テレビ屋の声 第95回 『たりないふたり』安島隆氏、“ワクワクしたい”と日テレ退社 テレビに抱く期待「もっともっと面白いものが作れる可能性がある」
2025年3月2日(日)7時0分 マイナビニュース
●『特命リサーチ200X』で学んだ「構成」
注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、昨年10月末に日本テレビを退社した安島隆氏だ。
山里亮太(南海キャンディーズ)と若林正恭(オードリー)による『たりないふたり』シリーズを手がけてきたことで知られ、日テレ在籍中の最後はスポーツ局に。「新しいものを作るワクワクを大切にして楽しく生きていきたい」と同局を退社したが、その主戦場は配信でなくテレビになるといい、「あらゆる人にリアルタイムで見てもらえるような番組を作りたい」と意欲を語る——。
○ちょっと余白があって勝手に想像するのが好き
——当連載に前回登場した日本テレビ『クイズタイムリープ』の生山太智さんが安島さんについて、「スポーツ局で一緒になった初日に飛び込んだら、安島さんは“昔の自分は、自分の面白いと世間の面白いが一致していないことに気づいた瞬間があったから、これを一致させる手法は生山に教えられると思う”と言ったんです。それを後輩に言えることがすごいなと思いました」と言っていました。
そんなこと言った覚えはないし、そんな手法があれば僕も知りたいです(笑)。でも、僕がスポーツに異動してきた初日に、生山くんから「一緒に企画を考えたいんです!」って言われたんですよ。そうやって後輩が来てくれたらうれしいですが、ちゃんと受け止めないと自分の器の小ささが見えちゃうから一番緊張するじゃないですか。だから、ちゃんといいこと言わなきゃとは思いましたね(笑)
——そして生山さんは「安島さんはロジカルに説明して、日本語を操ってる感じがある」とも言っていました。
彼はなぜかよくそう言ってくれるんですけど (笑)。生山くんの熱意に応えたかったし、まだキャリアの短い生山くんが腹落ちしてくれるように、きちんと順番を考えて話すというのは意識していたと思います。
——「日本語を操ってる」に通じるか分からないですが、安島さんの番組タイトルは『落下女』『潜在異色』『たりないふたり』など、短いワードの中でそこに込めた意味を考えさせる印象があります。
タイトルは結構考えますね。ナレーションの言葉やサイドスーパーの文言を考えるのも好きですが、番組タイトルはその最たるものかもしれないです。もちろん番組趣旨を分かりやすくお伝えするのが一番ですが、自分がいち視聴者として「こういう意味なんです」って100%投げられるよりも、ちょっと余白があってそこで自分も勝手に想像するのが好きなので、受け取っていただく方にお任せしたいという部分もあると思います。
○ピンとこなかった台本の内容が劇的に面白くなった
——日テレに入社されて、最初から制作部署に配属されたのですか?
はい。お笑い番組志望で入社して、入社2年目に『特命リサーチ200X』(※)という番組のチームに異動になりました。そこにいたのが、吉川圭三さんという総合演出と、財津功さんという演出のおふたりです。
(※)…架空の調査機関「ファー・イースト・リサーチ(F.E.R.C.)」に寄せられた様々な難問を、調査・解決していく情報バラエティ番組。佐野史郎、稲垣吾郎らがF.E.R.C.のエージェント役としてドラマパートに出演。
——あの番組はものすごく緻密に作られている印象がありました。
『特命リサーチ』のVTRって、長いのだと1本30分くらいあるんですけど、その構成台本は30ページくらいになるんです。人間の脳の構造など難しい話を、スタッフが専門書を読んで勉強したり、大学教授に聞いたりして作られた台本が会議に提出されるんですけど、正直ADの僕にとって読んでいてピンとこないものありました。
でも、会議で吉川さんに「安島くんさあ、ちょっと今から言うことをホワイトボードに書いてくれる?」って指示されて、「まず2ページにこれを書いて、次に15ページのこれを書いて…」って言われた通りに書いて並べてみたら、めちゃめちゃ面白いんですよ。「ここで生まれた疑問が何ページで解消されて、解ききれない部分はここにヒントがあって…」ってその場でやっていくと、30ページの台本と全く情報は変わってないのに、劇的に面白くなる。これが「構成」なんだと知りました。
●絶望した異動先で念願のお笑いコンテンツ制作
——そして『特命リサーチ』でディレクターになるという流れでしょうか。
実はディレクターになる手前で交通事故に遭って、1年間、松葉杖の生活を送ることになったんです。でも『特命リサーチ』では、大学教授に電話して話を聞いて台本30ページを打つことはできるから、それを一生懸命やってたら吉川さんと財津さんに「台本面白いじゃない」と言っていただいて。それから、再現VTRを撮るのにディレクターチェアみたいなのを用意してもらって、松葉杖を置いて監督ぶったりして(笑)。そうやってディレクターにさせてもらったから、ADとしての下積みが全然できてないんです。
——『特命リサーチ』は番組終了まで担当されたのですか?
