1990年にデビュー曲「恋しくて」がヒットしたBEGIN。石垣島の幼馴染が東京で再会、ボーカルはじゃんけんに負けた比嘉に決定…島袋「3人の出会いを遡ると感慨深い」

2025年3月21日(金)12時0分 婦人公論.jp


右からBEGINの島袋優さん、比嘉栄昇さん、上地等さん(撮影:木村直軌)

1990年にデビュー曲「恋しくて」が大ヒット。その後も「涙そうそう」「島人(しまんちゅ)ぬ宝」「笑顔のまんま」「海の声」など、沖縄の魂を感じさせる楽曲を作り続けてきたBEGIN。石垣島の小学校の同級生3人で結成されたバンドは、3月21日にデビュー35周年を迎える(構成:丸山あかね 撮影:木村直軌)

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音楽を通じて運命的に出会った


比嘉(栄昇) デビューしたのは22歳の時だけど、石垣島の小学校の頃からの幼馴染みだから親戚みたいな感覚だよね。

島袋(優) 大きな喧嘩をしたこともないし。

上地(等) みんな、いい人だから。

比嘉 気持ち悪いこと言うなよ。(笑)

上地 いや、自然体だってことを言いたいわけ。たとえばコンサートでも、僕らは家を出た時のまんまのようなスタイルで、ステージに立ってる。気取らないスタンスが一致してるじゃない?

比嘉 コンサートっていうより宴会。僕らが余興担当で、今日は貸し切りの空間だから、みんなで楽しもうよ、みたいな。ここまでやって来られたのはファンのみなさんのおかげだけど、もはやファンだとは思ってなくて、仲間って感じなんだよね。

島袋 それにしても、35年ってすごいよね。3人の出会いを遡ると感慨深いものがある。

上地 改めて考えてみると、全校生徒が1000人くらいいるマンモス校のなかで友達になったというのは運命的で……。僕は優(まさる)とは同じクラスになったことはないんだけど、栄昇(えいしょう)を介して知り合ったんだよね。

島袋 こっちはそれ以前から知ってたけど。等(ひとし)は音楽活動をしてて目立つ存在だったから。

上地 僕は9歳年上の兄貴の影響でフォークソングを聴いて育って、小学校4年生の頃にはギターの弾き語りをしてた。優も早くから音楽に目覚めてたんじゃない?

島袋 親戚にドラムをやってる一回り上の兄ちゃんがいたんだよ。で、当時、バンド小僧のたまり場だった「根間楽器」へついて行って、エルヴィス・プレスリーとかのオールディーズばっかり聴いてた。

店内のレーザーディスクでライブ映像を観てるうちに、70年代の音楽に惹かれていったって感じかな。中学に入ってすぐに仲間とロック系のバンドを組んだんだけど、栄昇がエレキギターを持ってるらしいという噂を聞いて、一緒にやろうって誘ったんだよね。

比嘉 うちは親父が田端義夫さんのファンで、「十九の春」とかよく歌ってた。あれは沖縄民謡だからさ。

島袋 うちも、じぃちゃんとばぁちゃんが民謡をやってて、祝い事のたびに親戚が集まって弾いて歌って踊ってた。

上地 うちには三線はなかったけど、琉球太鼓があったよ。

比嘉 わが家にはアコースティックギターがあって、僕が最初に弾いたのは、小椋佳さんの「さらば青春」。コードが簡単だからって等が勧めてくれたんだよ。で、そうこうしてるうちに親父が透明のエレキギターを買ってきて、そこからベンチャーズなんかを弾くようになって。中2の時、優のバンドにサイドギターで参加したんだよね。

上地 僕は自分のバンドをやってたから、そのあたりの事情には詳しくないんだけど……。

島袋 高校に入ったらリーダーが抜けて、バンド名を変えようって話になってさ。

比嘉 辞書をパッと開いたところに出てきた言葉にしようと思い立って、目に飛び込んできたのが「BEGIN」だった。

島袋 バンドを仕切り直そうってタイミングだったから、ピッタリだなと思ったよ。

比嘉 僕は白百合クラブ(石垣島出身の長寿バンド)の人たちが、戦後の何もない時代に舞台を飾っていたのは、チューインガムの銀紙で作った紙吹雪だったって語っていたのが頭に残ってて、GINはいいとピンときた。

島袋 ボーカルが抜けちゃった問題もあって、ジャンケンで決めることにしたんだけど、栄昇が負けて。初めて歌声を聴いた時はウワァー、ってなった。圧倒的に上手くて、ボーカル決定! みたいな。

比嘉 ヤバいなぁって思ったよ。引っ込み思案な質だから、人前で歌うなんて冗談じゃないって感じで。音楽は好きだったけど、4歳くらいの時に親戚のオバチャンから、「比嘉家には夢半ばで亡くなった歌の上手い人がいて、どうやらお前に思いを託してるらしいよと、近所のユタ(霊媒師)の女性が話してた」と聞かされて以来、歌は怖いって避けてたし。

上地・島袋 ハハハ!

