サウンドデモ、反原発デモから、SEALDsへ──ラッパーECDが語る「デモの新しい可能性」

3月15日(火)22時0分 LITERA

新しいかたちのデモに深くかかわってきたミュージシャンのECD

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「言うこと聞かせる番だ俺たちが」──SEALDsのシュプレヒコールとして一躍有名になったこのフレーズ。昨年夏、国会前の熱狂を伝える報道で人々がこの言葉を叫ぶ姿を見たことがある方も多いだろう。


 実はこの「言うこと聞かせる番だ俺たちが」というフレーズは元々、ミュージシャンのECDが2012年、ラッパー・田我流の楽曲「Straight Outta 138 feat. ECD」にゲスト参加した際、ラップした歌詞の一部だった。それをSEALDs の前身であるSASPLのメンバーが引用し、定番のシュプレヒコールとして定着したものだ。


 しかし、ECDが影響を与えたのは、SEALDsだけではない。サウンドデモ、反原発デモなど、2000年代以降、日本に生まれた新しいかたちのデモに、深くかかわってきた。


 そんなECDが写真家の島崎ろでぃー氏とともに、デモをテーマにした『ひきがね 抵抗する写真×抵抗する声』(ころから)という写真集を出版した。そこで、リテラはECDにインタビュー。これまで見聞きし、体験してきたデモの功績と限界、そして、これからのデモの可能性について話を聞いてみた。


 まず聞きたいのは、やはり、昨夏大きな社会現象を巻き起こしたSEALDsのことだ。ECDの目に彼らはどう映ったのだろうか?


「SEALDsは、もうそれ自体がひとつの『文化』になっていると思います。昨年秋、ハチ公前のSEALDs街宣の時にゲスト出演したスチャダラパーのBOSEが言っていた『(SEALDsの若者は)昔だったらバンドやったり、アイドルになったりしてる人たちだよね』という言葉がそのものズバリで、それこそ、77年にイギリスの各地でみんなギター持ってパンクバンド始めたというのと同じように、今の日本では各地にSEALDsができて若者たちが活動してるっていう。SEALDsは、政治運動であるのみならず、その活動を通じてひとつのカルチャーをつくったんだと思っています」


 ECDは、SEALDsのデモ活動そのものが「文化」であり「作品」となっており、そこがSEALDsの新しいところであったと評価する。その一例としてECDは、ラッパーの立場からこう語る。


「僕みたいなラップをやっている立場の人間からすると、近年『民主主義ってなんだ?』といったSEALDsのシュプレヒコールで使われるフレーズほど有名になったラップの歌詞はないわけですよ。CDの音源として流通はしていないけれども、今やSEALDsのコールが最先端のラップになっている。これまで行ってきた『サウンドデモ』や反原発のデモでも、ああいったお茶の間にまで届く『文化の発信』はできなかった。そこがSEALDsの新しいところで、だからこそみんなに注目されたんだと思います。SEALDsのデモが報道される時、必ず『ラップ調の』って言葉がつくじゃないですか? なかには、スピーチまでラップでやってるって言う人までいて。そんなことあるわけないんですけど(笑)。ああいった報じられ方に最初のうちは違和感があったんです。でも、ああいったことが報道のたびに言われてたっていうのは、政治活動なんだけれども、だけどそれだけじゃない、『文化の発信』の側面を表現するのには、ああいう風にしか言えなかったんじゃないかなって」


 ECDがこう話すのは、おそらく彼自身がデモのあり方をずっと模索し、試行錯誤を繰り返してきたからだろう。


 ECD が本格的なデモに参加するようになったのは、意外にも40歳を過ぎてからだという。だが、その一方で、こんなエピソードも教えてくれた。


「小学校6年生の時に自分でデモを主催したことがあるんですよ(笑)。当時、学校で長馬って遊びが危ないからって禁止になったんですけど、それに対して『禁止反対』ってデモを僕が言い出しっぺになってやりました。教室の窓にビラを貼ったりとか、プラカードを持って校庭を練り歩いたりとかして。担任の先生もはじめは応援してくれてたんですけど、校長先生やPTAになにか言われたのか、途中でコロっと態度が変わって潰されてしまいましたね(笑)」


 早熟にも、小学生でデモを体験してしまったECDだが、そのあとは、音楽や演劇に夢中になって、政治や社会問題とはほとんど無縁のまま青春を過ごしたという。


 ECDが社会問題に目を向けるようになったのは20代後半、チェルノブイリの原発事故がきっかけだった。その後、この事故をテーマに「PICO CURIE」という楽曲を書き上げる。〈どこにも灰降る死の灰死の灰〉と放射能に対する恐怖をラップしたこの曲は、日本にヒップホップ文化が根付く黎明期において突出して本物志向の楽曲として高い評価を受ける。1989年にはレコード化され、彼が世間に知られるきっかけともなった。だが、ECDは当時のことを振り返りこう分析する。


