舞踊家・田中泯 死がそこに待っている役をやりたい

4月1日(日)16時0分 NEWSポストセブン

俳優としても活躍する舞踊家の田中泯

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 映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優としても活躍する舞踊家の田中泯が、アニメ映画で初めて声のみの出演を体験したこと、『たそがれ清兵衛』(2002年、山田洋次監督)に出演した時に考えたこと、生きることと表現することについて語った言葉をお届けする。


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 田中泯は舞踊家として身体による表現を追求してきた。が、二〇〇六年、マイケル・アリアス監督のアニメ映画『鉄コン筋クリート』では声のみの出演をしている。


「体験してみたくて引き受けました。スタジオには人がズラッといるのかと思ったら、誰もいませんでした。もう吹き込まれた音が聞こえてきて、その声と映像に向かって喋る。その複雑な立体感覚が面白かったです。


 それから、僕がやるネズミという役のある種のムードをキープするためでしょうか。マイクの前で背中を丸めてそういう体になって声を出していました。そしたら監督も『聞こえてきた、聞こえてきた!』と言ってくれて、とても楽しい経験でした。


『たそがれ清兵衛』の時も、最初に考えたのは『どんな身体でやったらいいんだろう』ということでした。僕は技術のない人間です。技術というのは、一つのことを体験する時に発見できるものですが、僕は次の仕事をする時に前の仕事で見つけた技術を寄る辺にする気はありません。それじゃなきゃ、もう五十年以上も『おどり』に関わってきた甲斐がありませんから。


 僕の場合、相手の身体と会うまでは何も決めません。どこまでも言葉を発しているのは身体です。目には見えませんが、出した声は相手の耳に入って脳に伝わり、思考が生まれる。お芝居というのはそれを具体化する仕事だと思いますし、自分ではいつもそれを心がけています」


 インタビューを通じて感じることができたのは、田中が「表現すること」を自身が「生きること」そのものと密接なものとして捉えながらこれまで過ごしてきたということだ。


「表現というのは表現だけで成立するのではなく、生きているから成立しています。だから、生きているとはどういうことなのかの裏付けが自分自身でなされていなければ、表現にはほんとは繋がらないはずです。そこら辺を無視して、まるで自分の生きている様というのは表現とは別のものだと思いこんでいる人が多いですが、全部ばれてしまうと僕は思います。


 今、僕は世間で言う年齢を重ねて、死ぬところに一歩一歩近づいています。その時、この身体が具体的にどう変化していくのかは、まだ未知の領域なわけですよね。僕らダンサーの身体は他の同世代のとは違うかもしれません。でも、特殊だろうがなんだろうが、僕はダンサーという仕事を選んで生きている。この身体と一緒に生きている。その状態を、僕はやめたくないんですよ。これが僕の一番活発でいられる状態ですから。このままプツッと人生が終わるんだったら、そう終わりたい。


 ただ、もう一方では違う意識もあります。この身体がどう変化していくのかを、死ぬ直前まで観察してみたい。それが可能な生き方をしていきたい。


 ですから、芝居でも死んでいく人をやってみたい。殺される役は多かったですが、そうじゃなくてね。あと三か月で死ぬとか、既にぼけちゃってるとか、そういう具体的にそこに死が待っている役をやりたいです」


●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋刊)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社刊)など。本連載をまとめた『役者は一日にしてならず』(小社刊)が発売中!


◆撮影/五十嵐美弥


※週刊ポスト2018年4月6日号

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