“いいとも”の聖地・スタジオアルタ「休業」で振り返る「放送禁止」事件簿

3月21日(月)9時57分 アサ芸プラス

「笑っていいとも!」(フジテレビ系)終了から早2年、収録が行われたスタジオアルタが3月末で休業する。生放送バラエティの歴史を振り返るとともに、今では絶対見られない「放送禁止シーン」をお届けしよう。

 3月31日放送予定の「出張!5時に夢中! in新宿スタジオアルタFinal」(TOKYO MX)でお役御免となるスタジオアルタ。初収録番組は「日本全国ひる休み」(フジ系)で、放送開始日はちょうど36年前の3月31日。テレビ解説者の木村隆志氏が語る。

「それまで正午に民謡番組を放送していたフジが、初めてバラエティの要素を取り入れた革命的な番組改編でした」

 その半年後にスタートしたのが「笑ってる場合ですよ!」(フジ系)。当時の漫才ブームに乗って、総合司会にB&B、レギュラーにツービートや紳助・竜介ら人気お笑いコンビを起用し、昼の帯番組に一石を投じた。

「印象深いのは勝ち抜きブス合戦。毎回2人の素人女性が登場して、どちらがブスかを決める企画。当時、進行役を務めていた芸人が『ろくなブスがいない』と、その前の新婚さんコーナーに出ていた新婦さんを壇上に連れてきたこともありました」(前出・木村氏)

 こんな常識破りの演出で番組は熱狂的な支持を集めたが、81年1月15日に“笑えない”事件が起きた。

「観客を決めるのは先着順で、早く行けば誰でも観覧できたんです。その日は祝日だったため、希望者が殺到しました」(前出・木村氏)

 その結果、アルタ前で群衆が将棋倒しになり、2人が負傷する惨事となった。

「事件当日は、無観客試合ならぬ無観客放送に。実は以前から学校をサボッて観覧に出かける中高生が続出して問題になっていました」(前出・木村氏)

 この教訓を生かし、観覧希望者に対して年齢制限と「ハガキ抽選」の制度を設けたのが82年10月スタートの後番組「笑っていいとも!」(フジ系)だ。

「司会のタモリさんはその前年の6月まで、日曜の昼にテレビ東京で『タモリの突撃生放送』という冠番組を持っていました。これもアルタで収録されていて、タモリさんにとっては勝手知ったるスタジオだったのです」(前出・木村氏)

 とはいえ、生放送に思いがけない出来事は付き物。芸能評論家の織田祐二氏が真っ先にあげるのは、05年9月21日に勃発した放送事故だ。

「トークのゲストが山崎邦正(現・月亭方正)。何も話題がなかったため、客席に話を振ったところ、ある男性が『いいともが年内に終わるって本当ですか?』と失礼な質問をタモリさんにぶつけたんです」

 タモリは少しも動揺を見せずに番組を進行したが、

「CMの間にその男性は退席させられ、代わりにクマのヌイグルミが置かれていたんです。都合の悪いモノは、画面から排除する。この“観客粛清現場”に、あの北朝鮮中央テレビに通じる薄ら寒さを感じました」(前出・織田氏)

 中でもテレフォンショッキングは、ゲストが友人を紹介して「友達の輪」を広げていく名物コーナーだった。

「84年には間違った番号に出演依頼の電話をかけてしまったことから、翌日に本当の素人がゲストとして登場する珍事が起きました」(前出・木村氏)

 アルタ事件簿は尽きない。12年3月8日には、矢田亜希子が友人であるはずの大竹しのぶに電話で、

「初めまして」

 と挨拶する衝撃シーンが生公開された。

「この“矢田事件”以降、友達じゃなくてもOKという流れになりました。放送開始から30年間隠蔽されてきた真実を白日の下にさらした点において、矢田を評価したい」(前出・織田氏)

 幾多の伝説を残した名所は今後どうなるのか。同スタジオに問い合わせると、

「何も発表できる段階ではございません」

 と、言葉少なに答えるのみ。せめてエンディングだけは平穏無事に迎えてほしい。

アサ芸プラス

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