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羽生善治「将棋はゲーム」と言い切る革命児

3月22日(金)11時0分 文春オンライン


 羽生善治が再び五冠王となった2000年度。この年度に羽生が記録した最多対局、最多勝数はいまだに破られていない(2019年3月現在)。充実する棋界のトップランナーについて、作家の目にした珠玉のエピソードが披露される。(肩書は初出当時)


初出:「文藝春秋」2001年6月号



◆◆◆


 最多対局89局、最多勝利68勝、勝率1位7割6分4厘、連勝14。これが2000年度の羽生善治の成績である。記録4部門すべてを独占し、5つのタイトルを保持した。対局数と勝利数は歴代最高記録をマークしている。


 しかも、その対局のほとんどはタイトル戦か、挑戦者を決めるリーグ戦である。予選を勝ち抜き、羽生への挑戦権を獲得した棋士たち全体で、羽生に対して2割5分の成績しか収められないというのが、厳然たる現実なのだ。この勝率は、アマチュアならば飛車落ちか角落ちほどの差となってしまう。なぜ羽生ばかりがこんなに勝ち、他の棋士との間に埋められない差ができていくのだろうか。


マシーンのように怜悧で猛々しく迫力に満ち溢れていた



将棋界に革命をもたらした羽生善治 ©文藝春秋


 羽生善治の出現は将棋界にとって一滴の血も流れない何の音も聞こえてこない、しかしそれは確実な革命であった。将棋界には羽生以前、羽生以後といっていいくらいの大きな変革がもたらされた。将棋界の勢力図が一変したばかりではない、それまでの棋士たちの価値観は瓦解し、将棋への考え方からライフスタイルに至るまで、羽生を旗頭とする天才集団に席捲されていったといっていいかもしれない。


 奨励会入会年度から昭和57年組と呼ばれる羽生世代(羽生は昭和45年生まれ)は、羽生以外にも佐藤康光、森内俊之、郷田真隆らのタイトル経験者やトップ棋士を輩出している。現在のタイトルを保持しているのは五冠の羽生をはじめ、藤井猛竜王、丸山忠久名人とすべて羽生以降の世代である。


 小学6年生6級で棋士の養成機関である奨励会に入会した羽生は、10年で卒業すればいい方で15年以上かかる者もざらにいる奨励会をわずか3年でクリアし、15歳で四段昇段を果している。中学生棋士は加藤一二三谷川浩司に続く史上3人目の快挙であった。奨励会時代からおそろしく強い少年がいるという風評は将棋界に響き渡っていて、その姿を一目見ておこうと、当時、日本将棋連盟に勤務し、「将棋マガジン」を編集していた私も奨励会の対局をのぞきにいった覚えがある。有段者に交じって対局している羽生は少年の面持ちで、神経質そうに体を揺すりながら畳にへばりつくような低い姿勢で将棋盤に向かっていた。キラリと光る眼鏡の奥から、容赦なく対局相手を睨み付けていた。その姿はまるで将棋を戦うマシーンのように怜悧で猛々しく迫力に満ち溢れていた。



 四段に昇段した羽生はその後も圧倒的強さで各棋戦を勝ちまくり、19歳の時には棋界最高位である竜王位を奪取してあっという間にスターダムにのし上がった。


 羽生がまだ高校生になりたての頃、仕事で一緒に大阪に行ったことがある。駒落ちの指導対局をしてもらったのだが、二枚落ちの子供を相手にしても羽生ニラミをするのには驚いた。相手や手合いがどうであれ、盤に向かえば常に本気モードなのである。



 大阪から新幹線に乗っての帰路、私と羽生は並んで座っていた。野球の話になってアンチ巨人の私が「巨人ファンは子供だよ」と言ったとたん羽生はプイと窓の方を向いてしまい、とうとう東京に着くまで一言も話さなくなってしまった。


「将棋は完全なボードゲームである」


 四段に上がって少しした頃から、羽生の発言や所作があちこちで取り上げられるようになった。対局中に大きく体を揺するのはどういうものか、という棋士もいたし、羽生ニラミは失礼だという棋士もいた。谷川浩司はタイトル戦対局中に羽生が目の前でいきなりリップクリームを塗り出し、あれにはびっくりしたと言って苦笑いしていた。もっと後のことになるが、名人経験者などの先輩棋士が相手でもどんどん上座に座るので問題になったこともある。後に羽生のトレードマークになる髪の毛の寝癖も話題になった。私はあれは寝癖ではなくて、羽生の脳波が飛び散っていった足跡のようなものなんだと、編集部員たちに持論を展開した。だからいくら直しても、羽生の脳が働きだすと風に吹かれた麦畑のように髪の毛が乱れるのだと。



 竜王になった直後くらいのことと思うが、羽生は「将棋は完全なボードゲームである」という発言を何度か繰り返したことがあった。一見当たり前のように思われるこの発言も実は将棋界では、なかなかそう断言することは難しかった。


