「人のためにサッカーをしても無意味」酒井高徳がドイツで味わった“ショックな出来事”

2月23日(日)12時0分 文春オンライン

 元日に新国立競技場最初の天皇杯王者に輝き、2月8日には富士ゼロックススーパーカップに勝利。2020年の日本サッカーは、ヴィッセル神戸のタイトル獲得とともに始まった。


 ルーカス・ポドルスキ(元ドイツ代表)、アンドレス・イニエスタ(元スペイン代表)、ダビド・ビジャ(元スペイン代表)ら、派手なスター選手が目立つチーム。しかし、彼らと日本人選手たちの融合に苦労する中で、チーム内の状況を一変させたのが2019年8月、元日本代表・酒井高徳の加入だった。


 まだ欧州でキャリアを重ねることが可能なタイミングでのJリーグ復帰。酒井はなぜ日本に帰ってきたのか、また、酒井の目に日本サッカーはどのように映っているのか。日本代表も海外も経験した男の“本音”に迫った。(3回中1回目)


◆◆◆


 昨年夏、酒井高徳の日本帰国はドイツ国内でもちょっとした驚きをもって捉えられた。まだ当時所属していたハンブルガーSV(HSV)との契約を1年残していたし、新シーズンに向けて監督が代わったとはいえ、クラブが売りに出したり不要とする選手ではなかったからだ。28歳、まだまだ欧州で通用する。完全に余力を持ってヴィッセル神戸に加入した酒井は、難なくチームにフィットしただけでなくチームの状態を改善させているように見えた。


 一体どのような事情で帰国し、今何を考えてプレーしているのか。ドイツに暮らしシュツットガルト、ハンブルクで取材を重ねてきた筆者には、聞きたいことがたくさんあった。



2019年にヴィッセル神戸に加入した酒井高徳 ©AFLO


酒井が語った「帰国の理由」


——昨年夏、まだまだ欧州でプレー可能な状況で、帰国の決断をされました。その理由を教えてください。


「僕は海外に“チャレンジ”しにいったんです。日本代表でもそうですけど“チャレンジし続ける”、“何かにむかっていく”ということ自体が原動力でした。18/19シーズンに、HSVで1部昇格を目指してやってダメで、次のシーズンももちろんHSVでやるつもりだったけど、ご存知の通りやっぱりちょっと自分でも想像してなかった出来事があって、モチベーションがなくなってしまって。なので、それまでに自分が思っていたようなチャレンジと、同レベルのチャレンジができる次のステージを欧州で探してたんです。


 実は、ヴィッセルからは早くから話はもらっていました。ただ、その時にはもう本当に単刀直入に『海外に残るつもりです。でも、HSVで起きた出来事によって日本も選択肢に入るかもしれないからコンタクトはとっておきたいです』と答えました。ただ、待たせてばかりというわけにもいかないので、期限を決めて、それまでに自分の中で海外で良い話がなかったら、日本に戻って神戸のヴィジョンに力を使いたい、と伝えました」



——それは欧州の夏の移籍期限前後の話ですよね?


「Jリーグの登録期限が9月半ばだったので、10日まで待ってくれとヴィッセルに言いました。でも、そこまで決断を引っ張るからには、自分も2つの気持ちはちゃんと持っていたんですよ。海外でクラブを探したい気持ちと、日本に決まった時の気持ちの2つを。海外のクラブからのオファーもありました。でも、僕の場合はまだ1年契約が残っていたので移籍金が発生する。となると、手を出せるチームがあまりなかったんです。もっとレベルを下げて探すという選択肢もあったかもしれないけれど、もう海外にそこまで固執はしてなかったんですね。12年にシュツットガルトに移籍した当初に海外に求めていた刺激や、何か結果を残したいという思いがもうなかった。結局、約束の時間がきたので、日本で絶対やってやるって心を決めて返事をしました」



ドイツで起きた「想像してなかった出来事」とは?


——一度帰国の可能性が脳裏にちらつくと、「帰国したくなってしまう」という話を元海外組から聞いたことがあります。


「まあHSVに残って(契約期間を全うして、20年夏に)移籍金の発生しない状態で次を探すこともできたんですよ。でも、家族が日本にいるのにハンブルクで1人でもう1シーズンやるのはちょっとしんどいなと。しかも、20年夏にはもう29歳なんです。自分としては、Jリーグには動ける間に、30歳くらいまでには戻りたかったんです。チームに貢献できる状態で帰りたかった。20歳でドイツに渡る前、新潟ではなにも残せなかったので、ちゃんとプレーできる状態での帰国というのは決断の理由になりました」


 18/19シーズンに昇格を逃すと、HSVの一部のコアサポーターから酒井は“戦犯”のような扱いを受けた。最終節ではひどいブーイングが酒井にだけ浴びせられた。19/20シーズンに入るためにチームが始動し、練習に酒井の姿が認められると、再び彼らは暴走。SNSは荒れに荒れ、クラブは酒井をかばう公式の声明を出す異例の事態にまで至った。いくらプレーにフォーカスするのが選手の仕事だといっても精神的な衝撃は大きく、帰国を決断するに至った一因であることは想像に難くない。冒頭の発言にある「想像してなかった出来事」とは、このことである。



「人のために何かをするのって、無意味なんじゃないかなと」


——天皇杯決勝前日(19年12月31日)、「ドイツでは失っていたものを神戸で見つけた」と話していました。それはどのようなもの、感覚だったのですか?


