【追悼】芦屋小雁さん「最後まで喜劇役者で」「病気もろとも発信していこう」認知症を公表、30歳年下の妻が支えて

2025年3月31日(月)15時45分 婦人公論.jp


認知症を公表し、仕事を続ける芦屋小雁さんと、妻の勇家寛子さん(撮影=福森クニヒロ)

2025年3月28日、喜劇俳優の芦屋小雁さんが老衰のため京都市の自宅で逝去されました。享年91。小雁さんは10代で兄・芦屋雁之助さんと兄弟でコンビを組み漫才の世界へ。テレビや舞台を中心に活躍し、コメディドラマ『番頭はんと丁稚どん』への出演を機に、雁之助さんや大村崑さんと共に人気を博しました。2018年に認知症を公表して以降も、仕事を続けていた小雁さん。妻・勇家寛子さんとのインタビュー記事(『婦人公論』2022年12月号)を再配信します。
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名脇役としてテレビや舞台で活躍してきた芦屋小雁さん。2018年、血管性認知症とアルツハイマー型認知症の合併型を患っていることを公表した。現在は、30歳下の妻・勇家寛子さんのサポートを受けながら仕事を続けている。記憶が曖昧になっても、舞台への思いは強い。(構成=野田敦子 撮影=福森クニヒロ)

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佐々木蔵之介さんも驚きの瞬発力


寛子 昨夜、小雁さんが出演したドラマ『ミヤコが京都にやって来た!』を一緒に見ましたね。

小雁 覚えてへん。

寛子 「これ、わしか? わし、こんなんやったっけ?」って言いながら見てましたやん。

小雁 あはははは。

寛子 小雁さんが主演の佐々木蔵之介さんに駆け寄るシーンがあるんですけど、瞬発力があってすばらしかった。蔵之介さんもびっくりされて、「ええアクションですねえ!」って言うてくれはったんですよ。

小雁 ええ天気やねえ!

寛子 ほんまに、ええ天気!暑うないですか?

小雁 大丈夫、大丈夫。

寛子 今回のドラマに出演が決まったきっかけは、18年公開の映画『噓八百』でした。その時ご一緒した蔵之介さんが、小雁さんの演技を見て、「大御所やのに、芝居のテンポや間合いが若い。僕も小雁さんみたいになりたい」とおっしゃって、今回呼んでくださったんです。

小雁 (カメラに向かってとびきりの笑顔を作る)

寛子 小雁さん、カメラに撮られるの好きなんです。(笑)

小雁 (見つかった! というようにおどけた表情で)あははは。

寛子 『噓八百』には、主演の中井貴一さんが呼んでくださいました。その少し前、中井さんが出演したドラマに、私も所作指導として参加させていただいたんです。その時、「小雁さんどう?」と尋ねてくださったので、「『仕事したい、したい』言うてます」とつい漏らしたら誘ってくださって。

ところがいざ脚本を読むと、セリフが多くてとても覚えられそうにありません。お断りしようとすると、中井さんは、「そんなの現場で何とでもなる。誰でも通る道なんだから、小雁さんにやる気があるなら、ぜひ出演してほしい」と言って背中を押してくださいました。ありがたいことです。

小雁 そうやなあ。

寛子 小雁さんは、テレビのお仕事も好きやけど、やっぱり一番落ち着くのは、舞台みたい。

小雁 そう。お客さんが目の前にいるほうがやりやすい。誰もおらんところでは、ちょっとな……。お笑いは、お客さんの顔を見ながらするのでね。

寛子 私と小雁さんが出会った舞台『裸の大将』の巡業公演が、まさにお客さんに合わせた舞台でした。お兄さんの雁之助さんが座長、小雁さんが副座長。幕が開いてわずか数分で、雁之助さんが「今日の客は重たい。巻くで」。小雁さんも「ああ、わかった」って。

巻きサインが出ると、お芝居のテンポが上がって、セリフも省かれて、全体で15分ぐらい短くなるんです。当時、私は一番下のぺーぺーやったから、気づいた時には「あ、終わった」(笑)。臨機応変にお芝居を変える二人を見て、すごいなあと思いました。

