脊髄梗塞のひろみちお兄さん、熊本城マラソン完歩。夫婦対談「治療法もない完治もないけれど、ここまでできるようになるんだと、同じ病気の人を勇気づけられるように」
2025年2月16日(日)20時30分 婦人公論.jp
佐藤弘道さんと妻の久美子さん(撮影:清水朝子)
2025年2月16日、脊髄梗塞で下半身麻痺となっていた体操のひろみちお兄さんが、熊本市で開催された熊本城マラソン(熊本市など主催)のファンラン(約3・5キロ)に参加し、完歩した。『婦人公論』2025年1月号の夫婦対談を再配信します。
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《体操のひろみちお兄さん》こと佐藤弘道さんが脊髄梗塞で緊急入院という報道が流れたのは2024年6月。下半身麻痺から奇跡的な回復を遂げ、2ヵ月という異例の早さで退院した。絶望からどのように立ち上がり、家族はいかに支えたのか。夫婦が心境を語った(構成=菊池亜希子 撮影=清水朝子)
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<前編よりつづく>
暮らしは不便なほうがいい!?
弘道 そのころには肘で固定する1本杖で何とか歩けるようになっていて、リハビリ病院には杖と自分の足で行った。そしたら出迎えてくれた理学療法士さんが「その杖、貸してください」って取り上げて、「今日からは杖なしでいきましょう」って。
久美子 あれは驚いたよね。あなたは不安そうだったけど、私も息子たちも喜んだのよ。
弘道 理学療法士さんは毎回、ニコニコしながら課題を与えてくれるんだけど、これがいちいちピンポイントで痛いとこを突いてくる。僕は背骨下部の太い神経をやられていたから、平衡感覚がなかったんだよね。目をつぶって立つとか、片膝立ちができなかった。できない動きを片っ端から一つずつ、できるまで続けたよ。
久美子 1日に3時間は理学療法士さんとみっちりリハビリが組まれてたのに、それ以外にも一人で何かしらしてたよね。
弘道 自主トレ大好き(笑)。院内のトレッドミルを借りたし、病室のフロアにあったエアロバイクも、毎日漕いでた。
久美子 リハビリ病院では、私も本当に勉強させてもらったの。退院に備えて、自宅に手すりをつけたり、段差をなくすことを考えていたけれど、すべて理学療法士さんにダメ出しされた。「不便なことがリハビリなんです。甘やかしたらダメ」って。目から鱗だったわ。私たち家族はリハビリ病院でしっかりリハビリを続けるのがいいと思ってたけど、弘道さんは違ったのよね。
弘道 僕は1日も早く家に帰りたかったよ。リハビリ病院では、できることとできないことを細かくチェックして点数化されたんだけど、入院時、僕は点数が低かった。そこから一つずつ潰していったね。
久美子 3週間後にはほぼ満点にして、退院許可が出ちゃった。このときばかりは息子たちが「せっかくいい環境でリハビリしてるんだから、まだ退院しないほうがいい」と苦言を呈した。
弘道 嫌だよ、帰りたいもん。排泄障害と下半身の麻痺、しびれは残っていたけど、最低限の生活はできるようになったんだから。結局リハビリ病院も3週間で退院して、晴れて8月半ばに自宅に帰れたんだ。
久美子 今は私が体操教室をしているから、家のことは何でも弘道さんがやってるね。甘やかしちゃダメ。全部リハビリ。(笑)
弘道 昨日はリビングの床を全部、拭いたしね。(ドヤ顔)
久美子 そうそう、拭いてくれてた。感謝してます。(笑)
弘道 僕こそ倒れてからずっと支えてくれて、感謝してます。
久美子 さほどサポートはしていないけどね。
弘道 どんなときも家族がずっと前向きでいてくれたことが何よりのサポートだったよ。一緒に落ち込まれていたら、たぶん僕は、先が見えなくなってた。
久美子 私たちは最初から「父ちゃんが生きてるならそれでいい」だったからね。今日の「おいしい」は? 今日の「面白い」は? って、3人で毎日話し合ってた。それはそれで楽しいことを探すのに必死だったのよ。それが私たち家族の在り方だって、みんながどこかで思ってたんじゃないかな。
リハビリ中の弘道さん。今もトレーニングは欠かせない(写真提供◎佐藤さん)
繊細と大雑把の二人がうまくいく極意とは?