脚が治ってすぐくらいに、人事局労務部に異動になっちゃったんです。今考えたらジョブローテーションの一環なのですが、当時25〜26歳の自分にとっては失格のらく印を押されたような気持ちで、この会社にいる限りはもう制作に携われないだろうなと絶望しましたね。スーツで定時の生活になってデスクに座ってても落ち着かなくて、何回もトイレの個室に座って時間を潰して、またデスクに戻るみたいな。毎回トイレで手を洗ってるから、僕が潔癖症だってウワサになったくらいです。
そんな会社生活を何とかしなきゃと思って映画の専門学校に行ったりもしたんですが、人事への異動の前に、若手芸人さんと若手ディレクターを結びつけて新しいことをやろうと声をかけてもらったことがあって、そこでラーメンズ、バナナマン、おぎやはぎ、作家のオークラとかと仲良くさせてもらっていたんです。そこで、普通の番組の企画書を書いても人事局員だと難しいので、グループ会社のバップにDVDソフトの企画書を出しました。ラーメンズ、バナナマン、おぎやはぎの3組で「君の席」というユニットを作って、オリジナルの映像コントを3巻出して、ライブをやってそれもDVD化するという企画だったんですけど、それが通って1年かけてやることができました。
——入社時の志望だったお笑いコンテンツの制作を、人事局でかなえることになるとは。
人事にいたのは2年間でまた番組制作に戻るんですけど、この2年間は今考えると自分にとってすごくプラスだったなと思います。そのDVDを作ったことで、お笑いというものが仕事の一つになって、今の状況のきっかけになったのは間違いないですし。
それと、大学を卒業して社会人になって、当時の制作は泥のように働いていたので、世の中の生活リズムというものが全く分かっていなかったんです。それが月曜から金曜まで朝9時から昼休憩1時間挟んで夜6時まで働いて、土日休みというのを初めて経験したんですね。土日を楽しむために平日に頑張るということを実感したんですが、考えてみるとテレビを見てくださる方はそういう生活をしている方も多いわけじゃないですか。だからその感覚を知ることができたのは、一番大きかったと思います。
——そして制作に戻って、最初に企画されたのが『落下女』ですか?
はい。初めての番組がコントで、芸人メンバーはバナナマン、おぎやはぎ、ラーメンズの片桐(仁)さんという「君の席」の人たちとドランクドラゴン、アンガールズ。そこで南海キャンディーズと出会いました。
○『たりないふたり』を今後やることがあるなら…
——その後、山里さんが出演していた『潜在異色』にオードリーさんが参加して、山里さんと若林さんの『たりないふたり』につながっていきます。この2人との出会いは、やはりテレビマン人生において大きなものでしたか?
そうですね。始めた当時はもちろん楽しかったんですけど、すごく焦っていた記憶があります。
——「焦っていた」ですか。
山里さんと若林さんという人がいて、それぞれがすごい2人が合わさると、普段のコンビとは違うすごさがあるということを自分は一番間近で見させてもらってるけど、最初の頃は、世の中がまだ2人をそこまで評価していなかった。それを知らしめるには僕が頑張らないと2人に申し訳ないというのがあって、「何とかしなきゃ」という思いでしたね。
——そこから番組やライブを展開されて、2人の知名度もどんどん上がっていき、その目標は達成できたという気持ちでしょうか。
そうですね。『潜在異色』というライブ中のユニットから始まって、番組を1クールやってライブをやってというのを繰り返して、『明日のたりないふたり』(2021年)で解散ライブということになったんですけど、その間、ずっとストーリーがある2人なんですよ。私生活や仕事で劇的な変化があって、それすらもエンタテインメントに落とし込んでここまでやってきたと思うので、もしこの先やることがあるとするなら、もうストーリーではなくて日常の2人が見られるような環境がないかなと思います。
最後はドラマ化(『だが、情熱はある』)までしちゃってるし、ドラマなんてもうストーリーの極致じゃないですか。『明日のたりないふたり』のライブでは若林さんが倒れて救急車に運ばれちゃって、本当に台本を書いたドラマのようなことが起こったし。そういう『たりないふたり』には「人生ですごく影響を受けたんです」と言っていただくことが多くてすごくうれしいんですけど、何も影響を与えず、ただただしょうもない2人の姿も、皆さんに提案できる場がないかなって、今はちょっと思いますね。
●『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』が溶かした枷
——昨年10月末で日テレを退社されましたが、この決断の理由は何でしょうか?