 それまでの将棋界においては、将棋は人間の総合力を集結した、ゲームというよりも道に近いもの、という考えが主流だった。羽生をゲーム派とすれば、人生派とでもいうべきスタイルである。


 その代表格が大山康晴十五世名人といえるかもしれない。将棋が強いだけではなく、たとえば自らの意向でタイトル戦のスケジュールを決め対局場を決めと、そこからがすでに勝負の始まりであった。タイトル戦では自分のペースであらゆることを仕切っていく。タイトル戦を主催する新聞社の関係者は大山の麻雀の面子に加えられ、いつの間にか大山の対局相手が孤立してしまっているような状況が巧みに作り上げられてしまっている。もちろん大山は盤の上だけでも十分に強いが、しかし生きていることすべてを将棋に有利に持っていこう、そこまでやっての勝負であるというような考えであった。



将棋界の「人生派」を全否定


 酒や遊びが人間性を深め、将棋を強くするという考えも根強くあった。



 しかし、わずか19歳の青年羽生は、将棋はジャスト・ゲームであると言いきったのである。酒も遊びも将棋とは別のもので、それによって将棋が強くなることはあり得ないと。それは同時に盤外戦の完全否定でもあった。


 ゲームとしての将棋だけにわき目を振らず羽生はのめりこんでいく。その結果がリップクリームであったり上座下座事件であったりするのであり、要するに羽生にとっては大きな問題ではないのである。


 しかし、それは大なり小なり人生派的な考えを持つ羽生以前の世代の棋士たちにとっては、それまでの将棋を全否定されたにも等しい衝撃であった。盤外戦術を否定し盤にひたすらのめりこんでいくことや、「将棋はゲーム」という言葉さえも、羽生の全く意識しないところで盤外戦術になっていたのだとしたら、それは全く皮肉なこととしかいいようがない。


「打ち歩詰めがなければ、先手が有利」


 羽生善治が七冠に挑んでいる頃だから、おそらくは1995年の夏くらいのことだと思う。将棋界では羽生がもらした一言が大きな話題になっていた。


「打ち歩詰めがなければ、将棋は先手が有利」という発言である。


 打ち歩詰めとは、持ち駒の歩で王様を詰ませることで、将棋にはそれを禁じるルールがある。どちらかというと、王を持ち駒の歩ごときで殺すのは失礼に当たる、という日本人的な精神から作られたルールではないかと解釈されてきた。


 しかし、羽生は、それがいわば将棋の結論にかかわるルールだ、と示唆したのだ。将棋界は騒然となった。


 生真面目な佐藤康光九段は、この言葉の意味を3日間考えて、結論も出ず証明もできなかった。素直で正直な森下卓八段はまる一日考えて、考えることをやめた。勝負に辛い森内俊之八段は最初から考えることもしなかった。先崎学八段は「また、そんなことを思いつきで言って、皆を煙に巻こうとしているんだ」と笑い飛ばした。




「終盤の寄せのパターンは260通りに分類される」


 先崎がそう言うのには訳があって、羽生にはデビュー以来、いくつかの「不規則発言」で棋界を混乱させてきた経緯があるのである。


 有名なものでは「将棋の終盤の寄せのパターンは260通りに分類される」というのがある。これは羽生が四段になって間もない頃の発言で、正確には羽生は260通りとは言わず何百かのパターンに分類されるという意味のことを言ったのだが、あっという間にそう広まってしまった。


 この発言を聞いた棋士は深く考え込み、右往左往せざるを得なかった。もし羽生だけが、自分たちが知らない将棋の真理を知っているのだとすれば、それは同じプロとして致命傷になりかねないからだ。


 もちろん羽生は終盤のパターンをすべて解析できた、と言ったのではない。しかし、無限大とまではいかなくともほとんど天文学的な数ほどあるだろうと思われていた将棋の終盤のパターンを数え上げることができると発想すること自体が衝撃的だった。そしてその作業を着々と行っているであろう羽生という思考回路の存在に誰もが衝撃を受けたのだった。



ゲームの本質に正面から向かい合っている


 私も自分なりに「打ち歩詰めがなければ先手有利」の意味を考えてみた。



 インドで発生した将棋が日本に伝来したとき、最初は先手が圧倒的に有利なゲームだった。何度やっても先手が勝つので、なるべく結果を互角かそれに近いものにするためのルールが必要になった。取った駒の再使用(これは将棋を世界に類のない複雑かつ魅力的なゲームにしている)、駒が敵陣で成る(この二つのルールがないチェスは先手有利といわれている)、二歩の禁止等々。


 つまり、逆に言えば現状のルールをなくせば、すべて先手が有利になる。従って打ち歩詰めのルールがなくなれば、先手有利となる。羽生はそのことを言っているのではないかと私は思い至ったのである。


 そう考えたとき、羽生の「不規則発言」は、哲学者の口からこぼれた真理の細かなかけらのようにも聞こえてくるのだ。トッププロでありながら、将棋というゲームの本質に正面から向かい合っている羽生という青年に、私は驚きを禁じえなかった。



(大崎 善生/文藝春秋 2001年6月号)

文春オンライン

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