大河『光る君へ』京都・平安京を舞台に繰り広げられる権謀術策と男女の愛憎。宇治は、平安貴族たちが好んで別荘を構えた「別業の地」

2024年3月24日(日)12時0分 婦人公論.jp


宇治十帖のモニュメント(撮影◎筆者 以下同)

NHK大河ドラマ『光る君へ』の舞台である平安時代の京都。そのゆかりの地をめぐるガイド本、『THE TALE OF GENJI AND KYOTO  日本語と英語で知る、めぐる紫式部の京都ガイド』(SUMIKO KAJIYAMA著、プレジデント社)の著者が、本には書ききれなかったエピソードや知られざる京都の魅力、『源氏物語』にまつわるあれこれを綴ります。

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『光る君へ』の舞台


紫式部が主人公のNHK大河ドラマ『光る君へ』をきっかけに、紫式部と彼女が生きた平安時代にがぜん興味が湧いたという人も多いのではないでしょうか。

平安京を舞台に繰り広げられる権謀術策と男女の愛憎ドラマ……。合戦のない大河ドラマということで戸惑う声も聞かれますが、私はとてもおもしろく見ています。

1000年も前なんて、気が遠くなるほど昔のことだと思うかもしれませんが、筆者が住む京都には、紫式部ゆかりの地をはじめ、平安時代の面影を残す名所旧跡がたくさんあります。

そういう場所を訪れると、平安京の人々や暮らしが不思議と身近に感じられる。この記事では、紫式部の残した『源氏物語』に思いを馳せながら、古くて新しい京都の魅力をみなさんにご紹介したいと思います。

取材を通して平安時代について学んだことで、私はこの時代の文化や風俗にいっそう興味を持ちました。『光る君へ』の背景を知ることで、みなさんもドラマをもっと楽しめるのではないでしょうか。

御曹司との身分違いの恋


この原稿を執筆している時点では、『光る君へ』の物語はまだ序盤。紫式部(ドラマの役名は、まひろ)と藤原道長の純愛が切なさを掻き立てる、といった展開です。「なんだ、光源氏は出ないのか」などとがっかりしていたのですが、回を重ねるごとに、道長役の柄本佑さんの涼やかな貴公子ぶりに目を奪われています。今後、権力を握るにつれて、道長自身も徐々に変化していくのでしょう。

番組の公式サイトに「変わりゆく世を、変わらぬ愛を胸に懸命に生きた女性の物語」とあることから、まひろはこれからもずっと道長への想いを胸に秘めながら生きてゆくのだと思います。

御曹司との身分違いの恋は、少女まんがや韓流ドラマの王道パターン。史実に反するという批判もありますが、『源氏物語』に出てくるエピソードをさりげなく散りばめるなど、ドラマとしての見応えは十分。脚本家・大石静さんの紡ぐフィクションとして、このラブストーリーを見守りたいと思います。

ドラマのまひろは、まだ何者でもありませんが、のちに世界の文学史にその名を残す存在となるのは、みなさんご存じのとおりです。とはいえ、「紫式部って、どんな人?」と問われて、スラスラと答えられる人は少ないのではないでしょうか。

『源氏物語』の作者で、類まれな才女。百人一首に入っている「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな」という和歌を詠んだ——。

このあたりは学校で学んだ記憶があるのでは?

歴史好きの方なら、当時の最高権力者・藤原道長の娘で、一条天皇の中宮である彰子(しょうし)に仕えていたこともご存じでしょう(『光る君へ』の設定では、想い人の娘に仕えて、愛しい人の成功を陰で支えることになります。なかなか複雑ですね)。

さらに、「どのように仕えていたか」ということまで具体的に答えられれば、かなりの古典通、歴史通といえるのではないでしょうか。

ですが、専門家でもない限り、当時の社会のありようをはっきりとイメージすることは難しいように思います。テレビや映画の時代劇でも、平安時代が描かれることはほとんどありません。その意味で、今回の『光る君へ』は貴重な機会といえます。