「HSVにいた頃は、何事もチームを最優先に考えていました。でも、最後の18/19シーズンはHSVという歴史あるクラブにとって初めての2部で、絶対に優勝と昇格をしなきゃいけない、とハードルが常に高かった。結果的に、僕らは後半戦に失速して優勝も1部昇格も逃したんです。それは僕らチームの責任でもあり、現実的な実力だと思っていたのですが、俺ひとりがファンから非難されました。確かに、そのシーズンの後半戦、俺のパフォーマンスもすごく悪かった。前半戦はすごく良かったのですが、だからこそ後半戦の失速具合が目立って非難したくなったんだとは思います。


 でも、次の19/20シーズン前にもやっぱりそういうこと(酒井をやりだまにあげ、SNSで炎上)が起きたので、単純に必要とされてないのかなと。振りかえれば、17/18シーズンが終わって2部に降格したのに移籍せず残留したのもチームのためだったし、その前の14位に終わった16/17シーズン、残留をかけた戦いもチームのために頑張った。HSVにいた4シーズン、常にチームのためを思ってやってきたのに、こういう終わり方するのかと。人のために何かをするのって、無意味なんじゃないかなと。誰かのため何かをするのは、少なくともサッカー選手という職業においては無意味なんだなと思うに至りました」



——それくらいショックだったのですね。


「っていうことですね。何年在籍したとかどれくらい貢献したとか、関係ないんだって。もちろんファン全員がそう考えているわけではないとわかっているんですけど。16/17シーズンの時は誰もやらないキャプテンも引き受けて、その時は『お前がキャプテンで良かった』『お前が今までで一番良いキャプテンだ』とファンや街の人たちも言ってくれていたのに。ブーイングや炎上でその4シーズンを一気に踏み潰されたように思い、もう人のためにサッカーをするのはやめよう、(欧州に残るとしても)HSVには絶対に残らないと決めました」



“何かをやってやる”という気持ちを神戸で取り戻した


——同じハンブルクが拠点でライバル関係のザンクト・パウリに移籍したら面白かったと思います。


「マジで行こうと思ったんですけど(笑)、それくらいHSVには一瞬憎しみも生まれました。でも、色々考える中で、今後のサッカー人生は、自分が何がしたくて、何を掴み取りたいかって考えるようになったんです。すると、なんの大きな目標もなく単にヨーロッパに残るより、“何かをやってやる”という気持ちを持ってできるのは神戸だなとなりました。“失ってたもの”というのはまさにそこでした。神戸では、誰かのためにということを一旦考えないことにして、まずは自分のため、自分のやりたいことをやりました。そのうちみんなも共感してくれた感じがして、みんなが変わって、自分も変われて……、というのを試合ごとに感じていった。その感覚こそがドイツでの終盤失われていて、ヴィッセルであらためて感じられたものでした」


——とはいえ、長谷部誠選手ら欧州組の選手たちは帰国を止めたのではないですか?


「はい。でも『必要とされるっていうのももちろんそうですけど、自分が一番何がしたいかというところが日本に向かう一番の理由です』と説明しました。ハセさん(長谷部)からは『おれのドイツでの日本人出場記録(長谷部は17年3月に奥寺康彦氏の記録を抜き、ブンデスリーガ出場日本人最多の235試合出場、19年12月18日には300試合出場を達成)とかなにかしらの記録をぬくのは高徳だと思ってたから、結構びっくりだわ』って言われました」



「自分を引き止めてくれた人たちには『もう疲れたんです』と」


——誰かに相談はしたのですか?


「帰国を止めて欲しい自分もいたけど、それ以上にHSVでの出来事がショックだったんですよね。自分を引き止めてくれた人たちには『もう疲れたんです』と伝えました。結局誰かのためにプレーすることがドイツや欧州ではさほど重要ではないんです。日本のファンは本当に優しくしてくれます。ブーイングはするけど、試合に負けたとしても家までおしかけたりしない。また次の試合になったら頑張って応援してくれる。HSVでは2部だった18/19シーズンなんて10時間練習場に閉じ込められたり、『お前ら街中おいかけまわすからな』という横断幕貼られたり……。試合中も負けていると、試合終了間際に一部のファンは黒い目出し帽をかぶりはじめて、『ピッチに降りていくぞ』みたいな雰囲気を出してくるんですよ。もうサッカーとはいえなかった。


 でもそんな状況だったから、今ヴィッセルでチームと自分が一緒に成長してるという楽しさ、嬉しさをまた感じられたというのが素直に嬉しくて。天皇杯での優勝も、自分のためにプレーしていたら、必然的にチームとも一体になれて、チームと一緒に優勝できた。これまではいつもチーム優先になっていたけど、自分のやれること、自分の特徴、自分がどういう人間なのかを見せることで、結果的にチームに貢献することができた。『なんかJに戻って高徳変わったよね』って言われたりもしたけど、俺自身は変わってないんです。今までこういうチームの引っ張り方をしてこなかっただけで。これまでと違う観点で自分とチームの関係を見られるようになったというのは、日本に戻ってきての収穫かなと思いますね」


——心が癒されたのですね。


「報われたなと思いました。ドイツで頑張った7年半が、本当に報われました」


撮影/三宅史郎


酒井高徳が本音で語った「Jリーグと欧州のサッカー、何が違うのか」 へ続く



(了戒 美子)

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