ヤマザキマリ「嫉妬心が湧かないのは、全身全霊で相手を愛していないから?」

2月26日(水)7時0分 婦人公論.jp


写真=ヤマザキマリ

日本では嫉妬はみっともないと言われがちだが、イタリアでは逆に、「嫉妬心が湧かないのは、全身全霊で相手を愛していないからだ」と受け取られるという。その情熱はどこからくるのだろう。(写真・文=ヤマザキマリ)

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嫉妬は旺盛な生命力


日本の友人の中に、妻や恋人に嫉妬心が一切湧かないという人がいる。嫉妬という感情の輪郭は確かに曖昧だし、感じ方にも個人差はある。例えばイタリア人にとっては立派な嫉妬であっても、日本ではちょっとした不快感程度で処理されてしまっている可能性もある。

または、愛情にかかわる感情の発露はみっともないという日本式の羞恥心が妬みの主張を抑制しているのかもしれない。しかし、中東やイタリアのように嫉妬の沸点が極めて低く、しかもそれを隠そうとも思っていない人々にしてみれば「嫉妬心が湧かないのは、全身全霊で相手を愛していないからだ」と受け止められてしまう可能性も高い。

私の学生時代の彼氏などは、いつも学校の校門で私が出てくるのを待ち構えていた。他の男子生徒と一緒にいようものなら、「あいつとはどういう関係なんだ」と、とことん追及される。日本でこういう話をすると単なる惚気と思われてしまいそうだが、イタリアでは誰にとっても思い当たることだから、惚気の部類にも入らない。

多くの人が愛で正気を失ってこそなんぼだと捉えているので、嫉妬に揺さぶられる人のおかしな行為をいちいち異常だと騒ぎ立てることもないし、どちらかといえば病になる覚悟で愛に苦しみもがいている人は、冷静沈着な人よりも信頼されるように思う。なぜなら、一人の人間に対して向けられるまっしぐらな愛情は、その人の旺盛な生命力と、誠心誠意な人格を表すことにもなるからだ。

イタリアには、マフィアのように家族・親族間の愛情で結ばれた小さな組織が、巨大な社会を相手にその強靭さを発揮する場合がある。元はといえば代わる代わる他国からの干渉や統治が繰り返される歴史の中で、自分たちを翻弄する社会への不信感がつのり、家族や親族単位で団結するようになったのが、この組織発生の始まりとされている。

大きな社会に自分の居場所を求められなくなった時、人間は身近な人への愛情と信頼で生き抜く強さを身につける。生き延びる本能とほぼ紙一重の愛情に、浮気や裏切りなどへの寛容は許されない。マフィアであればそういう人は消し去られてしまうわけだが、嫉妬というものが制御不能になるのもそう考えれば納得がいく。

母が飼っていた15歳の老犬が、ある日突然もらわれてきた子猫に激しく嫉妬をし、一気に子供のような体力を取り戻したことがあった。それまで以上に母にベタベタと甘え、猫を可愛がっていると遠くにいても猛ダッシュで駆け寄ってきて、間に割り込んでは寝そべったりお手をしてきたり、とにかく自分に意識を向けてもらうために必死になる。

おそらく彼女には、母が新参者の子猫のほうばかり可愛がって、自分が見捨てられたらどうしようという危機感が芽生えたのだろう。嫉妬とは、生き延びるためのパワーなのだと私はそんな犬を見ながら感じたものだった。

最近イタリアのとある街で、自分のガールフレンドが男と腕を組んで堂々と街中を歩いているのを見て頭に血が上り、思わずその男に殴りかかったところ、相手は彼女の父親だったという間抜けな事件があった。

朝食を取りながら黙ってその深刻なのかほのぼのしているのかわからないニュースを見ていた私と夫だが、襲われた彼女の父親よりも、嫉妬に駆られて取り返しのつかないことをしてしまった青年に同情をしたイタリア国民は、きっと少なくないだろう。

婦人公論.jp

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