「意識高い系かよ」嵐ドキュメンタリーを冷やかし半分で見たら、松潤に持ってかれた話

2月15日(土)12時0分 文春オンライン

「クリエイター」などという浮ついた言葉は似合わない。ここにいるのはエンターテイメントの「実務者」である。あるいはアイデアがひらめき、それですべてを解決しようとする天才などには居場所がなく、ここにあるのは、地道と孤独、それにひたすら付き合い続ける胆力である。


 Netflixの『ARASHI’s Diary -Voyage-』最新話(第2話)は、そんなドキュメンタリーだ。


冷やかし半分に見始めたが心を持っていかれた


 筆者はこれを冷やかし半分に見始めたのだが、すっかり夢中になり、終いには稽古場を去る松本潤に「お疲れ様でした」とつぶやきたくなるくらい、トリコになってしまうのだった。


 昨年末に公開された第1話の自己紹介パートで松本潤が「嵐の5分の1です。今現在動いているプロジェクト全体のクリエイティブのディレクション、プロデュースというものをやっています」と自らの役割を述べたとき、浅はかにも「意識高い系の学生かよ」と思ったのだけれども、それがくつがえされていくのである。


「アイドル」の舞台裏、なんて生易しいものではない。エンターテイメントを作り上げるために、時間をかけるだけかけていく、思慮深い「実務者」の姿に心をもっていかれたのである。


 それは一体どんなものなのか。





第1話「二十年」は、嵐について、あるいは活動休止についての想いをメンバー各々が語っていく。短めのカットでつないでいくため、それぞれの懊悩はたいして見えてこない。ただ二宮和也だけが活動休止への想いが他と異なり、そこにメンバー間の葛藤の火種をみるくらいで、プロローグらしく、どうもこうもないものであった。



時間をかけることでしかたどりつけないところへ


 ところが1月に配信が開始された第2話「5×20」は、稽古場で20周年ツアーの演出を考え込む松本潤の疲労感が漂う密室劇と、ときが来るのを待ち続け、来たらば曲に合わせてメンバー5人で踊りだす群像劇がおなじ空間で展開されていき、とても面白い。


 それはアバンタイトル終わりに挿入される「さかのぼること ツアー開始 72日前」のテロップから始まる。以降、カメラは基本、稽古場を出ることはなく、映像にナレーションがつくこともない。


 窓もない屋内でスタッフと議論したり、ひとり考え込んだりする松本潤と、傍らで出前のラーメンなどを食べたりしながら、来る日も来る日もそれにつきあう他のメンバーたち。この閉塞感が、なかなか物事が決まらずに、ただ時が過ぎ、日が過ぎていくことの気怠さを感じさせ、見る者をその空気感に巻き込んでいく。





 会議中に考え込む。書店にならぶビジネス書の会議術では否定されるやり方だろう。事前にアジェンダを準備して、決定すべき事項が決めてあり、会議が始まれば合意形成をしながら、意思決定やネクストアクションを決めていく。そうしたスマートな議事進行が生産性の高くて、いい会議だとされる。ここでの松本潤の姿はそれと真逆である。


 そんな松本潤は稽古場を後にする際、「(今日は)11時間くらいですかね。ちょこっとずつですよ」とハニかむ。この作品の名場面だ。このエンターテイメントという正解のない世界には、会議術も効率も生産性もそうしたものとは関係なしに、ひとりの人間の際限のない思索によってのみ到達できる地点にだけ結論がある。時間をかけることでしかたどりつけないところに松本潤は「ちょこっとずつ」向かっていく。


 あるいはその直前に、こんな場面がある。レーザー光線を用いる舞台演出を提案された松本潤は、「(それによって)リーダーの踊りがきれいに見えるの?」と問いかける。するとスタッフはここでは踊らないと答えるので、「なにやんの?」「レーザーの機能紹介のための時間になるじゃん」「大野智のダンスセクションじゃなくなる」と畳み掛けるようにして言葉をならべ、それを否定する。



櫻井翔が語るライブへの想い


 スタッフの側にたてば、面倒くさいことを言い出したようにも思える。これではいつまで経ってもなにも進まないではないかと。一方で第1話のある場面を思い出しもする。


 それは櫻井翔が語るライブへの想いだ。「(ファンが)どれくらいの想いでその席に来ることが出来たのか、どんだけ化粧して、どんだけオメカシして、どの服着て、いつから楽しみにしてその日迎えて、そういうひとたちの想いを死守しなきゃって」と述べるのだった。



©iStock.com


 嵐のメンバーのファンへの想い、松本潤はそれを表現するためにひとり考え続けながら「ディレクション」をし、それを守るために「プロデュースというもの」をやっている。なおプロデューサーとは、見たくないものを見て、聞きたくないことを聞き、言いたくないことを言うのが職責である。


 第2話は、こうした松本潤の「ちょこっとずつ」の日々で進んでいき、尺のほぼ中程にいたると一転する。大野智のダンスショットを挟んで、5人がついに踊りはじめるのだ。「みんなで動き始めたら、急に動き出した感じだね」と松本潤は笑う。それは作中で初めて声に出して笑う場面であった。そんなふうにしてひとつのパートが出来上がっていくと、またひとりに戻った松本潤は「進んだんだか、進んでないんだか」といって稽古場を去って終わる。


 ここに見るのは、出来上がった人間関係だ。





 たとえば衣裳打ち合わせの場面で、櫻井翔は「餅は餅屋」といってその輪に入っていかずにラーメンを食べ続ける。アイドル同士が議論したり泣いたり励まし合ったりの葛藤や友情の物語などここにはない。ディレクションするのが松本潤の役割であり、その場に立ち会い続けるのが他のメンバーの役割である。そうやって「仕事」しているのだ。


 また稽古場では、スタッフはスタッフで各々の仕事をしていて、松本潤が「お疲れ様でした」と言ってそこを去る際、立ち上がって挨拶したり見送ったりする者は見られなかった。演者は特別なものだが、過剰な気遣いはしないのだろう。


 その点において、松本潤はもとより、相葉雅紀、二宮和也、大野智、櫻井翔もエンターテイメントの実務者である。そして、嵐は「アイドル」に違いないが、舞台裏においてはなにかを作り上げていく面倒くささと向き合うひとの営みがあって、それも嵐なのだなと、そんな思いにいたる作品であった。



(urbansea)

文春オンライン

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