開成から東大理一、異端のピアニスト・角野隼斗「研究者ではなく音楽家の道へ。母や妹とはピアノの話で盛り上がって」
2025年3月1日(土)12時30分 婦人公論.jp
「僕はクラシックの世界の淵にいて、バランスを考えながら、その世界を拡げようとしているのです」(撮影:本社・武田裕介)
「異端のピアニスト」と呼ばれる角野隼斗さん(29歳)は、目が離せない存在だ。
難関私立の開成(中学・高校)に進学、現役で理系の最高峰である東京大学理科一類に入学。同大学院に進み情報理工学系研究科創造情報学を専攻して修了。研究者になる道もあったが、クラシックピアニストとして世界各地のコンサートで大好評を博している。2024年、自身の誕生日である7月14日に日本武道館でコンサートを開き、ピアニスト単独公演の動員数としては最高の1万3,000人に及ぶ観客を魅了した。YouTubeチャンネルにCateen(かてぃん)名義で演奏をアップして、登録者数は144万人(2025年2月現在)。作曲や編曲も手がけ、ジャンルを問わず幅広く活躍の場を広げている。
「異端」というよりも「天才」なのではないか?角野さんの魅力を探るべく、お話をうかがった(構成:しろぼしマーサ 撮影:本社・武田裕介)
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活動の原点
「異端」というか、僕はクラシックの世界の淵にいて、バランスを考えながら、その世界を拡げようとしているのです。クラシックを土台にして、新しいことに挑戦したい。
音楽家というと神経質なイメージをもつ方がいますが、僕は神経質な性格ではありません。神経質だったらあちこち旅をできないでしょう。まわりのことを気にしない。クールに振舞っているように見えるらしいけれど、外国の人から「クールの中では一番温かい」と言われたことがあります。(笑)
母親の角野美智子さんはピアノ教室の教師で、妹の角野未来さんもピアニストである。角野さんは、幼い頃から数々のピアノコンクールに入賞していた。
幼い頃から数字に興味をもっていたのですが、母がピアノを教えていたので、自宅にグランドピアノがあり、自然に弾き始めました。母は違うのですが、僕は絶対音感をもっていて、自分で自由に曲を作って弾いていました。しかし、音楽の基本の理論を教えてくれたのは母です。妹もピアニストになりました。
小学校4年生。コンクールで演奏する角野隼斗さん
父は趣味でサックスを吹くのですが、音楽の話となると、母と妹と僕はピアノの話で盛り上がってしまうので、父は蚊帳の外で気の毒でしたね(笑)。母はよく僕のコンサートに来てくれますが、感想はファンの方と変わりません。
僕は自分のことは自分で決める子どもでした。でも、中学は男女共学に行きたかったのですが、男子校である開成中学に入学することは、なんとなく母にうながされたようです。結果的に開成(中学・高校)に行って良かった。スポーツ、ジャグリングなど、何かにものすごく熱中している生徒が多くて、僕は音楽ゲーム(音ゲー)にはまりました。バンド演奏とYouTubeもやっていて、楽しかった。
東大卒業時。修士課程用のガウンを着て
東京大学大学院では、機械学習による自動採譜と自動編曲を研究していました。研究者になろうかピアニストになろうかとすごく迷いました。大学院1年のとき(2018年)に4万人以上が参加したピティナ・ピアノコンペティションの頂点である特級で優勝したことが、ピアニストになろうと思ったきっかけです。
日本武道館での思い出
現在は、ニューヨークに住み、日本をはじめ世界各地をコンサートで飛び回る。最高の演奏を聴いてもらうためには努力をおしまない。しかし、本番中には思わぬことに遭遇するも…。
筋トレをして、健康的な食事に気をつけて、コンサートの前日は9時間寝ます。演奏中の僕は、何かがのりうつったという表現が近いかもしれません。ピアノと自分が一体化しています。演奏の最後にピアノの音色が消える瞬間も重要です。ピアノは、声と違い「あーあー」と大きく音を伸ばすことができない。そこが難しいですね。
(c)Ryuya Amao (c)角野隼斗ドキュメンタリーフィルム製作委員会
想像できないようなハプニングも経験しました。日本武道館のコンサートで『トルコ行進曲』(編集部注:角野さん編曲、24の調によるトルコ行進曲変奏曲)を弾いていたら、僕の背中にセミが止まった。
僕は気づかずに第1部が終わり、立った時にセミが飛び立つのが見えたのです。一部のお客様は気づいたようですが、僕は幻覚を見たと思いました(笑)。
第2部ではセミが足元にいて、アンコールでは足にセミがしがみついていたのです。そのままコンサートを終え、セミとのツーショットを撮りました(笑)。演奏中にセミが鳴かなくて良かったですよ。
角野隼斗さんのX(@880hz)より。日本武道館でのコンサートを共にした、セミとのツーショット
3年間の活動が映画に
角野さんの日常やコンサートの模様を撮影した映画『角野隼斗ドキュメンタリーフィルム 不確かな軌跡』が、2月28日から全国で劇場公開される。角野さんのリラックスした姿と演奏にのぞむ姿のギャップも魅力の映画だ。
2021年にTBSテレビのドキュメンタリー番組『情熱大陸』での密着取材がありました。その時のディレクターが今作の監督です。当時は映画の話はなかったのですが、その後も動画配信サービス「Paravi」のドキュメンタリー番組『Real Folder』で密着取材があり、2年前にそれをまとめた映画化の話がもちあがりました。
(c)角野隼斗ドキュメンタリーフィルム製作委員会
僕は、撮られることに抵抗がなく、寝ぐせのついた髪や、ずっと着ているボロい普段着での撮影も平気。でも、映画化には、最初はしぶっていました。
映画となるとお客様は2時間くらい座って観る。自分のドキュメントは、お客様にとって面白いのか?と考えたからです。でも、日本武道館の大きなコンサートを映画に収めるのは良い機会と思い、受けました。
完成した映画を観たら、自分が緊張してピアノを演奏しているのを見ることができて面白かったですよ。3年前の自分が出てきて、しゃべり方は子どもっぽいし、カップラーメンを食べているし。もう食べなくなりましたが、ラーメン自体は好きです。
今は食事のバランスを考えて、野菜をいかにとるかを考えています(笑)。僕は考えることが好きで、書くことも好きですが、それをまとめるのにすごく時間がかかるので、映画の次は本を出したいなどは、今のところ考えていないです。
取材のために渡した雑誌『婦人公論』のページを、パラパラとめくる指先の動きは見とれるほど美しく、インタビュー中もテーブルの上をピアノを弾くように指で軽く叩いている。撮影に応じる動きも軽やかで、角野さん自身から音楽が流れてくるようだ。10年後の角野さんは何をしているのだろうか?
10年後の僕は「不確か」なのです。この言葉は便利ですよ。今日は10回くらい使っています。(笑)
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