西岡徳馬78歳「左膝のお皿とともに無惨に砕け散った初舞台。そんなスタートでも、俳優業55年、病欠無し」
2025年3月31日(月)12時30分 婦人公論.jp
これまでの俳優人生を振り返る、西岡徳馬さん(写真提供:『未完成』幻冬舎)
78歳、役者歴半世紀以上でも「まだ、足りねえ……!」喜びも悲しみも、演技こそが己の魂を呼び覚ますと語る、俳優・西岡徳馬さん。新境地を開いたつかこうへい演出の舞台『幕末純情伝』、一世風靡した『東京ラブストーリー』、そして2024年エミー賞最多部門賞受賞『SHOGUN 将軍』など、圧倒的な演技力と、作品に深みをもたらす存在感で幅広く活躍されています。そんな西岡さんが、文学座での初舞台からこれまでの俳優人生を振り返る、初の自伝本『未完成』より一部を抜粋して紹介します。
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演劇は祭りだ
演劇は祭りだ、奉納祭り。広場に人が集まり神に祈って、櫓(やぐら)を組み、囲む。その上で歌い、踊るのが役者だ。2024年の秋、私は78歳になった。
幼い頃、小児喘息で苦しんだ時期もあったが、それ以外は大病もせず、よくぞここまでこの肉体が持ってくれている。
俳優はまず体力だ。この肉体がなければ何も表現出来ないし、自分が現場に行かないことには何も始まらない。この身一つだ。替えは利かない。
映像の仕事の場合は多少スケジュールの変更は聞いてもらえるが、舞台のようなライブでは大怪我でもしない限りそうはいかない。
俳優は、昔から親の死に目にも会えない仕事と言って戒められている。
当然ながら、ちょっと熱が出た、喉が痛い、歯が痛い、頭が痛い、その位なら休むことなど出来はしない。兎にも角にも、元気な身体(からだ)。
それがあって、さあそこからだ、役作りは。
お預けとなった文学座の初舞台
文学座の初舞台は稽古中にアキレス腱を切ってしまった先輩俳優の代役だった。急遽呼ばれて、初日まで1週間足らずだったが張り切って稽古した。
ところが何ということか初日前夜、今度は私が左足を骨折してしまった。青天の霹靂とはこのこと、初舞台はお預けとなった。事の顛末はこうだ。
初日前日の稽古が深夜まで続き解散になった後、終電に乗り遅れるぞと、みんなで信濃町の駅めがけて大急ぎで走ったその時に、ガードレールとガードレールの間に張ってあったロープに足が引っかかり、身体が一瞬宙に浮いて道路に叩きつけられた。
暗がりでロープが見えなかったのだ。左膝を強(したた)かに打った。なんとか起き上がったもののメチャクチャ痛い。仲間の手を借り電車には乗れたが、とても横浜の家には帰ることが出来ない。
仕方なく友達のうちに泊めてもらい、氷で冷やしたが腫れ上がって微動だに出来ず一睡も出来なかった。
翌朝早く、少しでも動くと激痛の走る足を引きずって病院に行った。レントゲンを見た医者が「あぁこれは見事にお皿が真っ二つに割れているな」と言った。
「ええっじゃあ……今日の初日は?」「君何言ってんの。はい、ギプス」こうして、私の初舞台の夢は、左膝のお皿とともに無惨に砕け散ったのである。おまけに3ヶ月固定のギプスまでついて。
そんなスタートだった我が俳優業、以来足掛け55年、幸いにして未だ病欠は1度もない。
『未完成』(著:西岡徳馬/幻冬舎)
ここまで来られたことを、天に感謝している
危うかったのが、3年程前のミュージカルの公演中のこと。朝起きると右腰のあたりがメチャクチャ痛い。
3歩も歩けない……!マズい!こりゃマズい……!!これは前にやったギックリ腰とは違う痛みだ。しかし、何としても劇場に行かなければならない。
とりあえず患部に湿布薬を貼って、痛み止めを飲み、腰ベルトをギュンギュンに締め、劇場に向かった。
こりゃあ前日の休演日にゴルフの練習でボールを打ちすぎたからに違いない。自業自得だと思ったが誰にも言えない。
とりあえず共演者達には、「ギックリ腰になったのでよろしく!」と一言添えて舞台に立った。芝居中はそれほど感じなかったが楽屋に戻るとまた激痛が走った。
その日以降は相当にきつかったが、なんとか千秋楽までは持ち堪えた。いや、持たせたと言べきか。
それでも他人から見ると私は相当強靭な体力の持ち主に思えるらしい。「徳馬さんの体力には感服します!」若手から言われると「まぁな」と見栄を張る。
名演出家の蜷川幸雄さんに言われた。「おい徳馬、いい役者達いっぱいいたけど、みんな酒でだめになるなぁ、お前も気をつけろよ」と。
「無事これ名馬」は俳優にも言えるのかと思った。兎にも角にも、なんとかここまで来られたことを、天に感謝している。
「喜」という字を草書体にすると「喜欠」となり、17の上に7が付くことに由来する「喜寿」だが、77歳まで生きて来られた証(あかし)、この言葉は実に喜ばしい。
思えば、あっちに行き、こっちに転び、あれに泣いたり、笑われたり、21回もの引越しを繰り返し、紆余曲折している我が人生。その度に受けた数々の指南、ヒント、鍵、アドバイス、啓示。
これらを記すことによって、もしやどなたかの生きる力の足しになるかも知れないと、そんな思いから発して、この一風変わった78年の我が人生を振り返ってみようかと思う。
※本稿は『未完成』(幻冬舎)の一部を再編集したものです。