小雁 そうそう。舞台はお客さんと一緒に作るもんや。

寛子 小雁さんと雁之助さんは、ほんま〈あ・うん〉の呼吸でした。

小雁 小さい頃は、ようけんかしたけどね。

寛子 去年、小雁さんが大衆演劇「都若丸劇団」に飛び入り出演した時は、「そうはいきまへんで!」と大声でセリフを言いながら舞台に登場するなり、次のセリフどころか、カンペの存在自体も忘れてしまってね。やのに、全部アドリブで客席を沸かせたんです。

座長さんが、「瞬間的なアドリブはやろうと思ってできるもんじゃない。小雁さんの中には、これまでの演技がすべて入っているから、自然に出てくるんでしょうね」とおっしゃっていました。

小雁 ふふふ。

公表したら、すっと霧が晴れた


——2017年4月頃、自宅のある京都から大阪に行った時に「ここどこ?」と口にした小雁さん。翌月には血管性認知症の疑いと診断された。さらに10月、舞台の本番直前に自分が何をするのかわからなくなる。今でこそ明るい寛子さんだが、その頃が一番苦しかったという。

寛子 つい言っちゃうんですね。「なんでわからへんの」とか、「なんで間違えんの」とか……。すると小雁さんはシュンとなったり、ガーッと反発したりする。目を離した隙にいなくなることもありました。

しかも、私は小雁さんのマネージャーでもあるので、芦屋小雁への仕事の依頼も受けるでしょう。病気を隠したい気持ちと、不義理をする後ろめたさと……。いろんなことがいっぺんに押し寄せてきて、限界でした。

——転機が訪れたのは、2018年。テレビ番組『爆報! THEフライデー』の出演依頼に「小雁はもう無理なんです。認知症ですから」と本音をぶつけた時だった。その後ディレクターからの説得を受け、同番組で病を公表する。

寛子 番組内のインタビューで、ディレクターさんの質問に答えるうちに、私の考えがどんどん整理されていきました。カウンセリングって、きっとこんな感じなんでしょうね。片や、小雁さんは、何を聞かれても「僕は一生、芦屋小雁でいる。最後まで仕事をしたい」とブレない。その姿を見て、「私は小雁さんが芦屋小雁でいるために、どうしたらいいかを考えればいいんだ」と、霧が晴れるように方向性が見えたんです。

「病気を受け入れよう。彼が芦屋小雁であり続けるために、病気もろとも発信していこう」と心が決まりました。病の公表から4年、イベントにも積極的に参加しています。そうしたらなんと、要介護4やったのに、今年から3になったんです。徘徊がなくなり、仕事への意欲が顕著になったからですって。本当に嬉しい。

小雁 (ささやくように)おにぎり、食べたいな。

寛子 おにぎり?

小雁 3つ、食べたい。

寛子 とりあえず1つにしときましょうか。

小雁 (仕方がないなあという顔で食べ始める)

寛子 食べる量こそ、丼から普通のお茶碗に変わりましたけど、今も1日5食。私が仕事で出る時は、ヘルパーさんと一緒にお昼ごはんを買いに行くんです。ね、買い物のお姉さんとお昼を買いに行ってますよね。

小雁 知らん。覚えてへん。

寛子 覚えてへんの? 小雁さん、一番好きな食べ物は、まぐろやね。嫌いなものは、何でしたっけ?

小雁 鶏はあかんねん。

寛子 子どもの時、大事に飼ってた鶏ちゃんが、すき焼きになってしまったからよね。

小雁 僕は酉年だからよけいに。

寛子 いつもこんな感じで普通に会話してるんですよ。だから、私も普通にしていられるんです。ただ最近は、私が家にいないと「寂しい、寂しい」って言わはるから切なくて……。私といると安心するみたいです。

小雁 安心しますね。

寛子 いないと寂しい?

小雁 あかんあかん。

寛子 メモに「4時半に帰ります」と書いておくと、家の前に置いた椅子で待っててくれはる。

小雁 そうそう。

寛子 表でハグしたりしてね。

小雁 あはははは。

寛子 小雁さんが、「お帰りー」って言うてくれはるから、私も「ただいまー」って。きっと、変な夫婦やと思われてます(笑)。フィルムコレクターでもある小雁さんは、今も映画好き。月2回ほどは、一緒に映画館に行きますよ。でも、最近は、面白くないのが多いらしいです。

小雁 そうそう。(笑)

<後編につづく>

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