「いま思うとサブカル的な態度でつくった曲ですよね。恐怖を消費してるだけなんですよ。今思えば。だから、反原発をテーマにした曲を書いたからといって、反原発デモに参加してみるかっていう考えもなかったです」


 しかし、その後、ECDの姿勢を大きく変える事件が起こる。それは、9.11の自爆テロ、そして、それに端を発したアメリカによる報復戦争だ。


 ECDは「これからの世界がどこへ向かうのかわからなくなったし、『戦争』というものが自分にも無関係なものではなくなった」と恐怖に苛まれたと言う。彼のなかで「戦争」がリアリティをともない始めた。


 そして、後のECDの人生を決定づけたのは、イラク戦争開戦当日の2003年3月20日、職場のテレビで見たニュース映像だった。


 そのニュース映像では、世界各地の人々が戦争に抗議するためデモ行動を起こしている模様を報じていた。その姿を見て、いてもたってもいられなくなったECDは、その日の仕事が終わるとその足でデモの行われているアメリカ大使館へ向かった。


 現場に到着すると、アメリカ大使館周辺の道はデモ参加者で埋め尽くされていた。シャイな性格の日本人は、初めてのデモ参加ではなかなか声をあげられないことも多いが、現場の熱狂的な空気に導かれるように、ECDは初めての本格的なデモ体験にも関わらず、「戦争反対」のシュプレヒコールをあげることができたという。


 その直後、ECDは、同じく9.11からイラク戦争の流れを見て政治に関する危機意識を持ち始めたデザイナー、ミュージシャンの石黒景太とともに、サウンドカーに乗ったDJやミュージシャンの鳴らす音楽に合わせて参加者が踊りながら行進する新しい形式のデモ「サウンドデモ」を主催するASC(Against Street Control)の活動を始め、深く関わるようになっていく。


 この「サウンドデモ」はメディアでも取り上げられ、当時の社会運動に大きな影響を巻き起こした。ECDはこう振り返る。


「あの頃のデモは、なにかを成し遂げるための『手段』ではなく、デモを行うことそれ自体が『目的』でした。だから、今みたいにメッセージを伝えるためにプラカードを用意するとか、そういったこともしませんでしたね。あともうひとつ付け加えると、『サウンドデモ』には、『イラク戦争反対』の他に、もうひとつ『路上解放』というメッセージを掲げていて、『車道をダンスフロアにしちゃうんだ』といった目的もありました。だから、音楽に合わせて踊りながらデモをしていたんです。そんなこともあり、あの頃は今と違って、沿道で見ている人たちがどんな反応をしているかもまったく気にしていませんでしたね」


 しかし、ECD のデモに対する見方は、3.11以降、反原発をテーマに据えたデモに関わるなかで大きく変わることになる。そのきっかけとなったのは、震災後の11年4月10日、1万人以上を集めた高円寺の「原発やめろデモ」の後、ネットに書かれていた沿道でデモを見ている人の感想であった。そのネットの書き込みは、大震災、原発事故と、国の根幹を揺るがすような重大事件が起きているのにも関わらず、相変わらずサウンドカーから音楽を鳴らし踊り狂うデモ参加者を見て、露骨に違和感を表明していた。


「実はそのデモには行けてないんですけど、後でネットを見てデモに対する反応を調べていたら、そのなかに『こんな人たちに世の中動かされたくない』と書かれているのを見つけました。それを読んで、こういう捉えられ方をしているのはまずいんじゃないかと思い始めたんですよね」


「サウンドデモ」は、旧態依然としたデモのあり方を根本から変えることで、大きな話題を呼び起こした。しかし、震災、原発事故と、切迫した空気に包まれた3.11以降の日本において、周囲が、単なるどんちゃん騒ぎにしか見えないというのも無理からぬ部分があった。


 そこで、「原発やめろデモ」に続いて始まったのが、Twitterを介して集まった有志による反原発デモ「TwitNoNukes」だった。「TwitNoNukes」は11年4月30日に渋谷で始まり、その後も継続的に続けられていく。翌年4月に官邸前で行われたデモでは、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文なども参加している。


 この「TwitNoNukes」の特色は、サウンドカーを廃止し、コールを支える楽器はドラム隊のみとシンプルなかたちに変わったことである。また、「原発いらない」といったスローガンが書かれたプラカードを掲げ、沿道の人々にきちんとメッセージを伝えることを重視した。


 つまり、デモを行うことそれ自体が「目的」であった「サウンドデモ」とは違う、原発をなくすための「手段」としてのデモを確立したのだ。


 そして、そんななか、2014年に現れたのがSEALDs の前身SASPLだった。若者たちが行うデモに、ECDは自分が取り組んできたデモと共通するものを感じたという。


