ロッチ・コカドさんが徹子の部屋に出演「銭湯に行ったまま今も戻らない父。その分、母と姉から目一杯甘やかされて…中岡くんから言われるまで自分を可哀想な境遇と思ったこともなかった」
2025年4月2日(水)10時0分 婦人公論.jp
(以下写真◎本社 奥西義和)
2025年4月2日、お笑いコンビ「ロッチ」が「徹子の部屋」に出演。今回、そのロッチのコカドさんが自らの歩みについて語った記事を再配信します。
********
お笑いコンビ「ロッチ」のツッコミ担当、コカドケンタロウさん。そのコカドさんを一人で育ててくれた母親は、小さな頃からとことん甘やかしてくれたそう。「母の育て方のおかげか、幸せのハードルがめいっぱいに低くなった」と語るコカドさんが、この度、趣味のミシンの本『コカドとミシン』を出版することに。生涯の趣味に巡り合い、友人に恵まれ、芸人として独自のポジションを築いてきたコカドさんが語る、豊かな人生の探し方とは?(構成◎岡宗真由子 撮影◎本社 奥西義和)
* * * * * * *
母と姉から甘やかされて
今回縁があって『コカドとミシン』を出版させていただくことになりましたが、ミシンが子供の頃から身近にあったか、というと、そうでもありません。
『コカドとミシン』(著:コカドケンタロウ<ロッチ>/ワニブックス)
母は学校指定の用品を作ってくれましたが、「何でも手作り」みたいな人ではありませんでした。
父は……。僕が8歳の時に「銭湯へ行く」と言って家を出たまま、まだ帰ってきていません。
僕には姉がいるのですが、母と姉は父のことを「なんでもないこと」という雰囲気を醸して、僕をめちゃくちゃ甘やかして育ててくれました。
何か流行っているものが欲しいと言えば買ってくれましたし、食べたいと言えば食べさせてくれました。姉はたくさんのアルバイトを掛け持ちして、僕にゲーム機を買ってくれたり、18歳になった時には、運転免許の費用も出してくれました。
僕もなんとなく事情は察していたので無茶苦茶なわがままは言いませんでした。反抗期もなかったように思います。そもそも何一つ反対されないので反抗のしようがなかった。
母は僕に「人様に迷惑かけんのやったら、ホームレスになったっていい」と言っていたくらいです。「お父さんも今頃ホームレスかもしれんしな」と、母はあっけらかんと言っていました。
僕は何かに抜きん出たところもなかったのですが、母も姉もいつもたくさん褒めてくれて、ああしろこうしろとも言わなかった。叱られた記憶もほとんどありません。
なんとかなるやろ
僕は勉強が嫌いでテレビでお笑いばっかり見ていたので、「じゃあ、お笑いやったら?」と母に言われてNSCに入りました。
コカドさん「相方の中岡くんから、相当貧乏で大変やったはずやで、と言われて初めて自覚しました」(以下写真◎本社 奥西義和)
お笑いの世界に入ってからも、売れない期間に焦ったりすることはありませんでした。
働き盛りの父親がいなくとも、家に大したことがおこらなかった、という経験からなのか、「なんとかなるやろ」と大抵の時は思えるんです。<幸せのハードル>もめいっぱい下がりました。(笑)
当然、自分自身を可哀想な境遇と思ったこともなかったのですが、当時のことを相方の中岡くんに話すと、「多分、相当貧乏で大変やったはずやで」と言われて。それで初めて自覚しました。
今では母に頼まれて、ミシンでつくったものをたくさん送るようになりました。「そんなにいる?」と思うくらいの注文が母からは舞い込んでくる。
「お世話になった人がいんねんけど、バッグ8個ほどお願いできる?」みたいな感じです。「8個?!そんなに欲しい人本当にいるの?」と毎回疑ってかかるのですが、それでも次々と注文してきます。
コントとミシン
ミシンは作る行為も楽しいですが、作っている最中に「喜んでくれるかなぁ」と想像するのも楽しい。そしてミシン作品は手間のかかり方があまり相手に伝わらない、というのも僕としては気が楽です。
今は友達のところの赤ちゃんと、その家で飼っているフレンチブルドッグに、お揃いの恐竜の布でスタイ(よだれかけ)と洋服を作っています。恐竜が好きと言っていたなぁと思い出して、恐竜の布を選ぶところから、もう楽しかった。(笑)
そしてだんだん形になってきた今も楽しいんです。
