アントニオ猪木の実弟が明かす<倍賞美津子との1億円挙式>の裏側。「美津子さんは気さくな人だった。引っ込み思案な兄貴だが、この人ならと」

2025年3月21日(金)12時30分 婦人公論.jp


(写真提供:講談社)

2022年10月1日に永眠された、プロレスラー・アントニオ猪木さん。実弟である猪木啓介さんは2025年2月、アントニオ猪木さんのライセンス運営を管理する「株式会社猪木元気工場」の新社長に就任し、<元気>を発信し続けています。今回は、啓介さんが<人間・猪木寛至>のすべてを明かした書籍『兄 私だけが知るアントニオ猪木』から、一部を抜粋してお届けします。

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倍賞美津子との「1億円挙式」


「女優の倍賞美津子と結婚することになった」

兄貴からそんな連絡があったのは1971(昭和46)年のことだった。

日本の芸能界についてそれほど詳しくなかった私たちも『男はつらいよ』のヒロイン「さくら」を演じていた倍賞千恵子さんの名前は知っていたし、その妹である美津子さんと聞けば、詳しくは知らなくとも日本での人気ぶり、活躍ぶりは想像がついた。

最初に結婚した(入籍はしていなかった)ダイアナさんとはすでに話し合いのすえ別れ、美津子さんとの結婚に支障はないという。後に聞いたところでは、日プロの先輩・豊登通春の紹介で意気投合したらしい。

プロレス界ではジャイアント馬場と並ぶスター選手となっていた兄貴も、やはり王貞治、長嶋茂雄といった巨人の看板選手や、芸能界の大スターと比べれば知名度は劣る。実際、当時は「猪木が結婚」ではなく「倍賞美津子がプロレスラーのアントニオ猪木と結婚」と報じられたことのほうが多かった。

ひとつのプラン


ちょうどそのころ、私にはひとつのプランがあった。日本に帰国して兄・寿一の母校でもある拓殖大学に通い、空手と日本語を学ぶという計画である。

9歳でブラジルに渡り、その後14年間ブラジルで暮らした私はすっかり「ブラジル人」になっていた。大人になってから移民した母や兄たちとは異なり、現地の学校で学んだために、使う言葉もポルトガル語。逆に言えば、日本語のボキャブラリーは小学生程度の水準で止まっており、兄の寿一からこうアドバイスされたのである。


『兄 私だけが知るアントニオ猪木』(著:猪木啓介/講談社)

「啓介、これから何の仕事をしていくにしても、日本での人脈を作り、日本語もうまくなっておいて損はない。拓大に留学の枠があるから、このあたりで少し勉強しておけ」

いわばブラジルから日本への「逆留学」だが、私はそのすすめに従って、拓殖大学へ入学する準備を進めていた。そんなときに持ち上がったのが、兄貴と倍賞美津子さんの結婚だったのである。

14年ぶりに日本へ


1971年秋、私と母は日本帰国を果たした。母はその前にも一度日本に戻っていた時期があったが、私が日本の土を踏むのは14年ぶりである。空路の移動とはいえ、いまのように直行便はない。サンパウロからリオデジャネイロ、そしてリマ、ロサンゼルス、アンカレッジと経由して日本に着く。48時間の長旅だ。

全国を巡業中の兄貴は東京にいなかったため、羽田空港には兄貴の運転手が迎えに来てくれた。そこで美津子さんの父、倍賞美悦(みえつ)さんにも初めて挨拶をした。都電の運転手をつとめていた美悦さんは当時、芸能界で活躍する千恵子さん、美津子さんの仕事を裏方として支えていたようだった。

車窓から見る街並みは、大きく変貌していた。1960年代に著しい経済成長を遂げた日本の首都・東京は交通量も激増しており、故郷に戻ってきたというよりも、まったく別の国にやってきたような錯覚さえ感じられた。

取り急ぎ、私たちが向かったのはかつて兄貴がダイアナさんと暮らしていた野毛の一軒家である。兄貴は練馬にある倍賞美津子さんの家に居候状態で、しばらくは空き家になっているこの家を使ってくれという。

家のなかに入ってみると、GE(ゼネラル・エレクトリック)製の洗濯機や冷蔵庫が備え付けられており、あらゆる場所にアメリカ人であるダイアナさんの感覚に合わせたカスタマイズが施されていた。これだと、美津子さんも暮らしにくかったに違いない。

その後、結婚式を控えた美津子さんにも挨拶した。売れっ子女優である美津子さんはいたって気さくな人で、私を「啓ちゃん」と呼び、どんな人に対しても壁を作らない天性の社交性を持ち合わせていた。

「引っ込み思案な兄貴だが、この人とならうまくいきそうだ」——私は初対面のときからそんな予感を抱いていた。

モルフォ蝶の標本


この年11月2日、兄貴は京王プラザホテルで結婚式を挙げた。プロレス界のスターと人気女優の結婚とあって、仲人は三菱電機の大久保謙会長夫妻がつとめ、新聞は「1億円挙式」と書き立てた。

私が母に声をかけた。

「兄貴って有名になったんだな」

母は、引き出物に用意されたモルフォ蝶の標本を見つめながら、こうつぶやいた。

「そうね。寛至は頑張ったのよ」

モルフォ蝶はブラジルに生息する大型の蝶で、その青く美しい羽は蒐集家たちの間で高い人気がある。引き出物に自身の「原点」を込めた兄貴のメッセージは、母の心に響くものがあったのだろう。

※本稿は、『兄 私だけが知るアントニオ猪木』(講談社)の一部を再編集したものです。

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