愛原実花「父・つかこうへいは〈宝塚に入りたい〉と言ったら絶句。最期には会えなかったけれど、優しい父の教えを守り」
2025年4月7日(月)11時0分 婦人公論.jp
撮影:本社 武田裕介
水夏希さんのパートナーとして、宝塚歌劇団雪組のトップ娘役を務めた愛原実花さん。2010年に退団した後は、『「スクルージ」〜クリスマス・キャロル〜』『ラ・カージュ・オ・フォール』など数々の舞台で活躍している。私生活では2023年に結婚し、昨年、第一子を出産。今回、出産後の初舞台として、4月19日から上演されるミュージカル『アニー』のグレース役で仕事に復帰する。愛原さんの父は演劇界に大旋風を巻き起こした劇作家であり演出家の故つかこうへいさん。自らも親となった愛原さんが今回の『アニー』にかける思い、父であるつかさんから受け継いだ演劇への情熱について語っていただいた。
(構成:内山靖子 撮影:本社 武田裕介)
* * * * * * *
『アニー』の物語に導かれた子育てへの気づき
今回、グレース役として参加させていただく『アニー』は幼いときから大好きだったミュージカルです。ものごころついた頃から、ほぼ毎年のように、母に連れられて観に行っていました。劇場から帰ってくると自分もすっかりアニーになりきって、ベッドの柵に寄りかかって主題歌の『トゥモロー』を歌ったりして(笑)。ある意味、あれが自分の原点と言いますか。お芝居というものの楽しさを『アニー』を通じて知ったのだと思います。
そんな『アニー』の舞台に立てる日が来るなんて、本当に感謝しかありません。おまけに、出産後の初舞台。なにか運命的なものを感じます。
というのも、出産前の私はわりと楽天的な人間だと思っていたのですが、子育てに関しては必要以上に神経質になってしまって。1人っ子として生まれ育ち、それまでずっと独身で過ごしていた自分が38歳で子どもを産んだことも大きかったのでしょう。一瞬でも目を離したら危険を伴うような小さい命を預かっているという緊張感で、「私がこの子を守らなきゃ!」と精神的に追い詰められて。「ああしなきゃ、こうしなきゃ」と、すべて先回りして、石橋を叩きながら子育てをしていたようなところがあったのです。
それが、『アニー』の台本を読んだとき、もう少しおおらかに子育てをしてもいいのだと気づかされたのです。孤児院に預けられたアニーには血のつながった親はいませんが、それでも周囲に支えられながら、自分の力でポジティブに道を切り開いていく。そうか、子どもには本来こうしたたくましさが備わっているのだと、肩の力が抜けたと言いますか。母親となって再びアニーから勇気と元気をもらえたことで、子育てに関しても精神的にとってもラクになりました。
つかこうへいは優しい父だった
自分が親になったことで、あらためて父の言動を思い返す機会も増えました。これを言うとみなさんに驚かれるのですが(笑)、私にとって父は本当に優しい人でした。子どもの頃から、1度も怒られたことはありません。だから、父が俳優さんに向かって灰皿を投げたとか、人格を否定するような言葉で怒鳴りつけたという話を聞くと、ポカンとしちゃって。それって、本当に父のことなのかしら?と。でも、今、思うと、「娘は愛されて幸せに育つべき」という父なりの美学がきっとあったのだろうと思います。
私に対して、「ああしなさい」「こうしなさい」と強制することもいっさいありませんでした。ただ、ひとつだけ「様々な世界を見てほしいから、そのためにまずは本を読みなさい」と。家にはたくさん本があり、家にいるときも、一緒に出掛けているときも、父は常に本を読んでいましたね。おかげで私も本を読むのが大好きに。今でも、本の匂いをかいだり、ページをめくるときのパラッという音を聞くと、父がそばにいるようでなんだか安心するんです。
幼い頃から、父が演出する舞台も見に行きました。初めて見たのは『熱海殺人事件』で、私が6歳のとき。正直な話、内容はまったくわからず、大きな音や激しいセリフのやりとりが、子ども心にとにかく怖かった。いつも優しい父がこんなに怖いお芝居を作ったとは、とうてい信じられなくて。
私が宝塚を好きになったのは父の芝居の反動かもしれません。私が通っていた中高一貫の女子校の高等部に宝塚クラブがあり、『ベルサイユのばら』のタンゴの部分だけなどを文化祭で演じていたんです。進学が決まっていた中学3年生の時にそのステージを見て、たちまち虜になっちゃって。父のお芝居は人の傷口に塩を塗りこむような作風ですが、宝塚には夢がいっぱい。なんて安心して観ていられるんだろうって。(笑)
