桂文枝 紫綬褒章、園遊会で思い浮かんだのは「母の言葉」

3月4日(月)6時0分 女性自身

「母は、この3月で98歳になります——もうすぐ白寿。ただ、いまは介護施設にいて、私が何かを囁きかけても、私のことを、息子だとわかってくれることはないんです」



こう話すのは、落語家の六代・桂文枝さん(75)。’66年に三代目・桂小文枝に入門、「桂三枝」としてデビューし、芸歴は53年目に突入している。ライフワークである「創作落語」は、現在までに290にのぼる作品を手がけてきた。



日曜昼の『新婚さんいらっしゃい!』(テレビ朝日系)ではユーモアあふれる司会として知られているが、この番組は「同一司会者によるトーク番組の最長放送」として、ギネス世界記録に認定されている。



そんな文枝さんは、’18年10月、初の自伝『風に戦いで』を出版。「母」について公で語るのは、この自伝が初めて。文枝さんがいまだからすべてを話せる、“母への恩讐”とは−−。



「旧陸軍にいた父は持病の肺結核を悪化させていて、私が生後11カ月のときに亡くなりました。私を抱えて父の実家を出た母は、羽振りのよかった叔父の屋敷にお世話になることにしました」



しかし5歳のとき、そんな生活が一変する。



「大阪市内の小さな製材所の3畳一間に、母子2人で暮らすように。母は、叔父の知人だった製材所の社長さんに雇ってもらい、事務作業とまかないの仕事をするようになりました」



だが数年後、製材所は材木街を襲った大火事で全焼してしまう。今度は母の兄の家に身を寄せることになった。



「おっちゃん(母の兄)の家は本当に粗末で、いわゆるバラックでした。そのころ母は、月曜日から金曜日まで料理旅館に住み込みで働き、土曜日になると帰ってくる生活でした」



当時母は30代前半。文枝さんはそのころの母をこう振り返る。



「小学生の私と2人で暮らそうと思えば、安アパートを1部屋借りて住むこともできたはずですが、母はそうしなかった。おっちゃんにわが子を預けて、“女の人生”を謳歌したい時期でもあったんでしょう。週末の夜遅くに帰ってくる母は化粧や酒のにおいがして、すごく嫌だった記憶がある。母を遠くに感じたものです。その後、母は再婚するのですが、私は最後まで猛反対しました。彼女からすれば、“母ひとり子ひとり”の人生に疲れたのかもしれませんが、当時の私には納得できませんでしたね」



一度も「勉強しなさい」とは言わなかった母が唯一厳しくしつけたことは、「箸の持ち方」だった。



「ちゃんと持ちなさい。それと、食べるときくちゃくちゃ言わさないで。お前は、いつか、天皇陛下さまの前で食事するときが来るかもしれんのやから−−」



高校に進学した文枝さんは、同級生と漫才コンビを結成。そして関西大学に入学したとき、1枚のチラシを手にする。



「国文学部が主催する『桂米朝独演会』の案内でした。担当教授が、そのイベントを機に落語研究会を立ち上げるタイミングだったんです。その名も『落語大学』。私は『浪漫亭ちっく』と名乗り、2年時に“二代目学長”に就任しました」



落語の魅力にとりつかれた文枝さんは大学卒業後、就職はせず、落語家の門をたたくことを決めた。師匠となる故・桂小文枝さんから出された入門条件は「親の了承」。なかなか母に言い出せない文枝さんは「就職の面接があるから、人事部長に会って」と嘘をついて連れ出した。



しかし、着物姿のまま現れた師匠を見た母は、「月謝のようなものはいりますか——。よろしくお願いします」。そう言って深々とお辞儀したという。



「母を騙したつもりでしたが、実際は、息子が就職せずに噺家になることに気づいていた。その晩、横で寝ている母を見ると、肩をふるわせながら泣いていました。子が手を離れる安心、それとは反対の寂しさ、先行きへの不安……複雑な感情が渦巻いていたんでしょう。あの晩の、母の背中が目に焼きついて、『どんなことがあってもやめてはいけない』と思いました」



「桂三枝」としてデビューした文枝さんは、1年目の’67年にラジオ番組『歌え!MBSヤングタウン』の司会で大ブレーク。『ヤングおー!おー!』『パンチDEデート』などの人気番組を持ち“テレビの顔”となっていった。



私生活では、ラジオ大阪『ヒットでヒット バチョンといこう!』のアシスタントを務めていた真由美さんと’72年に結婚。文枝さんは28歳、真由美さんは19歳の女子大生だった。



そして’03年、上方落語協会会長に就任、’06年11月には紫綬褒章を受章した。翌秋の園遊会でも、天皇皇后両陛下に拝謁。そのときの思いを文枝さんは目を細めて語る。



「『ついにこの日が来たか』と、しみじみと思ったものです。食事作法をしつけるときの、母の口癖でしたからね、『天皇陛下にお会いするときのために』は。まだかくしゃくとしていた86歳の母に、園遊会の記念でいただいた和菓子を差し出すと、ただ無言で、涙を流して喜んでいた。64年生きてきたなかで、最大の親孝行ができた瞬間でした——」

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