会 山口組分裂「京都戦争」最前線ルポ

2月14日(火)16時0分 NEWSポストセブン

京都独立団体の内紛は前代未聞の事態に

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 2つの山口組による代理戦争と化した京都独立団体の内紛は、2人の新会長が「我こそ正統」と主張する前代未聞の事態となった。フリーライターの鈴木智彦氏がリポートする。


 * * *

 会津小鉄会の分裂劇は最悪の状況に陥った。2月7日、離脱派が参集し、会津小鉄会を絶縁になったはずの原田昇元若頭が自身の事務所で、「七代目会津小鉄会継承式」を開催したのだ。


 1月21日、すでに会津小鉄会は馬場美次六代目が総裁となり、金子利典会長に七代目を譲っている。離脱派は自分たちも「会津小鉄会」を名乗り、原田会長が七代目を継承したと主張。「本物はこちらで、向こうはパチモンや」とも主張する(以下、金子会長の会津小鉄会を「金子派」、原田会長の会津小鉄会を「原田派」とする)。


 これによって京都には同じ名前の会津小鉄会と2人の七代目会長が存在することとなった。暴力団の分裂は珍しくないが、離脱組は新団体を名乗るか、分派を明確にする名称を使うのがセオリーだった。山口組にしても分派した側は「神戸山口組」を名乗った。


「なにもかも同じというのはヤクザ社会で初めてのこと。どちらを後継団体と見ればいいかわからず困惑している」(警察関係者)


 これは明確な宣戦布告であり、先だって行なわれた金子七代目の完全否定と考えていい。原田派襲名式には40人近いマスコミが集まった。京都府警は130人以上の捜査員・機動隊を派遣し、事務所一帯を封鎖した。隣接地の住民さえ例外なくボディ・チェックを行なう厳戒態勢だった。


 なにしろ原田派襲名式は六代目山口組の全面バックアップを受け、山口組の幹部たちが大挙してやって来る。後見人は六代目山口組の出身母体、弘道会の竹内照明会長(山口組若頭補佐)で、取持人、媒酌人、見届人にもずらりと六代目山口組の直参組長が並ぶ。


 襲名式が終わり、山口組一行が帰路につくと、金子派の襲名式同様、私と実話誌のカメラマンは中に入ることができ、原田会長はじめ、幹部の撮影も許された。だが、仲介役になった他団体の幹部からは「特別に撮影させてやるのだから、こちらが正統と書くように。小さな扱いでは困る。写真も大きく掲載しろ」と注文された。交換条件なら飲めない。そのため本稿では写真の掲載を見送っている。


 会場ではあちこちで「こっちが本物と書いてくれ」と言われた。金子派に「そちらがパチモンと言われていますが?」と当てたところ、「マスコミを使ってあれこれ言うつもりはない。相手がそう言うのなら、そう言ってると書けばいい」との回答だった。


◆互いに殺し合わせる


 原田派が後発なのは事実だ。騒動の発端になったFAX——本部から原田会長が友誼団体に馬場六代目の名義で送った跡目継承の書状が、馬場六代目のあずかり知らぬものとして翌日に取り消された以上、現時点では原田派の「クーデター」としか表現できない。それにもかかわらず原田派はあまりに強気だ。なにか隠し球があるのでは、という疑念は消えない。


 原田派についた六代目山口組はなぜ露骨な内政干渉をしているのか? 自分たちが分裂した際は神戸山口組を「処分者の集まり」と非難したのに、今回は処分者の側に立ち、そちらを正当化する根拠はなにか?


 会津小鉄会に対する遺恨は根深いはずだ。


 馬場六代目の後見は六代目山口組の高山清司若頭だった。山口組の分裂直後、馬場六代目は山口組を訪問した。ところが馬場六代目は神戸山口組の支持に転じ、後見を返上した。六代目山口組側にすれば、「最初に我らの親分の顔をつぶしたのはそっちだ」となる。


 ある弘道会幹部は「後見を返すなんて認めない。それに我々は六代目(馬場会長)の後見をしているのではなく会津小鉄会(組織)の後見をしている」と言い放ったらしい。馬場六代目など関係ないということだ。


 1月10日、弘道会幹部が会津小鉄会の本部事務所に乗り込んできたことから事態は動いた。弘道会幹部は馬場六代目との密室会談の後、「馬場六代目は引退、原田若頭が七代目に決まりました。反対の方は手を上げて下さい」と高らかに宣言したと聞く。


「後見云々を認めるにしても、跡目というのは当代が決めるのか、後見が決めるのか。『次はこいつだ』っていう権利がなぜよその人間にありますの?」


 挙手した幹部たちはそう返答して立ち去った。その後、前述の通り原田七代目決定のFAXが友誼団体に送られ、翌日、神戸山口組幹部を連れて戻った馬場六代目派が、弘道会と反馬場派を追い出し、その乱闘騒ぎが六代目山口組対神戸山口組の代理戦争としてテレビで全国中継されたのだ。


 今回、七代目の襲名を公表した原田会長側にも、言い分はあるだろう。以前は原田会長が馬場六代目の跡目を継ぐことは既定路線で、金子会長を担いだ幹部も当時は「原田七代目」を推していた。原田会長は、馬場六代目が神戸側に転向することに対し、「絶縁者と付き合ってはいけない」と説得したという話もある。


 舌戦による大義論争は無意味である。こうなった以上、2つの会津小鉄会は、メンツに懸けてパチモンを消さなければならない。六代目側の報復は、原田派を勝たせるよりむしろ、京都の人間を引き返せない土壇場に追い込み、互いに殺し合わせることによって完成する。そうなれば警察は黙っていない。京都府警は記者クラブメディアのデスクたちに、「この機に両派関係なく会津小鉄会を壊滅する」と息巻いている。


『仁義なき戦い』は、戦後の広島暴力団社会で勃発した地元勢力による凄惨な抗争事件を描いた。が、長期にわたって血が流れたのは、山口組と本多会(解散)による代理戦争となったからだった。物語はその渦中にあった元ヤクザである美能幸三の「つまらん連中が上に立ったから、下の者が苦労し、流血を重ねたのである」という手記の末尾を引用して終わる。


●レポート/鈴木智彦(フリーライター)


※週刊ポスト2017年2月24日号

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