なぜ宇治がゆかりの地なのか


ドラマを見て、この時代について詳しく知りたいと思った人にぜひ訪れてほしいのが、宇治市にある「宇治市源氏物語ミュージアム」です。

このミュージアムでは、『源氏物語』のストーリーについて簡単に学べるだけでなく、「紫式部の時代」の貴族たちの暮らしぶり、つまり、『源氏物語』に描かれた平安京の王朝文化の一端を、さまざまな展示を通して理解することができるのです。

では、なぜ『源氏物語』のミュージアムが宇治市にあるのか。その理由をご存じですか。

京都駅からJRの快速電車で16分。宇治は『万葉集』や『平家物語』など、さまざま文学にも登場する風光明媚な土地です。

世界遺産である「平等院・鳳凰堂」をはじめ、見どころも多いのですが、宇治に足を運ぶ観光客はそれほど多くありません。「京都の中心地から遠い」というイメージがあるからでしょうか。ですが、その分、落ち着いてゆったりと観光できるのが宇治の魅力ともいえます。

美しい自然に恵まれた宇治は、平安貴族たちが好んで別荘を構えた「別業の地」でした。

宇治川を包む川霧にも似た悲恋


藤原道長はもちろん、光源氏のモデルのひとりといわれる源融(みなもとのとおる)らも宇治に別荘を持ち、舟遊びや紅葉狩りなどを楽しんでいたようです。

たぶん紫式部も、中宮・彰子のお供で宇治を訪れていたのでしょう。

その体験をもとに、『源氏物語』の最後の10帖(10巻)、「宇治十帖」が書かれたと考えられています。


宇治・朝霧橋

そう、全54帖という『源氏物語』の長大な物語を締めくくる「宇治十帖」は、宇治が舞台となっているのです。

光源氏亡きあと、主人公は、光源氏の末の息子である薫(※実は、光源氏との血縁関係はない)と孫の匂宮に変わり、宇治川を包む川霧にも似た、しっとりとした悲恋が描かれます。

石畳の遊歩道「さわらびの道」


華やかだった物語は、さながら「春」から「秋」、「昼」から「夜」に転じるよう……。それゆえ「宇治十帖」は紫式部ではない別の人、しかも男性が書いたものだと主張する研究者もいるそうです。

宇治川には、宇治のシンボルともいえる宇治橋がかかっています。もともとは646年に架けられたという古い橋で、憂いを帯びた周囲の山々の風景とあいまって、その眺めは一幅の絵のようです。

宇治橋のたもとには、1000年の時の流れを見守るように紫式部の像がたたずみ、その対岸には、「宇治十帖」の有名な場面を題材にしたモニュメントも。近年、宇治市は「源氏物語の街」であることを前面に打ち出して、観光PRに力を入れているのです。


宇治・紫式部像

宇治十帖のモニュメントから、石畳の遊歩道「さわらびの道」(『源氏物語』巻48「早蕨(さわらび)」の巻名にちなむ)をしばらく歩くと、世界遺産・宇治上神社の前に出ます。

本殿は平安時代の創建で、現存する日本最古の神社建築といわれています。寝殿造りの拝殿は平安貴族の邸宅を思わせる風情で、御簾の向こうから女官たちの衣擦れの音が聞こえてくるよう……。宇治に行くと必ず立ち寄りたくなる、とても趣のある神社です。

宇治市源氏物語ミュージアム


宇治上神社から「さわらびの道」をさらに進むと、「宇治市源氏物語ミュージアム」に到着します。

このミュージアムには、光源氏の邸宅「六条院」(想定敷地面積は6万3500平方メートル)を100分の1に大きさで精巧に再現した模型や、当時の装束、調度品の展示、「宇治十帖」の名シーンを映像化したシアターなどがあり、『源氏物語』の世界を体感できるようになっています。


宇治市・源氏物語ミュージアム(六条院の模型の展示)

入口から進み「平安の間」に入ると、まず目に飛び込んでくるのが漆塗りの牛車です。

その大きさに驚く人も多いはず。ところが、ここに復元展示されているのは最も一般的な網代車で、サイズとしては中型だとか。ステータスシンボルでもあった牛車は、身分や格式によって使い分けがあり、皇族や上級貴族だけが乗ることのできる唐車(からぐるま)など、さらに大型のものもあったそうです。