弘道 僕たち夫婦は仕事でも一緒だから喧嘩もたくさんしてきたけど、原因はすべて仕事のことだね。お互いをなじるような喧嘩はしたことないよね。
久美子 そうね。以前、息子たちが「父ちゃんと母ちゃんはよく言い合ってるけど、いつも会社のことだよな」って言ってた。確かに個人的な喧嘩はないかも。私は大雑把だけど、弘道さんは繊細よね。何か我慢してる?
弘道 そりゃ、してますよ(笑)。僕は昔から意外と考えちゃうほうだけど、久美子はとにかくポジティブで明るい。そこに惹かれて結婚したんだけどね。
久美子 大学の体操部で知り合った当時、弘道さんは体操部なのにサーフィンだゴルフだって一年中、日焼けして真っ黒で。チャラい人だと思ってた。
3年生のとき一緒に部の役員をしたことで、意外にも綺麗な字を書いたり、汗で濡れたジャージまで丁寧に畳んだり、そんな見た目とのギャップに惚れちゃった。プロポーズもされてないのに結婚式場を予約したのも私。(笑)
「ハイタッチって、その一瞬、確かに繋がるものがあるのよ。息子たちは小さいころからそれが当たり前だから、恥ずかしいなんて思ってないでしょ」(久美子さん)
弘道 僕は細かいから、「何で汚れているのに拭かないんだろう」とか思っちゃう。でも、そう思うなら自分が拭けばラクだってわかったら、平気になった。
久美子 昭和男子だよね。昭和のお父さんってすぐキレて怒鳴る人も多いけど、本当の昭和男子は器が大きい。妻がしていることに文句があってもだいたいは受け流して、大事なことはバシッと言う、みたいな。
弘道 僕たち二人とも体育会系で動くことが好きだから、お互いにストレスを感じたときはゴルフの打ちっぱなしに行ってガーッと発散して、汗かいてスッキリ。で、翌日は「おはよう!」。そういう対処法が似てるよね。
久美子 で、「おはよう」のときはハイタッチね。ウチはみんな、しょっちゅうハイタッチしてる。
弘道 「おやすみ! パーン」ね。
久美子 ハイタッチって、その一瞬、確かに繋がるものがあるのよ。息子たちは小さいころからそれが当たり前だから、恥ずかしいなんて思ってないでしょ。私も今では当たり前だもん。
死にたい気持ちが痛いほどわかるから
弘道 脊髄梗塞は生命保険が保障する三大疾病の対象外なんだよね。心筋梗塞や脳卒中に比べて患者数が少なすぎて、見落とされているとしか思えない。
久美子 弘道さんは歩けるまでに回復したけど、排泄障害はあるし、リハビリはずっと続けなくちゃならないのにね。今回、この病気を広く知ってもらえたことが改善のきっかけになるといいね。
弘道 そうだね。僕は今後もリハビリを続けて、スムーズに歩けるようになりたいし、しびれや排泄障害も克服したい。脊髄梗塞は今のところ治療法もないし完治もない。でも、ここまでできるようになるんだという症例が作れたら、同じ病気の人を勇気づけられると思うから。
久美子 今もバランス感覚を取り戻すために、毎日ハードなリハビリをしているものね。それ以外にも、近くの公園でデコボコの階段を上ったり下りたり。「不便な場所を転ばないように歩くのがリハビリです」という、リハビリ病院の教えね。
弘道 それとね、以前の僕は自殺する人の気持ちがわからなかったけれど、今は死にたいと思ってしまう人の気持ちが痛いほどわかる。「生きてるだけでいい」って言葉に救われたことも含めて、そういうことも発信していきたい。
久美子 あとは、二人でずっとやってきた、親子体操教室も。
弘道 それは僕のライフワークだから、死ぬまで続けるよ。
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