抗がん剤をやめてステージへ「星愛美らしいな」 日本最高齢ストリッパーに取材Dが感じる「変わらない芯の強さ」
2025年3月29日(土)18時0分 マイナビニュース
●「ステージが治療」の捉え方に理解
フジテレビのドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜14:00〜 ※関東ローカル)で、23日に放送された『私が踊り続けるわけ4 〜58歳のストリッパー物語〜 前編』。日本最高齢のストリッパー・星愛美さん(58)とそのファンたちを追った作品で、30日に後編が放送される。
前編では、愛美さんが抗がん剤治療を途中でやめてステージに立つことを選んだ姿が映し出された。この決断に、取材した大里正人ディレクターは「“星愛美らしいな”と思いました」と理解しながら、命を削って踊り続ける彼女を撮っていた——。
○大舞台を前にがんを調べる精密検査を
2024年5月の誕生日イベントに、愛美さんは抗がん剤治療を途中でやめてまで、ステージに立つことを選んだ。迎えた本番のステージでは、体の痛みに耐えながら踊る愛美さんの姿に、「星組」と呼ばれる愛美さんファンを始め、大勢の観客が涙を流した。
次なる大舞台は、10月のデビュー35周年イベントのステージ。地方巡業をこなしながらも準備を進める愛美さんだが、長い闘病生活で落ちた体力に加えて股関節の痛みは増すばかりで、得意のブリッジの姿勢すら、できなくなっていた。
そんな中、誕生日イベントに姿を見せなかった愛美さんのファン「星組」の中心メンバー・ひこにゃんから「急性骨髄性白血病で入院している」と連絡が入る。そして追い打ちをかけるように、愛美さんも血液検査の結果が思わしくなく、全身のがんの有無を調べる精密検査を受けることになった。
検査結果を待ちながら、3カ月後に控えた大舞台に向けて突き進む愛美さん。同居する82歳の母は、娘の身を案じつつも、全身全霊でストリップに生きる姿を見て、「もう辞めたら」とは言い出せずにいた…。
○「自分の中で許せなかったのだと思います」
『ザ・ノンフィクション』で第4弾となる星愛美さんのドキュメンタリー。今回の取材は、「抗がん剤治療を受けてから、このままこの治療を続けていいのかという思いが本人の中にずっとあって、その気持ちを追ってみようと思いました」と始まった。
すると、「ステージが治療」と、抗がん剤治療を打ち切ることを決めた愛美さん。大里Dも「抗がん剤治療を続けていたら、どんどん体が衰弱してくので、もう二度とステージに立てなくなるだろうというのが目に見えていました。それは自分の中で許せなかったのだと思います」と理解し、「“星愛美らしいな”と思いました」と振り返る。
●『ザ・ノンフィクション』でストリップの見方が変わった
このシリーズを見て驚かされるのは、ストリップ劇場の楽屋で当たり前のように取材を受ける女性たちの姿だ。カメラが回っている中で着替えるストリッパーも見られるなど、大里Dへの信頼がうかがえるシーンだが、それは番組の放送によって「ストリップ」が一つの文化として認められていくのを実感しているのも大きいようだ。
今回の放送では、これまでの『ザ・ノンフィクション』を見てストリッパーを目指したり、反対していた親が後押ししてくれたり、「星組」の中心メンバーだったスーさんの妹が兄の応援する気持ちを理解したり、さらには愛美さんが講演をオファーされたりと、番組が様々な影響を及ぼしていることが分かる場面が随所に登場。
大里Dは「放送するたびに、ストリップというものへの見方が皆さん変わってきているのを感じます。特に(国際映像コンクールの)『ニューヨークフェスティバル2024』で番組が入賞した時には“ストリップが世界に認められたんだ!”という感じで、取材に協力してくださる劇場や関係者、星組の皆さんがすごく喜んでくれました」と明かす。
また、「本仮屋ユイカさんのナレーションがとても良いので、それもあって僕らの取材を受け入れてくれているのだと思います」とも感じているそうだ。
○涙する姿を見せたことがない
前編でその姿があった「星組」の中心メンバー・スーさん。愛美さんは「スーさんがいなくなった時が引退する時」と公言していただけに、2022年に彼ががんで亡くなった際には大きなショックを受け、大里Dは「稽古の様子を見ていたら、これでこのシリーズは終わると思いながら撮っていました」と打ち明ける。
だが、その後の公演で多くのファンの姿を見て、「私、辞められません」と宣言。愛美さんの取材を始めて足掛け7年、このように様々な苦難に直面し、そのたびに打ち勝っていく姿を見てきたが、「愛美さんは自分の弱さを見せないんです。これだけ撮っているのに、涙を見せたことがないですから」といい、その芯の強さは取材開始当初から「全然変わらないです」と驚かされている。
そんな彼女の姿を見て、「本当に力がもらえます。僕も63歳で、自分の年齢を考えながら仕事をするようになってきたのですが、“頑張らなくちゃ”という勇気をもらっていますね」と受け止めていた。