平子理沙の「フィギア化を欲望する人体」としての素晴らしさ

2月19日(木)15時0分 messy

(C)柴田英里

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 最近messyでは、「整形」「劣化」という、女性の顔と加齢にまつわる記事がたくさんありますね。様々な意見がかわされるコメント欄が特に興味深く、かつ、いわゆる「整形美女系」の顔が個人的にとても好きなので、そうした記事はついついチェックしてしまいます。

 中でも、多く取り上げられているのは平子理沙だと思うのですが、彼女のとても年相応には見えない若々しいスタイルや、シワ一つなくパツンパツンに張りがある顔を評する時に、彼女が「美少女フィギアコレクター」であることにはまったく触れられていないことが不満です。

 ブログやスタイルブック『Little Secret 2』(講談社)やテレビ番組などでたびたび紹介されていますが、平子理沙は美少女フィギアのコレクターです。彼女のフィギアの好みは、すーぱーそに子や『電波女と青春男』の藤和エリオといった、一般的には男性向け作品のヒロイン中心で、巨乳からスレンダーまで体形は様々です。

 私が平子理沙の写真をみて第一に思うのは、「すごくフィギアっぽい」ということです。涙袋があまり強調されていない大きな瞳とほうれい線やたるみがなくパツンパツンに張った肌は、どこか平面的ですし、モデルとしては痩せすぎではなく適度に筋肉も付いた体幹や四肢は肉感的でありながら重力を感じさせません。平面的な顔と立体的・肉感的な身体は、美少女フィギアの持つ大きな特徴です。

 美少女フィギアの身体が、リカちゃん人形やバービー人形などの、服を着せ替えることを前提に作られた人形の身体よりも肉感的かつ立体的であることに関しては、「美少女フィギアのメイン購入者層である男性の抱く欲望を形にしたものであるから」という単純かついささか断定的な見解とは別に、「美少女フィギアは露出した肌まで衣服である」という見解もできるように思います。

 そして、「露出した肌まで衣服である」という意識は、ファッションモデルの身体とも共通するように思います。とりわけ、動画ではなく写真のモデルの場合は、ポージングや露出した肌とのバランスによって、身体が「エロい身体」か「おしゃれな衣服」かに分かれる(もちろんその両方だったり、そのどちらでもないこともありますが)ことが多くあるように思います。



 人形とフィギアの差異はまだあります。人形は「理想化された人間、理想化された女性」と捉えられることが多く、フィギアは「キャラクターの身体の理想化・実体化」と捉えられがちだという点です。

 人形の歴史には、オレオ社とマテル社によって発売された黒人バービードール「オレオバービー」が、大きな唇やヒップといった黒人女性の多くが持つ特徴を持たず(着せ替え人形ゆえに、大きなヒップは衣服の互換性を弱めるという背景もあるのでしょうが)、肌の色だけ黒いという外見であったため、人種差別問題に発展しました。「黒いのは外側だけで中身は白いオレオのような、白人のアイデンティティを植え付けられた黒人の表象」と捉えられたからです。

 この「オレオ問題」をはじめ、ヒスパニックやインディアンの「りんご問題」アジア人の「バナナ問題」など、「表面的には多様な民族であるように見えるが、価値観やアイデンティティは白人である」と捉えられる問題を抱えてきた背景があります。ゆえに、民族のアイデンティティや同民族間における女性美の在り方などが問われることが多くありますが、固有のキャラクターを具現化したフィギアが人種やアイデンティティの問題と関連づけられることは今のところありませんので、「人種や固有の民族のアイデンティティを自覚的に持たない人間としての在り方」としてフィギアの身体に興味を持つ人もいるように思いますし、もとは二次元だった身体に近づくことは、人間から逸脱したいという欲望でもあるように思います。

 シワやたるみは、身体の情報のうちの一つです。それはアイデンティティでもありますが、「衣服」をメインで見せるときは、それらの情報が目立ちすぎて、肝心な衣服が霞んでしまう場合もありますし、視点が固定された平面上では動画よりもよりいっそう目立ちます。

 平子理沙がフィギアを愛好することには、主に雑誌で活躍するファッションモデルとしてのプロ意識の在り方と、シワやたるみのないパツンパツンの身体への欲望と肯定感が感じられて、とても興味深いです。

 美容整形やアンチエイジングに関して「若さ信仰である」「年相応でなく滑稽」「不自然・違和感が半端ない」などのネガティブな意見が出る事はよくありますが、私は、その個々人が思う「美」に迫る過程で「自然な人間」とされている姿から半歩踏み出た不気味さや違和感にとても惹かれます。

 その人が生きて刻んだシワやたるみも魅力のひとつですが、その人が自らの意志によって入れたプロテーゼやボトックスによる「不自然さをともなう張り」も、同様に魅力的に見えます。

 それに、「不自然さ」や「違和感」を否定する自然信仰的なもの、けがや病気以外は身体にメスを入れるべからず。という考え方の方が、人の多様な価値観や生き方に対してずっと抑圧的で差別的だと思います。

 「若ければ良い」という考えが「若さ至上主義」であれば賛同できませんが、「若さは美のうちの一つであるが、美とは若さだけでは成り立たない」ということに基づいて個人が自らの外見を選択できることは良い事であると思いますし、「美容整形」や「アンチエイジング」などをはじめとした身体改造によって自分の身体を所有し直したい。という欲望は肯定されるべきです。

 平子理沙のようにフィギアを愛している人が、フィギアのような身体のありようを欲望する姿勢には一貫性がありますし、彼女の魅力の一つとして機能しているのではないでしょうか。

■ 柴田英里(しばた・えり)/ 現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー・フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。Twitterアカウント@erishibata

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