本郷和人『べらぼう』差別された存在と思われがちな遊女。かつての彼女らに負のイメージがなかった理由は性行為で感染する<あの怖い病気>と深い関係が…
2025年2月22日(土)12時45分 婦人公論.jp
(イラスト:stock.adobe.com)
日本のメディア産業、ポップカルチャーの礎を築き、時にお上に目を付けられても面白さを追求し続けた人物“蔦重”こと蔦屋重三郎の生涯を描く大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』(NHK総合、日曜午後8時ほか)。ドラマが展開していく中、江戸時代の暮らしや社会について、あらためて関心が集まっています。一方、歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生がドラマをもとに深く解説するのが本連載。今回は「遊女」について。この連載を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし!
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遊女という存在について
ドラマにて蔦重が手掛けた吉原細見『籬(まがき)の花』ですが、そこに初めて花の井(小芝風花さん)が襲名した”瀬川”の名を載せたことで評判に。
予告によれば、その大ヒットによって吉原には瀬川目当ての客が押し寄せ、大いに賑わう…といった話が展開するようです。
蔦重とは切っても切れぬ関係にある吉原。
そこで今回は吉原のことを書こうと思い立ったのですが…
その前に、まずは<遊女>という存在について解説しておきたいと思います。
日本史に登場する遊女たち
売春婦と泥棒は、俗に<世界最古の職業>と言われます。たしかに日本の遊女も古くから存在しており、『万葉集』には「遊行女婦」として現れます。
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「遊女」という言葉が見られるのは平安時代です。大阪湾と淀川水系の水運で栄えた商業の町、江口や神崎などには遊芸をたしなむ遊女が居住していたことが知られています。
彼女たちの中には貴族を顧客とし、その子供を産むような女性もいました。また、街道の宿駅にも客と性的な関係を持つ女性が集住していました。
彼女たちは<長者>などと呼ばれる宿のリーダーたちに統括されていたものと推測されます。
たとえば父の仇討ちで有名な鎌倉初期の武人・曾我兄弟の兄、曽我の十郎祐成の恋人は、大磯の宿の遊女である虎でした。
『重須本曽我物語』によると、虎の母は平塚の遊女・夜叉王で、虎は平塚で生まれ大磯の長者のもとで遊女になったそうです。
遊女の子が応仁の乱を招いた?
源平合戦の頃には白拍子という存在がありました。
平清盛に愛された祇王や仏御前、源義経の愛人だった静御前、後鳥羽上皇に仕えた亀菊などが有名です。
男のように立烏帽子をかぶり、水干を着して、白鞘巻を腰に差して今様や朗詠を歌いながら舞を披露しました。男装しての歌唱にダンス、と聞くと、さしづめ宝塚のよう。
彼女たちは大きなくくりでいえば遊女なのですが、高度な歌舞の技術を有していて、貴紳(きしん。身分や名声のある男子)と関係を持つ者も少なくありませんでした。
室町時代の遊女で、ぼくが特に興味を引かれるのは土用でしょうか。
彼女は高級な遊女で、守護大名などと関係を有し、信濃の小笠原長将との間に持長を、飛騨の江馬氏との間にも子をもうけている。また幕府の管領を務めた畠山持国との間にも義就をもうけています。
持国は義就について「本当におれの子か?」と疑問を持ったのでしょうか。自邸では育てず、石清水八幡宮に預け、社僧にするつもりでした。
ところが後に会ってみると、自分に似ていたのかな、改めて畠山家に迎えました。このため、持国の後継を巡って義就といとこの政長の争いが起き、それが応仁の乱へとつながっていきます。
土用はつまり「日本版ヴィオレッタ」
ヴェルディのオペラ『椿姫』のヒロイン、ヴィオレッタ。
彼女は大邸宅を構え、ものすごく豪華な暮らしをしていますが、基本的には高級娼婦です。アルフレートという貴族のパトロンがいて、生活をバックアップしてもらっている。
なお、アルフレートに対して貞淑である限りにおいて、彼女の生活は保証されている、というのが物語の前提です。
(写真:stock.adobe.com)
子供の頃にこのオペラを見たときは、ヴィオレッタとアルフレートの関係がよく理解できなかったのですが、先述した土用は、つまり日本版ヴィオレッタなのですね。
ちなみにヴィオレッタはアルフレートを想いながら若くして亡くなるのですが、土用さんは息子である義就の庇護を受け、少なくとも70歳までは健在であることが判明しています。
かつての遊女がスター的な存在だったわけ
<遊女>と聞くと、差別された存在と思われがちですが、室町時代までの彼女たちには、負のイメージがありません。むしろ、ファッションリーダーで、流行を生み出すインフルエンサーのようなスター的な存在だったようです。
これはどうしてかというと、大きく理由は二つ。
一つには日本が恋愛にとても前向きな国だったから、ということがあるでしょう。
和歌が文化の中心で、しかもその主なテーマが“恋”だったことが示すように、日本はおおらかに恋を楽しむお国柄だったのです。
もう一つ、こちらはより決定的な原因だと思えるのですが、戦国時代を迎えるまでは梅毒が無かったという事情もあるでしょう。
いうまでもなく、梅毒は死に至る病です。
各種の報道によれば、現代の日本でも、ものすごい勢いで広がりを見せているようで、国立感染症研究所によると、2024年の感染報告件数は全国で累計1万3千人超にまで達しているそうです。
しかも症状が体に出てしまえば、絶世の美人でも、見るも無惨な有様に…。
遊女に陰惨なイメージがつきまとい出すのは、まさにこのためだと考えられる。
吉原を含む江戸時代の遊郭は、光と闇が交叉する場だった、ともいえるでしょう。
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