「宝塚に入りたい」と言ったとき、父は絶句していましたね。反対はしませんでしたけど、想像もしていなかったんだと思います。とはいえ、父は宝塚の舞台はリスペクトしていて、入団後も、私の演技に口出しすることはいっさいありませんでした。時折、私が出演する舞台を観に来て、「あのシャンシャンは何なの?」と尋ねることはあっても、こと演技に関しては「あちらの演出家の先生の指示に従って頑張りなさい」と。ただ、『エリザベート』という作品で、マデレーネというフランツ・ヨーゼフを誘惑する娼婦役を私が演じたとき、キスシーンのような場面があったんですよ。そのときだけは「あれはイヤだな」って(笑)。キスシーンと言っても、宝塚ですから女性同士なんですけどね。
「稽古を続けなさい」という言葉を胸に
そんな父が、2010年に肺がんで亡くなったとき、私は退団公演の真っ最中でした。稽古中に「危ないかもしれない」と、父が入院していた東京の病院から連絡をもらい、演出家の先生や関係者の皆さんにお願いして「ちょっと抜けさせてください」と、新大阪から新幹線に飛び乗りました。
そうしたら、途中で父から電話がかかってきて、「戻りなさい」「稽古を続けなさい」と。結局、名古屋で折り返して稽古場に戻ったんですよ。
幸い、そのときはなんとか命を取り留めたのですが、そんな一件があったことで、「役者は親の死に目に会えないものなのだ」と覚悟が決まったと言いますか。退団公演中に父が亡くなったという報せを受けたときも、悲しいというより、とにかく目の前の舞台をきちんと最後まで務めなきゃという気持ちのほうが強くて。その後も、退団後の引っ越しなどでバタバタと慌ただしい日が続き、あらためて父の死とじっくり向き合えたのは2015年に紀伊國屋ホールで『熱海殺人事件』に出演させていただいたときでした。
2015年に紀伊國屋ホールで上演された『熱海殺人事件』。左から風間杜夫さん、平田満さん、愛原実花さん。(写真提供:ホリプロ 撮影:渡部孝弘)
稽古の初日に、このお芝居はこれまで自分が培ってきた経験だけではとうていカバーしきれないものがある。宝塚を離れても役者として舞台に立ち続けていくためには今の自分のままじゃいけないと、気づかされたのです。そのとき共演した風間杜夫さんと平田満さんもとても優しくて、「お父さんだと思っていいから」と稽古に付き合ってくださいました。その稽古を通じて、やっと父の死を心の底から受け止めることができたように思います。
父から受け継いだ情熱
父の作品を演じていて感じたのは、「とにかく、お客様を楽しませたい」という情熱でした。生前、父と一緒に仕事をした方からは、その日のお客様の雰囲気や上演する土地柄によっても台本を変えて、大幅に変更した台本を上演直前にファックスで送ってくるのが常だったと聞きました。
本番前に突然台本が変わるなんて、俳優さんたちにとっては一大事ですよね。「覚えられないよ〜」って、父の芝居に出た方はみんな「被害者の会」のメンバーだとおっしゃっていて(笑)。でも、お芝居ってそれだけ「お客様ありき」の仕事なのだと、あらためて父から教えてもらったような気がします。
もうひとつ、私が父の娘だと感じるのは、舞台に立ったときに燃えたぎるマグマのようなものが噴き出す瞬間です。「この思いを伝えたい」と思ったときに一気にボルテージが上がり、自分の中で何かがはじけてワーッと燃え上がる。このグツグツと燃えるような情熱は父からもらったギフトだな、と。
もうすぐ40代になりますが、これからは人間力をもっと高めて、表現者としてさらにステップアップしていきたいですね。親になったことで、自分以外の人たちが抱えている痛みも実感できるようになりました。
例えば、何気なく「母乳ですか?」と尋ねたことが、母乳が出にくい体質の方を傷つけてしまうのだということも身をもって知りました。1歳数ヵ月の子どもの世話をしながら舞台に立つのは確かに大変な部分もありますが、育児の経験をプラスに変えて、これから先の舞台にも前向きに挑んでいきたいと思っています。
関連記事(外部サイト)
- 世代を超えた宝塚OG鼎談 麻実れい×湖月わたる×咲妃みゆ 母と娘・息子を演じる『平家物語』「地味に頑張るのが好きな私たち」
- 平田満「つかこうへいさんと出会ってなかったら、俳優になってなかった。最初に出演した『郵便屋さんちょっと』で未来の伴侶にも同時に出会い」
- 元宝塚トップ娘役・夢咲ねね「憧れた大好きな世界『24時間じゃ足りない!』ってくらいのめり込んで。卒業から10年、何色にでも染められる女優でいたい」
- 月組の新トップコンビ、鳳月杏さん、天紫珠李さんのお披露目公演を、瀬奈じゅんさん、彩乃かなみさんと一緒に。そこで偶然会ったのは…
- 元宝塚男役・くれゆかさんが発足した「麗人プロジェクト」元タカラジェンヌと同じ舞台に立ち、自分を表現する非日常の世界