平安時代にタイプスリップしたような気分


4人乗りの唐車となると車体の重さだけでも相当なもの。車を引く牛の負担もさぞや、ということで、長距離を移動するときは、替え牛が用意されていたのだとか。

余談ながら、京都では「葵祭」や「時代祭」などの行事の際に、本物の牛が牛車を引く様子を間近で見ることができます。ギシギシと大きな音を立てながら、京都の街を牛車がゆっくりと進んでゆくさまは、なかなかの迫力。平安時代にタイプスリップしたような気分になります。


京都では祭りの日に本物の牛が牛車を引くさまが見られる(上の写真が葵祭の行列)

牛車に乗るときはうしろから入り、降りるときは前から。前後の入口には御簾がかけられていて、御簾の下からこぼれ出た女性の装束の袖や裾の美しさでも競い合っていました。

『源氏物語』では、賀茂祭(葵祭)の見物場所を巡って、光源氏の正妻・葵の上と恋人である六条御息所の従者のあいだで諍いが起こり、六条御息所の牛車が壊されて、他の場所へ追いやられる「車争い」のエピソードが有名です(巻9「葵」)。名場面の1つとして知られているので、印象に残っている人も多いのではないでしょうか。

詩歌管弦の遊び


さらに、「平安の間」には、寝殿造の貴族の邸宅が一部復元されています。

屏風や几帳、燈台、鏡など、豪華な調度が整えられた部屋で、女官と思われる女性2人が囲碁をしている。そんな姿が、等身大の人形を用いて再現されているのです。

なぜ囲碁を?と思った人もいるかもしれません。

空蝉が碁を打っている様子を光源氏が垣間見る場面など、実は『源氏物語』にも、囲碁がしばしば登場します。このことからもわかるように、平安時代の囲碁は、知的な遊びとして、男女を問わず人気だったのです。


知的な遊びとして親しまれた囲碁(宇治市源氏物語ミュージアムの展示)

囲碁のほか、漢詩や和歌をつくり、琴(きん)や琵琶、笛などの楽器を演奏する、いわゆる「詩歌管弦の遊び」も盛んに行われていました。

『源氏物語』でも、光源氏をはじめとする登場人物が、祝いの宴などで「管弦の遊び」に興じる場面が度々描かれます。月明りの下、皇族や公卿たちが、得意の楽器を手に合奏を楽しむ……。なんと優雅な光景でしょう。

しかも、それぞれが名人級の腕前で、奏でる音色が家柄や人柄まで物語ったとか。ちなみに、光源氏は琴(七弦琴。演奏が非常に難しく平安中期以降廃れた)の名手という設定です。

『光る君へ』では、まひろが琵琶を奏でるシーンがありましたが、こうした「管弦の遊び」は今後もドラマのなかで折々に登場するのではないでしょうか。

「遊び」には漢詩や和歌をつくることも含まれていますが、現代人の私たちにとっては、ちょっと意外な気もします。平安貴族にとって「遊び」とは、一種のたしなみ、教養の1つだったのでしょう。

教養や美意識を身につけるための家庭教師


高い教養を備えていることがその人の魅力に直結していたことを考えると、中宮の父である道長が、娘のために、紫式部のような女性を抜擢したことにも合点がいきます。

中宮付きの女房というと、こまごまとした身の回りのお世話をする人を思い浮かべるかもしれませんが、紫式部の仕事はそうしたことではなく、漢文学について進講するなど、教養や学識を高める手伝いをしていたようです。

いわば、教養や美意識を身につけるための家庭教師といったところ。祖父、父ともに学者であり、歌人・詩人でもあるという環境で育ち、幼少期から学才を発揮していた紫式部には、うってつけの仕事だったのではないでしょうか。

とはいえ紫式部自身は、当初、宮仕えに嫌悪感を抱いていたようです。このあたり、ドラマ『光る君へ』では、どのように描かれるのでしょうか。愛しい道長のために、渋々大役を引き受けるのか——。今後の展開が楽しみです。

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