本郷和人『べらぼう』平均寿命「22.7歳」。生理が来ればすぐに客を取らされ、吉原から出られないまま人生を終えて…<生れては苦界 死しては浄閑寺>女郎の一生から見た「吉原の闇」
2025年3月27日(木)18時7分 婦人公論.jp
(イラスト:stock.adobe.com)
日本のメディア産業、ポップカルチャーの礎を築き、時にお上に目を付けられても面白さを追求し続けた人物“蔦重”こと蔦屋重三郎の生涯を描く大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』(NHK総合、日曜午後8時ほか)。ドラマが展開していく中、江戸時代の暮らしや社会について、あらためて関心が集まっています。一方、歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生がドラマをもとに深く解説するのが本連載。今回は「吉原の闇」について。この連載を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし!
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吉原の「闇」
ドラマでは30日にもわたって華やかな『俄』祭りが開催され、大いに盛り上がった吉原。
確かに吉原の世界には華やかな一面があります。
高級遊女のいる空間は、江戸の職人たちが作り出す精緻な工芸品で飾られ、旨い酒においしい料理が並ぶ。
そして三味線などの音曲が流れ、踊りがあり、江戸の町人たちが育くんだ「粋」とか「気っぷ」といった精神が横溢していた。
そこだけを見れば、たしかに吉原は「江戸の華」ということがいえるでしょう。
でもぼくが改めて言うまでもなく、吉原には「闇」の部分があるのも事実。今回はその「闇」について少し触れたいと思います。
「生れては苦界 死しては浄閑寺」
大量の<カネ>を媒体とする男女関係が今でも隆盛していることを鑑みれば、本来は「売春」という行為そのものの意味を、考察しなければならないのかもしれません。
本郷先生のロングセラー!『「失敗」の日本史』(中公新書ラクレ)
ですが、それは、一介の歴史研究者であるぼくの手には余ります。ですので、ここでは、労働環境、衛生環境の観点から、遊女の悲哀を見ていきます。
浄閑寺というお寺さんがあります。荒川区南千住にある浄土宗の寺院で山号は栄法山。地名の三ノ輪から「三ノ輪の浄閑寺」と称されます。
創建は1655年で、吉原遊廓の誕生(1657年)とほぼ同じ。「投げ込み寺」の異名があり、亡くなった遊女の遺体が埋葬された。
明治から昭和時代の川柳作家である花又花酔は「生れては苦界 死しては浄閑寺」と詠んでいます。
浄閑寺が「投げ込み寺」と呼ばれるようになった背景
お寺の公式サイトによると、同寺が「投げ込み寺」と呼ばれるようになったのは、幕末の安政の大地震(1855年)で大量の遊女が死亡した際に、この寺に投げ込むように葬られたことによる、とあります。
ここで気をつけるべきは「投げ込むように」の「ように」の部分。
非常時であるから、あたかも投げ込むような勢いで、次から次に運び込まれたわけで、遺体を塀のこちら側から「えいや」と投げ込んで終わり、ということではない。
ましてや、日常的に、亡くなった遊女を寺の敷地に投げ入れ、それで一巻の終わり、というわけではないでしょう。
遊女の平均寿命「22.7歳」
西山松之助(1912〜2012)という近世史研究者がいらっしゃいます。東京教育大学の名誉教授です。
この方の調査によると、浄閑寺には過去帳が現存し、そこに記された遊女とおぼしき人名は、寛保3年(1743年)から江戸時代の終焉までの125年のあいだで、1940人にのぼるそうです。
驚くべきは享年で、彼女たちの平均寿命は「22.7歳」。生理が来ればすぐに客を取らされ、23歳まで吉原でずっと仕事をし続けて亡くなっていく。
原因は梅毒、それに他の感染症などでしょうが、大変に苛酷です。
その多くが働くだけ働かされて「無縁墓」に
蔦屋重三郎が数え年で26歳だった安永4年(1775年)版の「吉原細見」によれば、当時の吉原には2000人ほどの遊女がいたと記されています。
一方、浄閑寺の過去帳だと、死者は1年平均で15、6人ほど。
労働環境が劣悪で、23歳まで生きられないとすると…この数字は少なすぎるでしょう。
となると、葬儀をあげることなく、過去帳にも記載もされず、浄閑寺の然るべき土地に埋葬された遊女が多くいた、という事態が想像できます。
中世前期ならば埋めずに放置、という事態もあり得ましたが、江戸時代になると、埋めなければ衛生上よろしくない、という感覚はあったはずですから。実際、臭気と見た目が耐えがたくなったでしょうし。
上級遊女であれば、病死したら浄閑寺の墓地に正式に葬られた。でも、中・下級の遊女は人知れず埋葬だけされた。
幼くして売られるなどして父母と引き離され、働くだけ働かされて無縁墓。あまりに、あまりに気の毒です。
ドラマの中で吉原の華やかさに接するとき、そうした事実も踏まえておくと、その見方が変わってくるのかもしれません。
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