芸歴48年の大ベテラン俳優 なかったら辞めていたと思う転機となった作品「リドリーに下駄預けようと」
2025年2月16日(日)12時9分 スポーツニッポン
俳優の國村隼(69)が15日放送のTBS「人生最高レストラン」(土曜後11・30)にゲスト出演。なかったら辞めていたと思う転機となった作品を明かした。
大阪放送劇団付属研究所の研究生を経て、NHK連続テレビ小説「鮎のうた」で俳優デビュー。1981年には「ガキ帝国」で映画デビューを果たす。その後、数々の映画、ドラマに出演し、1989年公開のアメリカ映画「ブラック・レイン」(リドリー・スコット監督)で海外作品初出演。名優・松田優作さんの子分を演じた。その後も「ハードボイルド/新・男たちの挽歌」「キル・ビルVol.1」「哭声/コクソン」「犯罪都市NOWAYOUT」など多くの海外作品にも出演。今年で芸歴48年となる。
國村は「僕はもともとエンジニア志望で、工学系の勉強をしてたのでございます。車が大好きで、今も好きなんですけど」と告白。「うちの父親が外車販売のディーラーに勤めていて、たまにオペル(ドイツの自動車メーカーで、2006年日本市場から撤退)とか乗って帰ってきて、それを見て、子供ながらにかっこいいなって思って、それから車を好きになった」と明かした。
「車を作りたかった。設計をして作りたかった」と國村。「まだ本田宗一郎さんがまだバリバリやってらっしゃった頃で、将来はホンダに入って設計したいと。それで高専に行って、そこの機械工学科に入った」とした。
ただ「やってみて分かったのが自分が数学が向いてないなと。私なりに頑張ったんですよ、分けの分からない理論物理学がどうのこうのとか。なんだこりゃ、って思っているうちに、その学校を5年間、やらはきゃいけないのを4年でドロップアウトして」と苦笑した。
「それで暇してて、やることもなく、アルバイトしかしてなくて、小さい学校からの友達が電話かけてきてたまたま小学校の時、そいつと一緒に演劇部に入ってたんですよ。そいつが“NHKの劇団研究生募集してるぞ”って。“どうせお前暇やろ”って。受けてみたらと通っちゃったんです。レッスン期間が1年半ぐらいあって、その時に初めて芝居に触れるわけですよ」と芝居との出会いを回顧。そこで芝居にハマったそうで「やっぱり物を作っていく過程が好きなのかもしれない。車を造る、お芝居を作るのとたぶん工程は一緒なんですよ。物は違うけど。必要なファクターが共通やなって」と話した。
ただ、その後もすぐに売れたわけではなく、「全然…バイトしながら30歳手前まではやってたかもしれない」と國村。「それでちょうど、いつまでもこんなことやってられるんだろう、って時に『ブラック・レイン』が大阪で撮るっていう小さな記事が(出た)。それで『ブラック・レイン』のオーディションに行けたので、それでもしリドリーから“君じゃない”って言われたら、もう必要とされてないなら役者とは言えないかなと思って。リドリーに下駄預けようと思って」とし、「(受かってなかったら)辞めてたでしょうね、たぶん」と明かした。