コントを生み出す際に、まず大筋をかためて、その後「てにをは」や入れるキーワードを練ったりして作り込んでいく時の喜びと、ミシン作品を仕上げていく時の喜びは似ています。完成に向けてブラッシュアップしていくワクワク感は同じものなのかもしれません。
お店に並んでいるものを、そっと裏返して作り方を探ったりもしますが、不思議と既製品と全く同じものを作ることはないです。
コントを作っている時でも、誰かと被っていないかというのをすごく気にしていて。少しでも似て見えたものは全部やめてきました。人真似だけはしたくない、というのが癖づいているのかも。
僕はかなりの洋服好きですが、「今年の流行色はコレ」と言われて飛びついたり、「デザイナーがイケてる」からそのブランドばかり着る、というのは避けてきました。結局、どこかの誰かの“オシャレ”に乗っかっているようで、しっくりこなかったのだと思います。
対して古着は機能性だったり、労働者のニーズに合わせて作られているので、その中から自分に似合うものや好きなものを組み合わせることができます。そんなところも僕の性に合っていたからこそ、一度は古着屋さんに勤めたくらいに好きでした。
なんでも自分オリジナルで選びたい、という気持ちが強いのかもしれません。なので、間違いなく世界で一点しかないモノが手に入るミシンは、やはり僕にうってつけの趣味だったのでしょう。
コントを作れるなんて何者なのかと
40歳から趣味探しを続けてきましたが、とにかく「仕事につながるという下心では選びたくない」と考えてきました。まったく下心が存在しないものが、「趣味」にする条件の一つだったのだけど……結局、ミシンは本に。(笑)
でもそれが僕の理想とする形なのかもしれません。本当に好きなものを好きでいて、その結果、それが仕事になるというのなら悪くない。
見ている方は、芸人でもタレントさんでも「こいつ仕事ほしくて、この趣味やってるんやな」というスケベ心が見えてしまえば、一気に冷めるもんですよね。
ただ、僕のInstagramやYouTubeに関心を持っていただいた方には、「こいつ本当にミシンが好きなんやなぁ」というのは伝わっているのかな、と自負しています。
コカドさん「ミシン動画に『コントを作れるなんて一体何者なんですか?』というコメントが飛んで来たことも」
なんだったらミシンを踏んでる僕のことしか知らない人もフォロワーさんの中にはいます。
動画配信中、ライブ前でコント作りに追われている、という話をしながらミシンをかけていたら、「コントを作るなんて、コカドさんは一体何者なんですか?」というコメントが飛んで来たこともありました。(笑)
最高の休日の過ごし方
今、僕の最高の休日の過ごし方は、ミシンセット一式を置かせてもらっている千葉の友人宅に行き、天気が良かったらサーフィン、良くなかったらミシン、というもの。
サーフィンも趣味探しの後に残ったものの一つ。外から見たら、サーフィンとミシンは全然違うものに映るかもしれませんが、頭の中身が空っぽになって、ただそれだけを楽しむことができる、という点では僕にとって一緒です。
ミシンを押し入れの中に眠らせたまま、って方が結構いるように聞きます。
そのミシンを買ったきっかけは、お子さんのものなのか、家のものなのか、とにかく何かを「作らなければいけない」という義務だったかもしれません。
でもミシンを趣味としている自分としては、しまったままのみなさんも、そのミシンを一度引っ張り出してきて、今度は純粋に“楽しもう”という気持ちで触ってみてほしいです。
僕も多分、仕事で“いついつまでにこのバッグ作ってください”と言われてミシンを渡されていたら、こんなワクワクする気持ちになれなかったはずなので。
<前半はコチラ>
関連記事(外部サイト)
- ロッチ・コカドが<40歳からの趣味探し>でミシンにたどり着いたワケ。「お笑いを一度離れて古着屋で働いたくらいの服好き。でも楽しくて仕方なかったからこそ、むしろ…」
- 田村淳「〈延命治療はせん〉と言い続けた母ちゃん。パンツ1枚残さず、告別式の弁当まで手配して旅立った」
- 片岡鶴太郎「ヨガ離婚」と騒がれた自分が熟年離婚を決意した本当の理由。還暦を控え、死へのゴールが近づいたことで湧き上がってきた気持ちとは
- 島田珠代「夫のがんで、娘と離れて暮らした10年。携帯で、洗濯物に埋もれて放心している娘を見て泣いた日」
- 青木さやか「吐き気、倦怠感、頭痛…更年期かな?メンタルかな?病院に行ってみたらまさかのアレだった!」【2024下半期ベスト】