篠田正浩さん死去 94歳、肺炎で 「瀬戸内少年団」「少年時代」...岩下志麻とともに夫唱婦随の映画作り
2025年3月28日(金)4時0分 スポーツニッポン
「心中天網島」「瀬戸内少年野球団」「少年時代」など数多くの名作を残した映画監督の篠田正浩(しのだ・まさひろ)さんが25日午前4時55分、肺炎のため都内の病院で亡くなった。94歳。岐阜県出身。故人の遺志により、葬儀は家族葬で済ませた。後日、お別れの会を開く予定。17年間構想を温めた2003年の「スパイ・ゾルゲ」をもって監督業を引退。1967年に結婚した女優の岩下志麻(84)とはおしどり夫婦として有名で、夫唱婦随での映画作りでも知られた。
日本映画史に数々の功績を刻み、海外にもその名をとどろかせた名匠が静かに逝った。
関係者によると、篠田さんは自宅で転倒して大腿骨を骨折し、入院していた。亡くなる前日も岩下が病室を見舞い、会話を交わしていたが、病院を出た後に肺炎で体調が急変。みとることができなかった岩下のショックは大きい。
監督を引退してからは母校の早大の特命教授など後進の指導に当たっていた。21年4月にパーキンソン病を患っていることを公表。同7月のイベントには元気な姿を見せ、観客の質問にも応じていた。
篠田さんの仕事部屋は自宅2階にあったが、岩下が闘病のため1階で全て生活できるように改築。その献身的な介護もむなしく映画人生に幕を引いた。
高校で陸上400メートルの高校王者となり、早大では競走部に入部し1年時に箱根駅伝を走った。だがその後、負傷で競技生活を断念。学業に専念し、同級生だった詩人の白石かずこさんと学生結婚したが、その後離婚した。
53年、松竹に入社し小津安二郎さん、渋谷実さんらの助監督を務め、60年に「恋の片道切符」で監督デビュー。同年の岩下を初めて起用した2作目「乾いた湖」が注目を集め、1年後輩の大島渚さん、2年後輩の吉田喜重さんらとともに松竹ヌーベルバーグの旗手と呼ばれた。
65年に松竹を退社し、67年に独立プロダクション「表現社」を設立。同年の3月に結婚した岩下と映画作りをスタートさせ、69年の「心中天網島」では毎日映画コンクールの日本映画大賞を受賞したほかベネチア、ロンドンの映画祭にも招待された。
その後も阿久悠さんの原作を映画化した84年「瀬戸内少年野球団」、郷ひろみ(69)を主演に抜てきし、ベルリン国際映画祭で銀熊賞に輝いた「鑓の権三」、太平洋戦争で地方に疎開した少年の友情と別れを描いた90年「少年時代」、カンヌ映画祭のコンペティション部門に選出された95年「写楽」など多彩な作品で映画ファンを楽しませた。
念願だった「スパイ・ゾルゲ」(03年)では「これを最後に引退する」と表明。1930年代を再現するために最新のデジタル技術を投入し、日本映画では初めて撮影から編集までフィルムを一切使用しない手法で作品に魂を込めた。
≪夫・大島さんと強い絆≫
▼小山明子(夫の大島渚さんが篠田さんと松竹ヌーベルバーグの同志)物凄く明るい性格で、繊細で気難しいところのある大島とはタイプは違いましたが、不思議とウマが合ってずっと交流が続いていました。松竹を飛び出し独立プロで共に戦った同志として、強い絆で結ばれていたと思います。
≪志麻さんには駄目出し≫
▼長塚京三(「瀬戸内ムーンライト・セレナーデ」に出演)監督はとっても照れ屋で、撮影中、僕らには監督はあまり言わないのに、志麻さんにはとても厳しく駄目出しをしていたことが思い出されます。でもいま思えば、2人でそういうお芝居をされていたのかなって、愛情の裏返しだったのかなという気持ちです。
≪イメージを壊した役柄≫
▼郷ひろみ(「鑓の権三」と「舞姫」に出演)毎回、郷ひろみのイメージと違うキャラクターを、つまりイメージを壊した役柄をスクリーンを通して、とおっしゃっていました。監督が生前、年齢を重ねた郷ひろみを撮ってみたいとおっしゃっていただいたことが実現できなくなり、寂しいです。
≪こんな大人になれたなら≫
▼本木雅弘(「スパイ・ゾルゲ」に主演)知的で自由人の風格があり、こんな大人になれたならと仰ぎ見る思いでおりました。当時、自分に「坂の上の雲」への出演の打診があり、ふとご相談をすると「演(や)るなら弟の真之がいい、ちょっと哀(かな)しくて」と薦めてくださったことを思い出します。