人事に異動してお笑いのDVDを作っちゃったことの延長線上だと思います。簡単に言うと「ワクワクしたい」。僕にとって仕事というのは人生の中でとても大きな部分を占めるので、新しいものを作るワクワクを大切にして楽しく生きていきたいと思ったんです。本当にそれくらいしか理由はなくて、すごく壮大なビジョンがあるわけでもない。
極端な話ですが、残りの人生でワクワクできるコンテンツが何個作れるかというのを考えるんです。そこにスケール感はあんまり関係なくて。それよりもワクワクが上ですね。
——ちょっと話がずれますが、日テレ局員時代に『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』(24年2月)で総合演出を担当されましたよね。これはどういう経緯だったのですか?
開催の1年ぐらい前に、若林さんと当時ニッポン放送の石井(玄)さんと会議を始めたんだけと、『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』っていうタイトル以外に内容は決まってないと。ただどう考えても最後に漫才をやるから、そこには安島がいたほうがいいだろうとなって呼ばれたんです。最初は若林・石井の話をちょっと俯瞰(ふかん)で見て、ちょっと意見を言ったり、ちょっと和ませるみたいな感じの人として入ったんですよ。
でも話が進んでいくうちに、やはり演出は安島がやった方がいいし、そもそもチケットの券売のシステムまで見てる石井さんが演出部分まで見るのは無理だとなって、演出の部分と制作プロデュースの部分を切り離して、演出の部分をお願いできないかと言われたんです。
——「スーパーバイザー」くらいの話から気づいたら大きくなっていたわけですね(笑)。ここでその話を聞いたのは、外の世界を見たことで退社の判断を後押ししたのかなと思いまして。
それはなくはないですね。それまでも結構ライブはやってたんですけど、東京ドームのフィールドにスタッフのブースがあって、思ったよりお客さんと距離が近かったんですよ。それにやっぱり閉じた空間だから、5万5千人のお客さんの歓声や笑いやパワーというか、魂の震えみたいな振動を全部感じたんです。
——まさにワクワクの極致ですね。
そうなんです。やっぱりワクワクして生きていきたいと思ったんですよね。自分の年齢やキャリアを考えると、この選択はベストなのか分からないですし。それで思考と足が止まっちゃってたんですけど、それを解凍してくれたワクワクが、ドームにはありました。「もっと得意な人がやったほうがいいよな」とか「自分がもうちょっと若かったら」とも思っていたけど、誰かに言われたわけでもないし、それを自分の枷(かせ)にするのは止めようと思ったんです。
○突貫工事だった『ザ・コメデュアル』
——昨年10月末に退社されて早速、演出を担当された『ザ・コメデュアル』(Netflix・Prime Video ※)が大みそかに配信されました。
『コメデュアル』に関しては、お世話になった吉本の方に辞めることを伝えたら、数日後に「実は大みそかの配信コンテンツを急きょ立ち上げたので、そこの演出メンバーに入ってくれませんか?」と誘ってもらいました。
(※)…リスペクトし合う2組が互いに愛するネタをリクエスト。人生を変えたネタ、名作と崇めるネタ、十数年封印していたネタ、超長尺ネタ、とにかく死ぬほど笑ったネタなど、人気・実力がそろった20組のネタと、互いの芸人人生とネタを語りつくすトークコーナーで構成される。
——令和ロマンの高比良くるまさんが「突貫工事」とおっしゃっていました(笑)
とんでもない突貫工事でした(笑)。会議にも11月から参加したので、誇張なしで制作期間1カ月ですね。でも、ここまですごいメンバーを集められたのは、やっぱり吉本さんの信頼だと思います。
——全20組が登場していますが、収録は何日間だったのですか?