「根っこの部分は同じだと感じました。旧来の運動のように政治に関する論文などをネタ元にデモをデザインするのではなく、あくまで音楽や映画などサブカルチャーからネタを引っ張ってきている。世代は違えど、そこはすごく共通していると思いますね」


 よく知られているように、SEALDsの文化的ルーツにはヒップホップがある(メンバーのひとり、牛田悦正氏はUCDの名でラッパーとしても活動している)。サブカルチャーから得たものをデモに昇華させることで、格好いいコールや、クールにデザインされたフライヤーなど、スタイリッシュなデモを生み出し、それが多くの人々から受け入れられた大きな要因となった。


 ただ、一方で、SEALDsとこれまでのデモが決定的に違う点がひとつあるという。それは、複雑なコールにせよ、おしゃれなデザインのフライヤーにせよ、SEALDsの面々はデモにまつわる創作物のクオリティーのハードルを下げなかったということだ。


 SEALDsのデモにおいて特徴的なもののひとつとして、「民主主義ってなんだ?」「これだ!」といった、コーラーのコールと、デモ参加者のレスポンスの言葉が違うシュプレヒコール。また、「This is what democracy looks like」といった英語のシュプレヒコールがあげられる。このような複雑なかけ声はこれまでのデモでは見られないものだった。


 これまでは、デモ主催者側が参加者もついてこられるように、あえてハードルを下げたコールを使用していたのだ。ECDも03年の「サウンドデモ」の時点で、「いーのか有事法」のコールに参加者が「よくない」と返す、コールとレスポンスの言葉が異なるSEALDs式シュプレヒコールを考えてはいた。しかし、それが実際に現場で採用されることはなかった。


「僕らはどっちかっていうとハードルを下げてやりやすそうなコールにしてたけど、SEALDsはそうじゃなかった。大衆を侮らなかったし、複雑なコールにしてもリアクションできると信じていた。これまでのデモでそのような考えをできなったことは僕らも反省してる」


 こうしてSEALDsのデモは多くの人々に受け入れられ、大きな社会現象まで巻き起こした。確かに、ECDが言う通り、SEALDsはそれ自体でひとつの「文化」と呼べるほどの存在となったといっていいだろう。しかし、そのうねりが本当の大衆、メジャーのシーンにまで影響をおよぼしたかというと、そうとは言い切れない。


 たとえば、昨年、アメリカではケンドリック・ラマーというラッパーが、相次ぐ白人警官による黒人青年殺害事件を受けて、人種差別問題をテーマとした『To Pimp a Butterfly』というアルバムをリリースしているが、この作品は政治的な歌詞を前面に押し出した重い内容にも関わらずセールス面でも大成功をおさめ、全米アルバムチャート2週連続で1位を獲得している。


 しかし、日本でヒットチャートのトップにいるのは、相変わらずAKB48や嵐といった面々で、SEALDsが巻き起こした社会や政治に対する怒りを反映したような楽曲は見られないのが現状だ。


 しかし、ECDはそんな状況を決して悲観的には見ていない。


「でも、日本には日本人のメンタリティに合った『政治』を歌う歌のかたちがあると思うんですよね。この間ふと考えたんですけど、60年代後半の日本のロックを聴くと、直接政治的なメッセージを出していない人たちのなかにも、同時代の学生運動の空気を反映しているバンドがたくさんあるんですね。例えば、ジャックスというバンドは、曲のなかに政治的メッセージはほとんどないけれど、でも当時、若松孝二の映画に音楽を提供していたりとか、そういう部分の活動ではすごいコミットしてるんです。運動や政治に関する言葉は歌詞に含まれてないし、抽象的なかたちでしか表現されてない歌なんだけど、そういう音楽を好きになって聞いていた影響で、いまデモに参加している自分がいます。たぶん、僕もこれからはそういうものを生んでいかなきゃいけないんじゃないかなと思うんです。直接政治について歌うわけではないけれども、たくさんの人がデモで政権に異議を訴えている、いまの時代の空気を反映させた歌を」


 今年夏の参院選では、憲法改正が大きな争点になる。昨年夏以上の大きな反対運動が起きなければ、おそらくそのまま、安倍政権が全面勝利し、憲法改正になだれこんでいくだろう。


 そのなかで、ECDがどんな新しい歌をつくりだすのか。そして、運動をどう盛り上げていくのか。期待をこめて見守っていきたい。
(インタビュー・文・写真/編集部)


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Profile
1960年生まれ。1980年代後半より音楽活動を始め、日本語ラップのオリジネイターのひとりとして後進のミュージシャンに多大な影響をおよぼしている。最新アルバム『Three wise monkeys』(P-VINE)が発売中。また、文筆家としても活動。『写真集ひきがね 抵抗する写真×抵抗する声』(ころから)の他にも、『失点イン・ザ・パーク』(太田出版)など多くの著作がある。


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