天皇生前退位は憲政史上初 死刑囚も恩赦対象になる可能性

3月16日(金)16時0分 NEWSポストセブン

東京拘置所内の刑場(法務省/AP/AFLO)

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 憲法に定められた天皇の国事行為の一つに「恩赦」がある。“国家的慶事”などの際に、確定している刑罰を減免する制度で、内閣が決定し、天皇が認証する。2019年5月に控える新天皇即位と改元にあたって恩赦が行なわれれば、戦後13回目となる。自身の刑が減免される可能性を、執行の日を待つ「死刑囚」たちはどう受け止めているのか。


 1989年12月8日、ひとりの“元死刑囚”が熊本刑務所から42年ぶりに仮釈放された。72歳になる男の名は石井健冶郎。敗戦直後の1947年に、福岡市内で中国人と日本人のブローカー2人が殺害された「福岡事件」の主犯格とされた男だ。


 7人の逮捕者が出たこの事件のもうひとりの主犯格・西武雄と共に、石井には死刑判決が下った。


 1956年に最高裁はふたりの上告を棄却し、刑が確定。それでも、石井は特別抗告、再審請求の訴えを起こし、西と共に争い続けた。


 1965年には「死刑囚再審法案」が国会に提出され、同法案が国会で審議されている最中の1969年に西と石井は、「個別恩赦(*)」を出願した。


【*政令による恩赦と異なり、死刑囚自ら中央更生保護審査会に対して恩赦を上申するもの。同審査会が「恩赦妥当」かを判断する】


 1975年6月17日、2人の運命を分かつ日は突然訪れた。石井は個別恩赦で無期懲役に減刑が認められた一方、西は「恩赦不当」で却下。それのみか同日午前10時すぎに死刑が執行されたのだ。


 その後、1989年に石井が仮釈放となった際、身元引受人となったのが熊本県玉名市にある「生命山シュバイツァー寺」の古川泰龍住職だった。住職は石井と西の冤罪を訴え、獄中にいた時から2人を支援していた。出所後、石井はシュバイツァー寺に身を寄せ、その後特別養護老人ホームに移り、2008年に亡くなった。91歳。生涯独身だった。


 既に鬼籍に入った泰龍住職に代わって証言するのが、息子の古川龍樹代表だ。


「決して、(石井は)穏やかな最期ではありませんでした。西さんの死刑執行後、遺言として『石井君、最後まで戦ってくれ!』と伝えられたこともあり、出所後もすでに亡くなっている西さんの再審を求める活動を父と共に続けました」


 恩赦を受けて刑務所を出ても、単純に喜ぶことはできない──そんな複雑な心理が浮かび上がってくる。


 制度に詳しい菊田幸一弁護士は2019年4月30日、今上天皇の生前退位における死刑囚の恩赦の可能性についてこう語る。


「難しい問題ではあるが、今回の生前退位は憲政史上初のため、死刑囚も恩赦の対象になる可能性があります。死刑判決が下された事件のなかでは証拠があやふやで、本人も無罪を主張し、再審請求しているケースが少なくない。最終的な判断を下すのは内閣ですが、法務省は検討していると思います」


(文中一部敬称略)


◆文/斎藤充功(ノンフィクション作家)と本誌取材班


●さいとう・みちのり/1941年東京都出身。近現代史や凶悪事件を中心に取材、執筆活動を続ける。『3650 死刑囚小田島鐵男“モンスター”と呼ばれた殺人者との10年間』(ミリオン出版)など著書多数。新著に『恩赦と死刑囚』(洋泉社新書y)がある。


※週刊ポスト2018年3月23・30日号

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