“中国警察”からの緊急電話で容疑者と告げられ…スパイとして捜査に協力した初老男性の末路
2025年3月20日(木)7時10分 文春オンライン
成功を夢見て若くして台湾からアメリカに渡ったジェリー・シューは、やはり台湾出身の伴侶を得て3人の子を育てあげ、エンジニアとして定年まで勤め上げた。ようやくアメリカで悠々自適の日々を過ごすかと思いきや、わけあって現在はひとり台湾に暮らしている。なぜならばジェリーは、ある日かかってきた1本の電話をきっかけに、98万8000ドルという大金を失うことになったからだ──。
3月20日に公開される映画『ジェリーの災難』は、初老の移民男性・ジェリーが巨額の詐欺被害に遭った体験をもとに自ら脚本を書き、さらには主演をも務めた作品。すでに各国の映画賞を多数受賞した話題作でもある。
初老の台湾系移民に降り掛かった災難
物語はすべて実話に基づいている。
アメリカンドリームを追い求めつつも慎ましく暮らすことを身上とするジェリーは、自らを「退屈な男」と認めつつも長年にわたって倹約に努め、資産を蓄えてきた。だが芸術家肌で享楽的な妻とは離婚し、3人の息子たちはそれぞれ自立して別居。「もっと人生を楽しめばよかった」と後悔しつつも、ジェリーは独り淡々とした日常を過ごしていた。

ある日、ジェリーのもとに“中国警察”から緊急の電話があり、国際的なマネーロンダリング事件の捜査で自身が第一容疑者になっていることを知らされる。このままでは逮捕の上、中国に強制送還されると伝えられたジェリーは、身に覚えのない罪から免れるため中国警察のスパイとして事件の捜査に協力させられることになる。日々電話で密に連絡を取り合う中国警察の言葉に乗せられるまま、ジェリーは銀行を監視して窓口係を探ったり、極秘かつ巨額の送金を行うなどして、事件の捜査を手伝う。
……と、これが絵に描いたような詐欺である。その驚愕の実話と映画化の全貌を、ジェリー自身とロー・チェン監督ら制作陣に語ってもらった。
──その種の詐欺の手口を知らないことはなかったと思いますが、なぜやすやすと口車に乗ってしまったのでしょうか?
「最初はただ混乱するばかりでしたが、詐欺師たちがとにかく優しいんですよ。中国警察ってこんなに優しいのかと思うくらい。会話のなかでこちらを逐一気にかけて安心させてくれる。だからついガードが緩んでしまって、彼らの言葉を信じ、指示やアドバイスに従ってしまいました」
──それにしてもスパイ映画顔負けの活動に違和感を感じることはなかったんでしょうか?
「隠し撮りをしろとか会話を記録しろとか送金しろとか、マネーロンダリングに関わっていないことを証明するのに、なぜここまでしなくてはいけないのかともちろん疑問に思いました。彼らに聞いてみたら、『これは君の無実を証明するため』『君のことを助けようとしている』『君は素晴らしい協力者だ』なんて励まされて、やる気にさせられる。『上海では名誉市民扱いになる』とも言われました。なおかつ、日々の体調を気遣ってくれたり、監視活動を褒めてくれたりもするので、もう完全に味方だと思っていたんです」
──銀行に対して実際にスパイまがいの捜査を行なっていましたが、おかしいとは思いつつも使命感に燃えるようなところはあったのでしょうか?
「はい、映画の描写には演出が入っていますが、あの銀行を捜査しなければならないと思っていたのは事実です。なにより、強制送還は恐ろしいですからね」
映画化による心の回復
──すべての送金を終えて詐欺に遭ったことに気づいたときは、どういった感情を抱かれたのでしょうか?
「世界が崩れていく感覚。やっぱり相当ショックでしたね。馬鹿なことをした、この先どうやって生活していこうかとぐるぐる考えながら、相当なストレスを感じていました。そして、そこで初めて息子に連絡しようと思い立ったんです。なにしろ“中国警察”からは『潜入捜査は家族にも口外できない』と厳命されてましたからね」
その息子とは、今作のプロデューサーを務めるジョン・シューである。ジョンは父親の突然の告白に当初は驚くばかりだったという。
「住む場所に物理的な距離があるし、男同士ということもあって用がない限りは連絡をとりあうことはありません。たまに会話して元気だからと安心しきっていたことで、父があんな目に遭ってしまったことには罪悪感を感じます」
その物語を映画化しようというアイデアはどこから出てきたのか。この質問に対してはチェン監督が言葉を引き取る。
「CMプロデューサーのジョンとはニューヨークで10年来の付き合いなんですが、ある日ジョンから『父に最悪のことが起きた。真相を突き止めてFBIに情報を提供するのに力を貸してほしい』と言われ、ふたりでジェリーが住むフロリダを訪ねたのがきっかけです。ジェリーから事の顛末を聞いて、これは映画の題材になると思ったんです」
──近年のアメリカ映画では、アジア系アメリカ人による作品がブームと言えるほど盛り上がっていますが、制作にあたってそれが追い風となった部分はあるのでしょうか?
「はい、恩恵を受けた部分はあると思います。僕らの作品はアジア系アメリカ人のある体験を描いているわけなんですけど、少し前ならアメリカの異文化圏の話は見向きもされなかったと思います。でも今は『ちょっと見てみようか』みたいな機運があると思うんです」
ジェリーからのメッセージ
当のジェリーは映画化によって、世界中の詐欺被害予備軍にメッセージを送りたいと考えている。
「私の体験と映画が、多くの人たちにとって警鐘となれば嬉しいです。奴らの手口を知ってほしいし、私以外の被害者にもっと自分の体験を語ってほしい。世界中で多くの人が被害に遭っているわけですから」
そして、一連の出来事にはポジティブな面もあったという。
「私はいま、生活コストを抑えるために台北で暮らしています。家族との物理的な距離は遠くなりましたが、映画がきっかけで再び集まる機会が増えたのはすごく嬉しいです。散々な目に遭ったわけですけれど、なんかそういうのも忘れちゃうぐらい楽しい団欒を楽しめているんです。失ったものは大きいけれど、最終的にはいい経験になりました。事件と映画化の話がなければ、つまらない単調な定年生活を送っていたと思います」
実は渡米したての頃のジェリーは、その後の人生からは想像できない夢を持っていた。そして今回の映画化により、その夢は叶ったとも言える。それがなにかについてはスクリーンで確かめてもらいたい。なにより今作がヒットして、少しでも損失を取り戻せるよう祈るばかりである。
映画『ジェリーの災難』
3/20(木・祝)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開
主演|ジェリー・シュー
監督|ロー・チェン
脚本|ジェリー・シュー/ロー・チェン
配給|NAKACHIKA PICTURES
制作|2023年 アメリカ 上映時間|75分
https://jerry-movie.com/
(渕 貴之/週刊文春CINEMA オンライン オリジナル)