「お前は俺の女か!」愛弟子が語る志村けんが夜の麻布十番で“週8”で会っていたお相手

2月23日(火)12時0分 文春オンライン

「志村は今、そちらにお邪魔していますか?」愛弟子が“六本木のクラブ”で師匠を探し続けた夜 から続く


 急逝した“笑いの王様”のプライベートの素顔とは——。昨年3月、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなったお笑いタレントの志村けんさん(享年70)。その志村さんの傍らに7年間365日ずっと付き添っていたのが、付き人兼ドライバーだった乾き亭げそ太郎氏(50)だ。


 現在は故郷・鹿児島でレポーターとして活躍するげそ太郎氏が、志村さんの一周忌を前に、著書『 我が師・志村けん 僕が「笑いの王様」から学んだこと 』(集英社インターナショナル、2月26日発売)を刊行する。志村さんの知られざる私生活から笑いの哲学まで秘話が詰まった一冊から、一部を抜粋して先行公開する。(全3回の2回め/ #1 、 #3 を読む)



『バカ殿」にも「メガネを掛けた家来」役で出演していた筆者の乾き亭げそ太郎氏(中央奥)(筆者提供)


◆◆◆


深夜のファミレスに響いた「お前、なめてんのか!」


 過去、僕が一番怒られたのは遅刻でした。


 その日は『バカ殿様』の収録があったのですが、僕は寝坊をしてしまい、志村さんはタクシーで収録現場に向かいました。遅れて現場に入った僕は、


「すみませんでした!」


 と頭を下げました。このときの志村さんは、ひと目で不機嫌だとわかるほどムスッとしていましたが、何も言いませんでした。


 収録が終わったあと、志村さんはいつものように共演者さんやスタッフさんたちと飲みに行きました。そのあと、さらに上島竜兵さんと下高井戸に飲みに行き、午前3時頃になって車に戻ってきました。


「もう1軒行く」


 志村さんは言いましたが、なにせ午前3時です。開いているお店が見つからず、ファミリーレストランで飲むことになりました。


 駐車場に車を停めたとき、「お前も来い」と言われました。志村さん、上島さん、僕の3人でファミリーレストランに入り、着席したのとほぼ同時くらいのタイミングでした。


「お前、なめてんのか!」


 怒鳴られました。そうです。志村さんに怒鳴られた2回目というのは、このときです。


「お前、調子に乗ってんじゃねえぞ?」


「何、お前が生意気に遅刻してんだよ!」


「すみません」


「俺が遅刻が嫌いなの、わかってんだろ?」


「はい」


 どこの現場であれ、志村さんは予定時間の30分前には到着するように自宅を出ます。前夜どんなに深酒をしても、絶対に寝坊はしません。初めて共演する人たち、あるいはスタッフさんたちに「もういらっしゃったんですか?」と驚かれるほど早い時間に現場入りすることもよくありました。


 なぜか。遅刻をすると「すみません」という謝罪から一日が始まってしまうからです。別の言い方をすれば、一日がマイナスから始まってしまう。それは志村さんが最も嫌ったことだったのです。


「お前、調子に乗ってんじゃねえぞ?」


「すみません」


「二度と遅刻なんかするんじゃねえぞ!」


「はい」


朝7時までファミレスで続いた叱責


 怒られてはあやまる。下高井戸のファミレスで、朝7時までこれをくり返しました。そのときはまわりを観察する余裕はまったくありませんでしたが、お店にいた人たちはたぶんビックリしていたでしょう。


 心からあやまり続けていた僕でしたが、もう一つ、上島さんに対しても申し訳ない気持ちで一杯でした。せっかく楽しく飲んでいて「もう1軒行こう」となったのに、朝までずっと気まずい状況にお付き合いさせてしまったのですから……。


 でも、上島さんはやさしかった。志村さんがトイレに立つたびに、


「まあ、次から気をつければいいんだから」


「誰だって人生に一度は遅刻しているから」


 などと慰めてくれたのです。以後、僕は遅刻をしていません。やはり志村さんは怒って直せると思ったから怒ったのです。


「週8」で会っていた人とは?


