樹木希林、28歳のつかこうへいと語った<男と女>「女はどこか悲劇的でありたいと思っている」
2025年3月26日(水)12時30分 婦人公論.jp
1976年頃、樹木希林さん(悠木千帆)とつかこうへいさん(『人生、上出来 増補版 心底惚れた』より
樹木希林さんが悠木千帆の名前で活動していた1976年、当時の男性著名人との対談連載が雑誌『婦人公論』で始まりました。当時30代前半の希林さんだからこそ聞けた、才人たちとの「男と女」にまつわる深い話。そして2025年3月、連載と新たに未公開インタビューを収録した『人生、上出来 増補版 心底惚れた』が刊行に。今回は、劇作家・演出家として一時代を築いたつかこうへいさんとの対談から(当時28歳)一部抜粋してお届けします。
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●つかこうへい/劇作家、演出家、小説家
1948(昭和23)年4月24日福岡県生まれ。慶應義塾大学文学部中退。大学在学中に演劇活動を開始、70年~80年初頭にかけて「つかブーム」を巻き起こし、多くの人気俳優を輩出した。一時執筆に専念したが、演劇活動再開後は「北区つかこうへい劇団」の創設、プロデュース公演において数々の俳優や女優の新境地を開くなど、再び精力的な活動を続けた。74年に『熱海殺人事件』で岸田國士戯曲賞、76年に『ストリッパー物語』でゴールデン・アロー賞、82年に小説『蒲田行進曲』で直木賞を受賞。2007年、紫綬褒章受章。10年7月10日死去。享年62。対談当時は28歳。私生活では1980年に熊谷真美と結婚、その後離婚を経て、83年に再婚。
はじめて旦那のことをほめる
つか 女というのはおよそ不幸になることをどっかで望んでいる動物ですね。
悠木 ああ、なるほど。それで実際は不幸にならないんですよね、強くて。
つか つねに開き直っちゃいますからね。
悠木 はじめてうちの旦那のことほめるんだけれども、うちの旦那、明治の男みたいなところあるのね。すごい封建的なの。さっきも言ったように、女はどっかで悲劇的でありたいと思っている。それを十分満たしてくれるわけね。ほんとに生活費なんか一銭ももらったことないしね。それで、なおかつえばりくさっているんだから。
つか だから、どっちを選ぶかだな。
人生も芝居も、計算立ててきっちりと
悠木 こういうわたしみたいにすごいプライドの高い、いままで男を睥睨(へいげい)していたような女は、そういうのに会うと、コロッとまいっちゃうわけよ。つかさんみたいに正しくものを見て、これは悲劇に酔っているんだなと思わないで。いま、はじめて気がついたわけよ、三年たって。
『人生、上出来 増補版 心底惚れた』(著:樹木希林/中央公論新社)
つか そのへんでつながり合っていけるけれども、ぼくなんか……。
悠木 自分の人生を全部、計算っていうとすごくいやらしいけれども、たしかに見ていくと、楽しんでいるという感じするね。悲劇も喜劇も。
つか それには計算立てなきゃいけないだろうとぼくは思っていて……。芝居の場合もそうですけどね、その微妙な計算や、きっちりやっていくほうを、ぼくはいちばん選んじゃったみたいなところありますね。
悠木 つかさんの年代がみんなそうというわけじゃないでしょう。
つか やっぱり違うと思いますね。どっか頑張ってないという感じはしますけどね。一緒になるのも、結婚するのもいいけど、あいつは頑張ってないなという感じがありますね。どっか、こらえ性がない。
『人生、上出来 増補版 心底惚れた』より
どっかやっぱり不健康なわけ
悠木 わたし、男の人が好きなのね。頑張ったりするところが好きなの。もうそろそろやめたほうが楽になるんじゃないかなというところに、しっかりと頑張っているね。男の人が開き直ったら、いやだなあと思う。イロッぽくなくてね。
つか それを、頑張っているところを絶対見せたくないでしょう。
悠木 つかさんは、ほんとに、いわゆる二枚目の男じゃないけれども(笑)。いい意味のイロッぽさっていうの、きっとあるんでしょうね。
つか ぼくは学者になりたかったというところ、あるんですよ。ほんと。そういう俗物とか下賤なものを排除してきたみたいなところがあるんですよ。とっても、だから、てれくさいわけ、そういう話するの。
悠木 一回芝居にすればいいわけ? 自分が書くぶんにはいいわけね。
つか ありますね。たとえば太宰治とかいう人なんか、とても健康的だったと思うの。原稿用紙に書くときはね。日常はもっとつらかったかもしれないですよ。書いちゃえばいいんだからね。おれたちは、どっかやっぱり不健康なわけ。一回かまえてやるでしょう。
※本稿は、『人生、上出来 増補版 心底惚れた』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。