2日間です。スケジュールが非常にタイトな中で、朝から夜中までどんどん入れ代わり立ち代わりで来てくれました。朝7時半に来て、1ネタ撮ってトーク撮って、すぐそのまま大阪に行くなんて方もいましたから。この収録もパワーがすごくて、それをずっと浴びられるのは楽しかったですね。
——そのパワーというのはお客さんだけじゃなくて、演者さんからも。
そうですね。『コメデュアル』って演者さんのネタを、もう一方のコンビが舞台袖で見るので、お客さんとの三角形のゾーンができるんですよ。その熱視線があるので、独特の空気感でした。
——『オードリーの弾込めてきました!』(フジテレビ ※)も年末の放送でした。
オードリーの強みをちゃんと引き出せるような番組をやりたくて、将来的にはゴールデンで戦えるような番組というところを意識しました。
(※)…面白いネタを作るべく体を張って“トークの弾”を込めてきた芸人たちが、その実体験エピソードを話術1本で披露するトークバラエティ。
●テレビは皆でワクワクできるメディアのはず
——今後もいろいろ企画が動いていると思うのですが、やはり配信系が多いのでしょうか?
いや、テレビが多いですね。『コメデュアル』もやらせてもらったし、もちろん配信もやりたいんですが、もっともっとテレビもやりたいと思ってるんです。
——最近はテレビの制作費が下がっている中で、局員の方が独立されると配信コンテンツも積極的にやってらっしゃるイメージがありますが。
やっぱりテレビって皆でワクワクできるメディアなはずなんですよね。なんでこの業界に入ったのかと思ったら、みんなが一緒に楽しめる同時性や共通性があったからなんです。SNSではとんがってたりニッチだったりする番組が取り上げられがちじゃないですか。そういう番組もすごいし、自分も作りたいんですけど、幅広い世代が見ている個人視聴率の高い番組もみんなが気軽に見られるメディアとしてもっともっと面白いものが作れる可能性がある媒体だと思うんですよね。
それに、テレビって点じゃなくて線だと思うんです。ヒットする人が出たらその人の登場尺が翌週は長くなるとか、派生して別の企画が生まれてずっと続いていく物語になっていくとか。僕が生山くんに言ったとされる「自分の面白いと世間の面白いが一致していないことに気づいた瞬間があったから、これを一致させる手法は教えられる」というのは、それによって視聴者とコミュニケーションしたいんだと思います。みんなが手を叩いて笑ったり、怒ったり泣いたり感情を揺さぶられるものが、自分とあんまりマッチしないこともあるけど、ライフステージや年齢、自分が変わることで、そのチューニングが時々合ったり外れたりする。番組を続ける中でそれを繰り返していくのがワクワクするんです。
——そうすると、やはりレギュラー番組を目指したいという感じですね。
そうですね、ゴールデンのレギュラー番組。あらゆる人にリアルタイムで見てもらえるような番組を作りたいです。
○忘れられない『8時だョ!全員集合』の観覧
——ご自身が影響を受けた番組を1本挙げるとすると、何でしょうか?
『8時だョ!全員集合』(TBS)ですね。小学校2〜3年生の時に公開生放送の観覧が当たって、市民会館に見に行ったんです。それがめちゃめちゃ面白くて、今考えてもやっぱりライブなんですよね。ドリフの皆さんの生の声の張りや熱が味わえる。テレビだとフレーム中を見ているけど、ライブだと志村けんさんがふざけてるところに「ドロドロ〜」ってSE(効果音)が流れて、後ろが青の怖い照明になって、志村さんが振り返るとカットアウトで明転するのが、「志村〜後ろ〜!」って言いながら分かって、とにかく臨場感があったんです。
そのことを帰りがてら一生懸命しゃべっていたみたいで、親に「それはドリフがより面白くなるように、盛り上げてくれる人がいるんだよ」と教えてもらったんです。それで、テレビの裏方を志しました……ってこの話は入社面接でもしたし、たぶん途中からちょっと盛ってるはずなんですけど、いろんなところでしゃべってるからどこからウソか分からなくなりました(笑)。親のくだりで怪しいと思ってるんですけど。
——鮮明に覚えている経験ですから、大枠ウソではないですよね(笑)。そうすると、『たりないふたり』や『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』も経験されていますし、ライブもやりたいという思いはありますか?
それはもう、ありますね。
——いろいろお話を聞かせていただき、ありがとうございました。最後に、気になっている“テレビ屋”を伺いたいのですが…
作家の林田晋一さんです。この前の『弾込め』もそうですし、仕事をいっぱい一緒にやってきたんですけど、彼が酒に酔っていうのは、昔で言うところの視聴率20%の番組をゴールデンで作りたいという気持ちで日々の仕事をやっているんだと。一方で、深夜に『たりないふたり』とかをやるマインドもあるので、テレビというものにすごく向き合ってる作家さんだと思います。
次回の“テレビ屋”は…
放送作家・林田晋一氏