小宮悦子 「久米宏夏休み」と「ダイアナ妃」が大きな転機に

3月22日(金)7時0分 NEWSポストセブン

女子キャスターのパイオニアが語る

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 1985年から1998年にかけて『ニュースステーション』(テレビ朝日)を久米宏氏とともに支えた小宮悦子さんは、その後の報道番組における「女性キャスター像」を作り上げたパイオニアである。小宮さんが、変遷していく女子アナの役割と、自身の転機となった体験を語った。(聞き手/岸川真=作家)


 * * *

『ニュースステーション』は13年にわたって担当することになりましたが、いまになって思うのは、私は常に“二番手”の存在だった、ということ。


(本誌・週刊ポスト1月18・25日号『平成最強の女子アナ30』をめくりながら)こうして1位に選んでいただいたことは感謝しかなくて(※小宮は読者投票の同企画で1位になった)。


 もちろん、番組のおかげでアナウンス力や知名度は上がりました。でも、私自身に一人で戦うという気概は薄くて、メインの男性を支えるポジションに終始していたと言われても反論できません。とにかくニュースに向き合うことが楽しくて、役立つことなら何でもやるつもりでした。


 いわゆる“秘書”的なイメージですね。


 当時は意識していませんでしたが、そうしたイメージを定着させた、という指摘を受けると、なるほどそう見えていたのか……と気づかされる思いです。今は女性アナウンサーがみなさんバリバリでメインを務めてらっしゃいますから、“秘書イメージ”はなくなったと思いますけどね。


 番組開始当初の1985年に男女雇用機会均等法が制定されたこともあり、番組では私の衣装に「働く現代女性」のイメージを取り入れようと意図していました。


 肩パッドなんかアメフトみたいに大きくて、流行の逆三角形のスーツを着てメイクも濃い目にして。


 久米さんがお話しされるときに、フリップを立てる役割もありまして。あるニュースがあって、説明が一度終わるでしょ。そこでフリップに用はなくなるんですが、久米さんの場合は喋っているうちにもう1回フリップを必要とするシーンがあるんです。


 その瞬間を私は見逃さない。フワッと自然に(立てる)。それをカメラが抜くんですね。この呼吸を飲み込んでいるのは自慢です。って得意がることじゃないか(笑い)。


 そういう動作も秘書っぽい感じで視聴者に映ったのかもしれません。


 ただ、久米さんは、私がそうしたポジションにいることを良しとしていませんでした。「なぜ君はピンで司会をしたいと思わないのか」と、よく怒られましたね。番組プロデューサーからも同じことを言われました。「女子アナなんて肩書きは捨てろ。小宮悦子個人で勝負しろ」って。


 1980年代に女子アナのアイドル化が進んで、女子アナという立場がひとつのステータスになっていきましたが、当時の私には真逆の思想が求められていました。


 そんな私にとって、転機になったのは、久米さんの夏休み。毎年夏に久米さんは休暇を取るので、私が代打に立つんですけど、久米さんが休むと大きな事件が起きるジンクスがあって。


 久米さんの夏休みはいつもプレッシャーでお腹を壊すほどでした。1997年8月には、ダイアナ妃の事故を報じることになった。この時、本能的に「これは自分で続報も伝えたい」と感じたんです。“久米さん、帰ってこないで”って初めて思ったの。いつしか、私はニュースの虜になっていました。


 この体験があって、翌年4月に『スーパーJチャンネル』のメインキャスターに挑戦したわけですが、人生って本当に不思議。私のような野心のないヘタレが「やってみよう」と思うようになったんですから。


※週刊ポスト2019年3月29日号

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