安倍政権 天皇を神として国民に畏怖の念与えるほうが好都合

2月27日(月)7時0分 NEWSポストセブン

日本の「天皇観」が問われる

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 天皇は何と戦っているのか。その答えは、「天皇観」を巡る戦後日本の歩みに隠されていた。このたび、『近代天皇論』(島薗進氏との共著)を上梓した思想史研究者・片山杜秀氏が譲位論争の本質を綴る。


 * * *

 人間天皇と象徴天皇。2つのイメージが、戦後日本における天皇のありようを定めてきたと思う。だが、この2つはいつも調和するとは限らない。そして今、調和はほころんできているようにも思える。


 まず人間天皇とは何か。敗戦から半年も経たない1946年の元日、昭和天皇が詔を出した。天皇は「神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ」。


 世に言う「人間宣言」である。それまでの天皇は現人神とイメージされていた。国土を創造した神々の直系の子孫。だから尊いとされた。ところが昭和天皇は、天皇とは一個の人間にすぎないと宣言した。


 天皇が人間的に努めずとも、ただ居るだけで象徴と認知されるのが戦後憲法の立て付け。だとしたら、戦後憲法の少なくともその部分には、戦後民主主義よりも戦前の「神国日本」の思想の方が強く影響していると考えてもよい気がする。


 仮に何もしなくても象徴天皇は象徴であり続けるというのと、同じく仮に何もせずとも現人神天皇は現人神であり続けるというのとは、よく似ている。国民とのふれあいを第一義とする人間天皇像は、象徴天皇と素直に一体になれないところがある。


 そして今のわが国の政治状況を考えれば、象徴天皇を人間よりも現人神に引きつけようとする勢力が存在感を示していると気づく。言わずと知れた日本会議である。


 そこで大きな力を持つのは、神話に従えば初代神武天皇を五代遡る太陽神、天照大神を祭る伊勢神宮や、明治天皇を神として祭る明治神宮。天皇が現人神のイメージに戻っていってくれたら、彼らは嬉しい。


 さらに日本会議を支持勢力とする安倍晋三政権としても、国民の不満に耳を傾けるような人間寄りの象徴天皇よりも、神として国民に畏怖の念を与えつつ自らの意思を示さず「内閣の助言と承認」の通りに振る舞ってくれる現人神寄りの象徴天皇の方が、都合のよいだろうことは想像に難くない。


 国際環境もいちだんと厳しくなる。国民の生活水準も下り坂になるかもしれない。国家が国民に種々の出血を求めなくてはならなくなり、戦後民主主義の求めてきた方向からそれてゆくかもしれない。それでも国民の結束を保とうとすれば、現人神天皇の威力にすがりたくなるのが日本の権力というものだろう。


 人間天皇が軋みを乗り越え象徴天皇とハーモニーを奏で続け、戦後民主主義の継続をはかるのか。それとも現人神天皇が象徴天皇を飲み込んで「神国日本」に再帰するのか。天皇観をめぐる戦後日本の「最終戦争」の幕は既に切って落とされている。


●かたやま・もりひで/1963年生まれ。慶應大学法学部教授。思想史研究者。慶應大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。『未完のファシズム』で司馬?太郎賞受賞。近著に『近代天皇論』(島薗進氏との共著)。


※SAPIO2017年3月号

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