 話は前後しますが、志村さんと上島さんが初めて出会ったのは、僕が付き人になって2年が過ぎた頃だったと思います。


 前に書いたとおり、志村さんは麻布十番では一般の方と飲むことが多かったのですが、僕が付いて2年目あたりから、少しずつ有名人の方たちと食事や飲みに行くようになりました。


 その頃よく飲んでいたのは、全日本プロレスの渕正信さん、川田利明さんです。このお2人と志村さんが麻布十番の中華料理店『梁山泊』で食事をしているとき、何かのきっかけで「川田さんとダチョウ倶楽部の上島竜兵さんは仲がいい」という話になりました。


 それを聞いた志村さんが「会ってみたい」と言ったので、川田さんはその場で電話をかけました。そして1時間ほどして、『梁山泊』に上島さんが来たのです。


 僕としては「うわっ!」という感じです。実は僕は『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』を見て以来、上島さんの大ファンだったのです。


 上島さんと会えた! いい記念になった! 心の中で喜ぶ僕。ところがこの日以降、毎日のように上島さんと顔を合わせるようになりました。志村さんと上島さんがほぼ毎日、それこそ「週8で会っているんじゃないか?」というくらいひんぱんに食事や飲みに行くようになったからです。


 上島さんからの連絡は、僕の携帯にもたびたび入りました。たとえば車で飲み待ちをしていると、「師匠は今どこ?」と連絡が来るのです。


正直な話、上島さんから電話が嫌でした


 正直な話、当時は上島さんから電話がかかってくるのが嫌でした。なぜかといえば、絶対に遅くなるからです。「何時に帰れるかわからない」という毎日を送っていた僕でしたが、志村さんと上島さんが合流した日は帰宅時間が確定します。飲み終わるのは明け方ですから、僕がアパートに帰るのは朝です。


 上島さんから連絡が来るのは、お酒を飲むときだけではありません。たとえば地方ロケがあるときは「今からロケに行ってきます」という電話が志村さんに入ります。帰ったら帰ったで「今、羽田に着きました」という電話が入る。「お前は俺の女か!」と志村さんは突っ込んでいましたが、その顔は嬉しそうでした。


「うるせーよ!」ツッコまれると嬉しそうだった志村さん


 その後、志村さんはプライベートだけでなく仕事でも上島さん、いやダチョウ倶楽部さんとほとんど一緒でした。


 生意気なことを言うと、ダチョウさんと出会えたのは志村さんにとってものすごくラッキーなことだったと思います。僕の知るかぎり、それまで志村さんに遠慮なくツッコミを入れるのは、ダウンタウンの浜田雅功さんだけでした。臆することなく突っ込むダチョウさんと出会ったことで、志村さんはさらに輝いたと思うのです。


 とりわけ上島さんは、コントだけでなくプライベートでも「うるせーよ!」と志村さんに軽口を叩いていました。志村さんもまた嬉しそうに突っ込み返していました。


 ツッコミといえば、志村さんは肥後克広さんのツッコミに全幅の信頼を置いていました。曰く、「リーダー(肥後さんのこと)は、どんな役をやってもそういう人に見えるからいい」「ひとみばあさんへのツッコミは一番うまい」などなど。


ダチョウさんとの出会いで師匠のプライベートも充実した


 コントでは抜群のツッコミを見せる肥後さんですが、普段は言い間違いがひどい。あるとき「げそさんは何人きょうだい?」と聞かれたので「3人です」と答えたら、「長女?」と聞かれました(まさか僕を女性だと思っていたとは……)。一緒に地方ロケに行ったとき、「ホテルのテイクアウトは何時だっけ?」と聞かれたこともあります(まさかホテルを持って帰るつもりだとは……)。


 上島さん、肥後さんとは一線を画しているのが寺門ジモンさんです。とにかく自然や食べ物に対する愛がすごい。たとえば焼肉を一緒に食べているとき、


「いま!」


 と、鉄板からお肉を取るように指示されます。話に夢中になったりして少しでも焼きすぎてしまうと、


「肉が泣いている」


 と怒られます。そんなやりとりを、志村さんはいつも笑って見ていました。


 ダチョウさんと出会ったことで、志村さんはプライベートもより充実したのではないかと、僕には思えます。そして僕自身にとっても、ダチョウさんと出会えたのは本当にありがたいことでした。( #3 に続く)


「子どもも欲しい。親子で『バカ殿様』をやるのが夢なんだ」志村けんが愛弟子に語っていた結婚観 へ続く


(乾き亭 げそ太郎/Webオリジナル(特集班))

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