下重暁子さんが『徹子の部屋』に出演、現在の夫婦関係を明かす。秋吉久美子さんに語った父への思い「結核を患った父の枕元には、自分の記事の切り抜きが留めてあった」
2025年4月7日(月)11時45分 婦人公論.jp
写真◎新潮社
2025年4月7日の『徹子の部屋』に下重暁子さんが登場。現在88歳の下重さん、夫婦円満の秘訣は「家庭内別居」とのことで、現在の生活を語ります。そこで、女優の秋吉久美子さんと両親について語り合った記事を再配信します。
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親を看取る時が訪れたら…どのように受け入れ、それから先の人生を歩んでいけばいいのでしょうか。年月が過ぎても「母を葬(おく)る」ことができないのはなぜか。女優・秋吉久美子さんと作家・下重暁子さんが“家族”について語り合った『母を葬る』より、一部抜粋してご紹介します。子どもの頃、父に対してわだかまりを抱いていた下重さん。変化が訪れたのは、父が旅立ってから——
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父との関係
下重 私の父は、老人性の結核を患って長いあいだ清瀬の療養所にいました。当時、東京の清瀬には結核の療養所が集まっていたんです。
私と父の間に感情の行き来はほとんどなくて、亡くなる直前にようやく会いにいきました。母はずっと付き添って父の世話を焼いていましたが、私に気を遣っていたのでしょう。
秋吉 娘を呼ぶと、喧嘩になるから?
下重 どうでしょう。きっと仕事を理由に訪ねてこないだろう、って思ったのかな。実際にとても忙しくしていましたからね。
病室に足を踏み入れると、雑誌から切り抜いたインタビューの記事と、新聞に載った私の写真が父の枕元にピンで留めてありました。
娘の存在が父にとっての誇りに
秋吉 仕事で活躍する娘が誇りだったのでしょう。そして、無邪気に喜んでいたんじゃないでしょうか。
『母を葬る』(著:秋吉久美子、下重暁子/新潮社)
下重 その時、私はね──それがすごく恥ずかしくて、嫌でたまらなかったの。お父さん、なんでこんなことするのよ、って叫び出したいくらいだった。
ベッドの近くには父が書きつけた俳句も貼ってありましたが、私について詠んだとしか思えない句も混ざっていて、「もう、やめてよ」って、居たたまれなくなりました。
秋吉 少女時代から続くわだかまりがとけていなかったんですね。
下重 それまで、ろくにお見舞いにも行かなかったの。
秋吉 気まずかった?
下重 父は10年くらい療養所にいて、亡くなった時には私自身も40歳を過ぎていましたが、父と二人きりになった時に何を話せばいいのか、まったく想像できませんでした。父はぜんぶで三度の“迎合”をしています。
好きだった父だからこそ
秋吉 ご両親の期待に沿って画家の道を諦め、職業軍人になった。日本の敗戦とともにしゅんとして、それまでの矜持を手放した。それから──。
下重 公職追放が解けたら昔の軍人仲間とまたつきあうようになって、日本の保守化と歩調を合わせるように、過去の価値観に戻っていった。これがいちばんこたえましたね。
「お父さん、“あの戦争は間違っていた”っていってたじゃない、それなら貫いてよ」
そんな思いで胸が張り裂けそうでした。
秋吉 それで清瀬の療養所には近づかなかった。いえ、近づくことができなかったんですね。
下重 父が生きていた頃、主治医から長い長い手紙が送られてきたことがあるんです。
「テレビで話しているあなたはいつもにこやかで優しそうなのに、一度たりともお父さんのお見舞いに来ない。なんと嘆かわしいことか」
娘の私をはっきりと非難する内容でした。腹が立ったし、とても悲しくなりました。父を気の毒に思い、意を決して筆をとったのかもしれない。でも、私たちの関係性なんて何一つ知らないその人から、そんなお叱りを受けるのはやるせなかった。「そんな無神経なドクターがいるところには死んでも行くものか」ってますます頑なになったんです。
秋吉 私、これまでお話を聞いてきて、ようやくわかりました。下重さんは悲しかったんですね。お父さまとの関係は、反抗や軽蔑ではなくて、「私を落胆させないでほしい」という思いに満ちていた。
下重 やっぱりね、父のことは好きだったんだと思うの。
秋吉 惚れ抜いていた“初恋の人”なんだから、がっかりさせないでくれ──が本心だった?
下重 鋭いですね。
青春の終わり
秋吉 かのマザー・テレサは「愛の対極にあるのは、憎しみではなく無関心」といっています。確かに、好きじゃなければ気にも掛けませんよね。反対に、愛があるからこそ期待してしまう。期待が裏切られれば負の感情を抱いてしまう。
下重 むずがゆいですが、そうなんだと思いますよ。私が優しい顔をみせなかったのは、父の弱さを直視したくなかったからです。つまり、自分の内にもあるはずの「同じ弱さ」を突きつけられるようで、目を背けずにはいられなかった。
秋吉 関係性が近い相手にはどうしても期待をかけてしまいます。血のつながりがあれば、なおさら……。先ほどもおっしゃっていましたね。
下重 父が死んでずっと経ってから、パリのピカソ美術館を訪れた時など「ここに連れてきてあげたら、さぞ喜んだだろうなあ」としみじみ感じたことがあります。生前はそんなこと、思いもしなかったのにね。
秋吉 ようやく青春が終わったんですね。
下重 本当にそう思いますよ。ずいぶん長いこと引きずってしまった、青春ですね。
※本稿は、『母を葬る』(新潮社)の一部を再編集したものです。