寺田農 「役者もオモシロい」となった三木のり平との思い出

2月20日(土)7時0分 NEWSポストセブン

寺田農が語る三木のり平との思い出

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 俳優の寺田農の役者人生に大きな変化をもたらしたのは、俳優でコメディアンの故三木のり平との出会いだった。出会い、共演時の思い出、師匠としての三木について寺田が語った言葉を映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』からお届けする。


 * * *

 寺田農は1970年のNHK時代劇『男は度胸』で三木のり平と共演している。


「それまで、役者を突き詰めて考えることはなかったから、すぐ飽きちゃうんだ。なんたってアマチュアだからね。青春ドラマも少し出たら飽きるし、『肉弾』で主演しても映画も飽きる。


 そんな時に『男は度胸』で三木のり平先生と共演した。それで、翌年にそれを舞台にした『俺は天一坊』っていうのに出ないかと、のり平先生に言われて。


 こっちは新劇で、マゲものを舞台ではやったことがないからね。親友の古今亭志ん朝がのり平先生の一番弟子だったから電話で相談したら『絶対にやれ。これを断ったら絶交だ。全部俺が面倒みてやるから』って言ってくれて、それで出ることになった。


 この時に、役者ってこんなに凄いんだと初めて思ったんだ。小野田勇先生の脚本だから出来上がりが遅くて、稽古は満足に出来なかった。初日は11時開演なのに、10時過ぎまで稽古が続いているわけ。客入れする時間になっても緞帳を下ろして、その中でのり平先生が口立てで芝居をつける。


 それでも何とか30分遅れで初日の幕は開いたんだけど、のり平先生が舞台に出てくると大爆笑で劇場中が揺れたんだよ。その時、『ああ、これが役者なんだ』と思った。そこからなんだ。『役者もオモシロいなぁ』となったのは」


 その後、寺田はのり平に弟子入り、1999年にのり平が亡くなるまで、共に舞台に立ち続けた。


「いろんなことを手取り足取り教えてもらったよ。首の動かし方、舞台での立ち位置、芝居のすべて。酒を飲みながらの時もあったし、本番の舞台の上でもあった。


 最初の頃はこっちも新劇出身だから『僕の気持は〜』とか言うんだ。すると先生は『君の気持ちはどうでもいい。お客さんは君じゃなくて役を観に来ている。だから君の気持ちじゃなくて役の気持ちでやってよ』って。


 それから『役の気持ちになるっていうのもおかしいことなんだ』とも言っていた。『役の気持ちじゃない。客の気持ちになるんだ』と。


『次に泣かないといけないのに、自分の役がそこまで感情が盛り上がらないで溜めていたら、客が先に泣いちゃうよ。それからお前が泣いたって、くだらないよ。客が泣きたい所でお前も泣く。そうすると客と舞台が一致して盛り上がるんだ』とも言っていた。喜劇の人だから、客の反応には物凄く敏感だったね。笑わすのは難しいから。


 しかも毎回やっても客によって反応は違う。ある芝居で俺がギャグを言う場面で、ウケる時と全くウケない時があった。凄くウケた後で先生は『これをちゃんとインプットしておくんだよ。この間と音と客の反応を。だからといって、同じことを次の日にやってもダメだよ。その日その日の客の反応を一つずつ自分の中にインプットする。そうでないと喜劇はできない』と。その蓄積があるから、先生は客をいつも弾けさせられたんだろうね」


※週刊ポスト2016年2月26日号

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