門脇麦 『トドメの接吻』で「不気味カワイイ」魅力全開

3月17日(土)16時0分 NEWSポストセブン

番組公式HPより

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 門脇麦は不思議な女優──彼女の作品を観た大多数の人がそう感じているのではないか。作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏が分析した。


 * * *

 今週最終回を迎えた『トドメの接吻』(日本テレビ系)は、一風変ったドラマでした。


 やたらキスばかりして、そのたびに話がタイムリープし過去に戻ってしまう。見ている側は時系列がゴチャゴチャして頭がこんがらがってしまう。最初は正直、奇をてらったドラマに見えたのです。しかし、じわじわと染み出してくる「切なさ」。これはいったい何? 途中から不思議な「切なさ」に惹きつけられて最後まで引っ張られてしまいました。


 その「切なさ」を醸し出した原動力とは……まさしく「門脇麦」の存在にあったと言えるでしょう。


 物語の主人公・旺太郎(山崎賢人)は、金と権力しか信じず成り上がることが目的のホスト。そのクズな旺太郎を、キスをすることで死に至らしめる謎の女が宰子(門脇麦)。キスで7日の時間を遡りタイムリープすることで、旺太郎は人生の別の選択を繰り返していく、というストーリー。


 冒頭、宰子の登場は不気味でした。オドオドしていて上手くしゃべれず、身体もロボットのようにぎくしゃくし、日本人形のようにオカッパ頭で無表情。


 その宰子が、建物の影でひっそり旺太郎を見張る姿はまるでホラー。無機質感とホラー感が混ざりあった、見たこともない独特な存在。その宰子がねっとりとした肉厚の唇で旺太郎にキスを迫る異色の展開……。


 しかし途中で風向きが変わっていく。


 実は、宰子は海難事故の生き残りで旺太郎に助け出された。そのせいで旺太郎の弟は死んでしまった。生き残った自分を責める宰子。私は幸せになれない。でも、せめてこの人を幸せにしたい。「アナタが幸せになるまで何度でもキスする」「私、アナタの役に立つ道具になる」と、キスの特殊能力を旺太郎のために捧げる。


「自分はキスの道具」と覚悟した宰子の中で、しかし少しずつ膨らんでいく旺太郎への想い。そのあたりから薄気味悪い謎の女が、透明感やあどけなさを纏った少女に見えてきた。不器用ゆえのかわいらしさ、純粋さ。感情と体温を感じさせる人物へと変化していき、切なさが溢れ出てきたのでした。


 まさに女優・門脇麦にしか見せることのできない「不気味カワイイ」宰子像が浮かび上がりました。


 もちろん、門脇さんの演技が光り輝いていたのは、相手役・旺太郎を演じた山崎さんの演技との相互関係の結果でもあります。


「山崎賢人」のイメージといえばイケメン、ラブコメ。今回もチャラいホスト役にとどまるかと思いきや、いやいや。半端ないヤサグレ感と共に、生きる悲しさ、哀愁を潜ませた陰影ある人物を見事に演じ切って、新たな地平を拓きました。


 宰子も旺太郎も満たされていない、何かが足りない人物。お互いがお互いの欠如を埋め合った。けれども最終話、宰子と旺太郎は結ばれることなく、また別々の道へ。まさしく「切なさ」の余韻を残したのです。


「欠如の美」「不足の美」というのは、考えてみれば日本人が好きな王道テーマ。文学の歴史の中でも繰り返し表現されてきました。


 たとえば満月より欠けた月に美しさを見る、という日本的感性は「月も雲間のなきは嫌にて候」 (こうこうと輝く満月よりも、雲間に見え隠れする月が美しい)という言葉で、わび茶を始めた村田珠光が表現しています。


 あるいは、教科書に載っている『徒然草』のフレーズには「咲きぬべきほどの梢(こずゑ )、散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ」とあります。今にも咲きそうで咲いていない枝、花が散りしおれた花びらが落ちた庭こそが美しい、と吉田兼好。そう、花そのものではなく、花が欠けている風景の方を味わっているわけです。


『トドメの接吻』は、一見今風の謎解きミステリーに見えて、根底には脈脈と続く日本的感性の王道テーマ、「欠如の中の美」が流れていたのかもしれません。


 人物像にも、ストーリーにも、達成ではなく欠けたものゆえの魅力がありました。それが「切なさ」につながっていたのだ、と気付かされました。新鮮な視聴体験でした。

NEWSポストセブン

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