30代のシングルマザーが「借金ありの虐待男」と縁を切るまで

3月18日(日)16時0分 NEWSポストセブン

母と子だけでも十分暮らせたのに

写真を拡大

 もうすぐ新年度が始まる。新しい学校、新しいクラス、新しい友達に期待を膨らませている子供も多いだろう。一方で、子供への虐待のニュースが止む日がないほど続いている。虐待のパターンにはいくつかあるが、そのうちの一つに、母親のパートナーに子供が虐待されるケースがある。なぜ、母は虐待するパートナーの元をなかなか去ろうとしないのか。過去のつらい出来事を振り返る母親の体験を聞いて、ライターの森鷹久氏が、虐待から脱出する術を考えた。


 * * *

「悪いのは私。この子が中学生、高校生と大きくなって、あの時の事を思い出すかもしれない。私はその時、どうやって接すればいいのか……。謝っても謝りきれません」


 涙ながらに語るのは、埼玉県内に住むシングルマザーのミホさん(仮名・三十代)。二十代前半で、当時二十代後半の男性と「できちゃった結婚」をしたが、旦那はほとんど働かず家事もせず、子供が生まれてくる前にはミホさんの元を去った。しばらくは実家で母親と三人で暮らしていたが、子供の保育園入園をきっかけに実家を出て、さいたま市内のアパートで子供と二人暮らしを始めた。


 昼間は派遣社員として事務作業をこなし、夕方子供を迎えに行く。食事や風呂などを済ませて実家の母親の元に預けた後は、大宮のキャバクラ店で22時から午前3時まで働く。昼夜合わせての収入は月に40万円を超える事もあり、日々の生活に対する不安はなかったが、仕事と子育てに忙殺され、自分の時間が一切ない、という現実に嫌気がさしていた時、キャバクラ店に客としてきていた男性と関係を持ってしまった。


 男性は当時三つ年下のA。不動産会社勤めの日焼けした、いかにも遊び慣れた雰囲気。話もうまく、数回デートした時には金払いも良かった。「子供が好き」「バツイチでも関係ない」といった甘言にも、ミホさんは頼もしさすら感じ取っていた。


「子供を愛していたのは本当です。ただ、仕事と子育てだけで、私は何のために生きているのだろうと思う事はありました。Aと男女の仲になり、やっと自分が”女”だと思えました」


 ミホさんの周囲では、結婚する友人もいたものの、ほとんどが独身。仕事上でも責任感のある立場で活躍し、恋愛も遊びもとプライベートを謳歌する友人たちの姿を羨ましく、そして妬ましくも感じていたミホさんにとって、Aとの出会いは待望のものだった。父親の顔をろくに知らず育った自身の経験も踏まえ、我が子には父親がいないことで寂しい思いをさせずに済むと思うと、安堵感も大きかったのだ。それから間もなく、結婚を前提にミホさん親子はAと同居を開始したが、すぐにAの本当の姿を知った。


「Aには数百万円の借金があり”月収30万”と言っていたのも嘘で、すぐに私が援助する形になりました。働きにいっているようでしたが、サボりぐせがひどく、給与がまともに支払われていませんでした。そのくせ、ギャンブル好きで女好き。キャバクラや風俗にもこっそり通っていたんです。それでも、子供には優しかったし、父親としていてほしい。当時はそう思っていました」


 傍から見れば「破滅まで一直線」とも思えるミホさんの判断は、すでに「男性依存」に陥っていたことを伺わせる。冷静に考えれば、いくらシングルで寂しく大変とはいえど、収入的には何の問題もなく、ミホさんと我が子、そしてミホさんの母親と手を取り合って幸せに生活していけたはずだが、Aの出現で何もかも変わった。


 ミホさんはAに「父親」としての役割を望んでいたが、次第に男性としてのAという存在意義を見つけてしまった。「若かったがゆえの過ち」と本人が回顧するように、子も大事だが、女としての自分、そして男性としてのAの存在も失いたくないという心境だったという。


 子供が保育園に通うようになった頃には、Aは一切働かず、昼間から家でゴロゴロし、夕方になればミホさんの財布から抜き取った金で飲み歩くようにもなっていた。口論も増え、髪の毛を引っ張られたり、肩を殴られることもあった。そしてさらに、そんな二人の様子を見て泣き出す子供にまで、Aは手を出したのだ。


