天才テリー伊藤対談「港カヲル(皆川猿時)」(3)22歳の時はバイトの記憶しかなくて

2月16日(木)12時57分 アサ芸プラス

テリー せっかくですから役者・皆川猿時さんのお話も聞きたいんですが。福島から出てきて、最初は「東京乾電池」に入ったんですね。

港 はい、研究生として1年間所属しました。

テリー 上京した時にはもう役者を目指していた?

港 そうなんです。当時、おニャン子クラブの渡辺美奈代ちゃんが大好きで。彼女に会いたくて「芸能界に入ろう」と。

テリー いいですね、動機が不純で(笑)。でも、美奈代ちゃんと乾電池だと、かなりの距離感があるじゃないですか。

港 当時は今みたいに情報もネットもなかったので、高校の図書館で「役者になるには」っていう本を読んだんですよ。そこにいろいろな劇団の連絡先が載っていて、唯一知っていたのが「東京乾電池」だったんです。僕はテリーさんが演出されていた「(天才・たけしの)元気が出るテレビ!!」世代ですから、「あっ、高田純次さんだ、知ってる知ってる!」と思って手紙を出したら、オーディションの通知が来まして。

テリー 何で1年でやめちゃったの?

港 やめたんじゃなくて、研究生の中から選抜された人だけしか残れないんですよ。だから、そこが最初の挫折でしたね。

テリー なるほど。で、どうするんですか?

港 同じく残れなかった友達と2人で、劇団みたいなものを立ち上げました。でも、大人計画に入るまでの5年間で、公演を打ったのは3回ぐらいですね。知り合いの役者を呼んで5人ぐらいで、すごく小規模な公演でしたし。

テリー それは経済的にも大変だよね?

港 公演を打つごとに借金しちゃうことになるので、ずっとバイトしていて、お金がたまったら「そろそろやろうか」って。だから僕、公演のなかった22歳の時はバイトしていた記憶しかないんですよ。だから「22歳の別れ」って曲がありますけど、あれにはまったく共感できないです(笑)。

テリー ハハハハ、恋愛や青春がなかったってこと?

港 まったくないですよ。

テリー そこから、どうして大人計画に? 今でこそ大人気の劇団ですけど、当時は今ほどメジャーではなかったですよね?

港 18歳ぐらいの時に「ゲームの達人」っていう大人計画の芝居を観たんですが、それがすごくおもしろくて、一観客としてずっと観ていたんです。で、自分の劇団が「もう続けていくのは無理だな」という感じになったタイミングで、ちょうど大人計画のオーディションがあったんです。

テリー それに合格したんだ。ここで人生、大きく変わりましたよね。それがなかったら、この年で大舞台で歌を歌ってることもないだろうし(笑)。

港 本当ですね、大人計画に入っていなかったら、今頃何をしてたのか。

テリー 主宰の松尾スズキさんは、お会いしたことはないんですけど、どんな方なんですか?

港 今は温厚ですけど、昔はすごく怖かったですね。演出も「横にぶっ倒れてみろ」とか「パイプ椅子のすき間に飛び込んでみろ」とかムチャなことばっかりさせられて。

テリー でも、そういうのは得意そうですよね?

港 そうなんです。ムチャなことって「やれ」って言われて初めてやるもので、なかなか自分からはできないじゃないですか。だから、すごく楽しかったですね。

テリー へぇ、それは演出する側からすると、すごくいい人材なんですよ。そこを松尾さんは見逃さなかったんだね。

アサ芸プラス

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