比嘉 こっちは家業の建築業を継ぐって決めてるのに、勝手に歌うことを託されても困るっていうか、嫌ですって思ってて。

島袋 でも結果、今も歌ってる。

比嘉 だから不思議でしょうがない。

「恋しくて」でプロデビューしたけれど


上地 不思議な流れは僕も感じる。音楽教師を目指して東京の音楽大学へ進学した時は、再びバンド活動を始めるとは思ってなかったんだから。

島袋 同じく。僕は空間デザインの仕事に就くことを夢見て、東京の美術大学を受けたけど見事に落ちた。で、美大の予備校に通ってたんだけど、上京してからはバンドのことは忘れてた。

上地 あの頃はよく、上京したウチナーンチュ(沖縄県人)の仲間と、池袋の優のアパートに何をするでもなく集ってたよね。

島袋 笑っちゃうのが、等と一緒に秋葉原の家電店へ行ったら、栄昇がいてさ。

上地 なんで沖縄本島の大学へ進学したはずの栄昇が東京にいるの? 幻か? みたいな。

比嘉 ワハハ。大学に落ちて、カッコ悪いからこっそり上京して予備校に通ってた。そのうちバッタリ会うかなとは思ってたけど。

島袋 石垣ならともかく、東京では普通、会わないでしょ。

上地 今にして思えば、あの時がターニングポイントだった気がする。そこから栄昇も優の家に来るようになって、またバンドやんない? って話になるわけだから。

島袋 栄昇が言い出した時は断ったのに、ギターのことが頭から離れなくなっちゃって……。

上地 僕も寝た子を起こされた感じで、気づいたら2人と一緒に練習してた。仲間が結婚パーティーをした東京の小さなライブハウスで演ったよね。あれも転機だったんだよ。店の人から定期的に演奏しないかって声をかけてもらったんだから。

比嘉 始めたはいいけど、お客さんはいつも仲間が数人だけだった。で、活気づけたいみたいなのがあって、当時、すごい人気だったTBSのオーディション番組『イカ天(三宅裕司のいかすバンド天国)』に出演するってライブ中に言ったんだよね。

島袋 ほんの冗談のつもりだったのに、仲間から「いつ出るんだよ」ってガンガン連絡が入るようになって、慌てて応募したら出演が決まって。

上地 オリジナル曲ないけど、どうすんの? ってなった。

比嘉 作詞作曲なんてしたことないしって思ったんだけど、いや待てよ、「恋しくて」があるじゃないかと。優が遠距離恋愛してた彼女にフラれて生まれた歌だよね。

島袋 20歳のある日、彼女から話したいことがあるって手紙が来て、テレフォンカードが入ってたんだけど、「都会の絵の具に染まったあなたとは別れたい」って件だなと察して。

上地 「木綿のハンカチーフ」的に。(笑)

島袋 とにかく電話するのが怖くて、栄昇に電話ボックスまでついてきてもらったんだよ。寒い日で、なんなら雪がちらついてた。でも話が終わるまで、ずーっと外で待っててくれたよね。で、失恋はしたけど、自分には仲間もいるし、みたいなことを考えてたら、なんとなくメロディが浮かんできて。

比嘉 ブルースにハマってたから、ああいう曲調の歌になったんだろうね。

島袋 等の車のなかで、こんな歌ができたってギターを弾きながら2人に聞いてもらった時は、死ぬほど緊張したよ。まさか「恋しくて」でプロデビューできるとはね。

上地 そもそも5週勝ち抜けるとも思ってなかったし。

比嘉 2代目イカ天キングに選ばれてから、いつものように山手線に乗ったら、車両中の人たちから「おめでとう!」って拍手されて不安になった。何かが始まろうとしてる、ヤバいって。僕は石垣に帰りたかったし、でも音楽で認められたのは嬉しかったしで、複雑な心境だったのを覚えてる。

上地 わけもわからずプロとして走り始めたけど、3人でBEGINを再結成してからわずか2年でデビュー曲が大ヒットするっていうスピード感についていけなかったよね。

<後編につづく>

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