「私たちの喧嘩を見て、子供が泣いていました。Aは酔っ払っており、子供に”うるさい”とティッシュ箱を投げつけた……。私が殴られているのを見て、子供が泣きながら止めに入る……。Aは子供の首を掴んで床に倒し”ムカつく顔したガキ”と言い放った……」


 ポロポロと涙ながらに話すミホさんだが、ここまでされても、まさに我が子に生命の危機が訪れていても、Aとの離別を、Aの前から子供を抱いて逃げ出そうとできなかったのはなぜか。


「夫がいない、父親がいない、という環境でやってきたためか、Aがいなくなることをとても恐れていたんだと思います。子供のために、そして私のためにも夫や父親という男性の存在を求めていたはずなのに、いつの間にかAがいなくなると困る、やっていけない、と勘違いしてしまっていた……。子供が殴られようと、私が殴られお金を取られようと、三人でいるということ、子供と両親、という形でいなきゃいけないと思い込み、Aのやることを我慢していたんです」


 前述したように、父親や夫がいなくとも、ミホさん親子は”普通”に生活ができていた。にも関わらず、父親や夫の”役割”をする存在を求めたのは、世間体だったのか、ミホさん自身が心から”必要だ”と感じたからか。その後もAは働くことなく、家で酒を飲んではミホさんや子供を殴り、罵倒し、家中をめちゃくちゃにした挙句にミホさんの財布から金を抜き取り、飲みに出かけるという生活を続けた。


 そしてある日、泥酔したAが明け方にバタバタと帰宅し、目覚めて泣く子供をビンタした。止めに入ったミホさんも突き飛ばされ、はずみでタンスに頭をぶつけ、五針を縫う大怪我を負ったのだった。


「そこで初めて、母親にAのことを相談したんです。怒った母親が飛んできてAに問い詰めると、Aは泣きながら土下座し謝りました。でも、全然働かず、相変わらず飲んでばかりか”また親にチクるのか”とか”可愛げのないガキ”など暴言を吐き続けました。さすがの私も目が覚めて、Aがいない間に子供と実家に帰りました」


 それから数週間、Aからは電話やメールで数百回も「やりなおそう」などといった連絡が入ったが、すべて拒否。Aが実家に訪ねてきて、自宅の前でリストカットしたり、明け方まで泣き喚いて警察が来ることもあったというが、最終的には弁護士を立て、Aに接近禁止命令が出されたことで、Aとの関係は解消された。


 ミホさんは現在、実家で母親と子供と三人で暮らす。Aと暮らしていた時に、昼職とキャバクラの他に、週に二〜三回はさらに別の仕事もせざるを得なくなっていたが、それも辞めて、昼職のみの収入で慎ましく生活している。


「一番大切なものは何か。今更ですが、やっと気が付きました。世間体なんかじゃなく、子供や親と、私が元気に暮らせればそれでいい」


 警察庁の発表によれば、昨年度、虐待の疑いがあると児童相談所へ通告した18歳未満の子供が6万5,000件を超え、過去最悪を記録したという。これは一昨年から比べると20.7パーセントも増えており、児童や幼児への「虐待」がいかに多いかを示している。一方で、「虐待」への関心が高まったがゆえに、近隣住民が通報したり、児童相談所など当局が積極的に事案に介入していったことの成果であるとも言えよう。ただし、通告事案の被害者である子供たちの多くが、今も虐待を受けているとの報告もある。


 ミホさん親子のように、虐待に遭ってもすぐに逃げ出さなかった例は、決して特殊ではない。親にとって子供は、目に入れても痛くない、彼らのためなら身を投げ打っても構わないと思えるほど、尊い存在だ。だが、そんな思いとは裏腹に、子を守る親としての冷静な判断と行動をとれないことがたびたび起きる。


 暴力をふるわれ続けると、人間は考える力を失ってゆく。暴力を伴う支配や共依存関係をつくられてしまうと、明らかに子供を危険にさらす環境にあるのに、そこから逃げ出すという考え自体が浮かばなくなる。洗脳されたようになるため、自力だけで脱出するのは難しい。未来ある子供を守るために、第三者による助けはもっと積極的に行われてもよいのではないか。


 子を守り育てていくのは親だけではない、といえば古臭い昭和の感覚だと一笑に付されそうだが、理に適っていると思わずにはいられないのだ。

NEWSポストセブン

「虐待」をもっと詳しく

「虐待」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