トレンド作っていた1989年の女性たちは「情報強者」だった

3月18日(金)7時0分 NEWSポストセブン

 お笑いBIG3(タモリ、ビートたけし、明石家さんま)の代わりに、ダウンタウンやとんねるず、ウッチャンナンチャンなどお笑い第3世代が台頭し、テレビの勢力図を変えてしまった──現在まで続く“平成バラエティーの基礎を作ったのは1989年”とする『1989年のテレビっ子』(戸部田誠著・双葉社)という本が、当時テレビっ子だったR40世代を中心に話題を呼んでいる。


「テレビだけでなく、今当たり前にあることのすべては1989年に始まったといっていい。女性の意識が大きく変化した年ともいえますよ」と語るのは、著述家・湯山玲子さん(55才)だ。


 湯山さんは当時29才。出版社『ぴあ』に勤め、海外を飛び回り、バリバリのキャリアウーマンとして活躍していた。湯山さんが語る。


「私が就職した年は、男女雇用機会均等法(1986年施行)の前だったので、大手企業に男性と同様に働く女の人は補助的な仕事のみを期待され、男女の就職差別が厳然としてある時代でしたね。クライアントから“男の責任者出してよ。女じゃ話にならない”と文句を言われることが本当にあった時代。


 でも、1989年の前は、バブルの好景気があって、女性雇用が増えたんですよ。と同時に、女性が働く上での問題もリアルになりましたね。総合職に入れたはいいけれど、一般職で入社した社員との軋轢だったり、今以上に未熟な育児制度で結婚や出産との両立が難しかったり働くママに不寛容な社会の空気もあり、優秀だった女子たちはみんな辞めていきました」


 本格的な女性の社会進出から27年経った現代でも多くのハードルが立ちはだかっている、と湯山さんは断言する。


「派閥を作る男社会の体制は、まだ現場にくすぶっているし、そこで気に入られる女性は、実力というよりも男を立て、文句を言わない“お酌オンナ”だったりもするんです。女性が本当に働きやすい社会にはまだまだですよ」


 前年の1988年に創刊された雑誌『Hanako』(マガジンハウス刊)の存在は大きかった。今では当たり前の、女性がトレンドをつくる“女性マーケット”はここから始まっている。



「スイーツやワイン、パスタ、雑貨、インテリア…と、『Hanako』発の流行が多く生まれましたよね。これは、女性が自由に“小金”を使えるようになったということ。働くってそういうことなんです。自由になるお金ができる。男や親にお伺いを立てて小遣いをもらうっていうんじゃなくて、自分が働いたお金を好きなように使うっていうのが走り出した時代なんですよ。加えて、自由で、自立していて、おしゃれで、かっこいい女性をドラマで演じた『W浅野』が女性たちのロールモデルになった。


 モノやコトを売るには、女性のセンスが必要だと会社も理解し始めた。女は働く能力もあって、新しいことに敏感で、海外旅行もこなすバイタリティーがある、と。それはつまり女性が“情報強者”となったということなんです」(湯山さん)


 1989年に出版された『お嬢だん』(中尊寺ゆつこ著・双葉社刊)でも、ソバージュヘアの『オヤジギャル』が、『アッシーくん』や『みつぐくん』を都合よく呼び出すシーンがよく描かれている。また、あつかましい中年女性を皮肉った漫画『オバタリアン』はアニメ化され、同年の流行語にも選ばれた。音楽業界でも、女性主導は健在で、『プリンセス プリンセス』など、ガールズバンドが一大ブーム。当時、中学3年生だったコラムニストの辛酸なめ子さん(41才)もその流行を享受していた。


「私も友達とバンドを組んで、プリプリ(プリンセス プリンセス)や米米CLUBの曲をコピーしていました。うちは校則がゆるかったので、美容院で“今井美樹さんみたいに”とリクエストして、ソバージュヘアに。白のブレザーに、チェックのパンツ、Kaepaの靴という、ダサいながらも渋カジを頑張っているような子でしたね。


 冬になると、好きでも得意でもないのに、“みんなスキーに行くものだ”という空気に流され、何度かスキーに行きました。そして夜はディスコに行き、マドンナのヴォーギングを踊る──今思うと、ちょっとした黒歴史なんですが(苦笑)、私でもそれなりに遊んでいました。みんなをのみ込むような時代のパワーはあった気がします」(辛酸さん)


※女性セブン2016年3月31・4月7日号

NEWSポストセブン

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