石井ふく子Pが初めて明かす「故・橋田寿賀子さんが構想したコロナ下の『渡鬼』。内容は…」

4月12日(月)19時0分 婦人公論.jp


公私にわたる盟友であった橋田壽賀子さんと石井ふく子さん(写真提供:石井さん)

『おしん』『おんな太閤記』『渡る世間は鬼ばかり』などの大ヒットドラマで知られる脚本家の橋田寿賀子さんが4月4日、95歳で亡くなりました。仕事の相棒であり、公私にわたるよき理解者であった石井ふく子さんが、ともに過ごした歳月とご最期の様子を語ります。(構成=篠藤ゆり 写真提供=石井さん)

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病状が安定し退院した翌日に


4月4日の朝、橋田さんの容体が悪いと連絡を受け、急いで東京を出ました。熱海のご自宅まで、車だと3時間くらい。11時頃に到着しましたが、間に合わず——本当に悔しくて、寂しくて、思わず「こんなに急いで、一人でどこに行っちゃったのよ。早く帰ってきてよ!」と叫んでしまいました。

その場にはお医者様やお手伝いさんのほか、いつも橋田さんと一緒にクルーズに出かけ普段の身の回りのお世話もしていた竹井さんという女性、泉ピン子さんなど10名ほどいました。いよいよ意識がなくなりかけた時、その10名で橋田さんを囲んで「千の風になって」を合唱したそうです。そうしたら一瞬パッと目を開いたので、みんなで大きな声で名前を呼び——その後、目をつぶって息がなくなったと聞きました。

具合がよくないと電話をいただいたのは、2月中旬くらいだったと思います。ふらふらして転んだ、と。ちょうど私も転んで動けなくなっていたので、「なんで同じ日に」と言い合って。食欲もないとおっしゃっていました。定期的に熱海の病院で診てもらっていたけれど、東京の病院で診てもらうというので、私も一緒に行って先生のお話を聞くことになりました。久しぶりに会ったら、かなり痩せていたのでびっくりしたんです。

病院で告げられた病名は、急性リンパ腫。強いお薬を使うと急変することもあるというので、抗がん剤ではなく、ステロイド治療を行うことに。しばらく入院し、小康状態になったので、3月中旬に熱海の病院に転院しました。幸い食欲も戻り、お手伝いさんが届けるお弁当を「おいしい」と食べていたそうなので、お元気になりつつあると思っていたのです。

とはいえ、お医者様からは、年齢も年齢だからもしものことがあるかもしれないと言われたので、毎年橋田さんの誕生日の5月10日に橋田文化財団が選ぶ「橋田賞」の発表を3月28日に早めました。「無事終わりました」とお電話でお伝えしたところ、「ありがとう、よかったわ」と。まだその時は、しっかり意識があったのです。

4月に入り、橋田さんはご自宅にどうしても帰りたい、と。病状も安定していたので退院し、自宅でお医者様がついてくださることになったそうです。それが4月3日だったと思います。一晩ご自宅で過ごされ、翌朝、突然旅立たれたのです。

コロナ下の「渡鬼」、テーマにしたものは


「渡鬼」の第1シリーズが始まったのが90年。まさかこんなに長く続くとは思いませんでした。ここ数年は年に1度くらいの放送でしたが、今年放送する分もすでに構想が進んでいました。

東京の病院に入院中、お見舞いに行った時も、2人でいろいろ話し合って。橋田さんは「こんな時代だから、暗い要素のないドラマにしたい」と。「じゃあ、冒頭はどうやする?」と聞いたら、「コロナのことから入ろうと思う」とおっしゃっていました。

ピン子さん演じる五月が、幸楽でお客さんと話しているところに、夫の勇(角野卓造さん)に電話がかかってきて、おやじバンドの練習に借りている倉庫を、「コロナだからもう貸せない」と言われるんです。それで勇が不機嫌になるところから始めよう、と。
テーマは「人はひとりではない」。長山藍子さん演じる弥生のところは、配偶者を亡くした老人が集まってお茶を飲む場になっています。「ラスト、その中の2人の結婚式だったらいいわよね」と——。

「どこで結婚式やるの?」と聞いたら、「お金をかけずに、幸楽の椅子を上げてやるのはどう?」。つまり、すでにかなり具体的に構想を練ってらしたんです。人生の最終期をどう過ごすかは、90を超えた私たち2人のテーマであると同時に、もっとも現代的なテーマです。すばらしい内容だと思いました。

長らく暮らし、愛していた熱海に碑を作りたい


ご自身はいつも、「私はひとりぼっちだし、いつ死んでもいい」と言っていました。でも私はそのたびに、「だったらなぜリハビリに行ったり、病院に行ったりするの?」と怒っていたんです。「あなた、いつもそういうことを言うからイヤよ。もう言わないで」と。だって、決しておひとりじゃないですもの。みんなまわりにいるんですから。

橋田さんは以前から常々、葬儀もお別れの会もしたくないと言っていました。それが橋田さんの遺志とみんなわかっていたので、5日にご自宅から出棺をし、TBSの社長ほかごく親しかった方たちとつらい気持ちで骨を拾いました。

お骨は愛媛・今治にあるご両親のお墓に入るそうなので、私は分骨をお願いしています。橋田さんが長らく暮らし、愛していた熱海に碑を作りたいからです。橋田文化財団は継続してねと言われていたので、いろいろな方とご相談して運営していくつもりです。

最期は苦しむことなく、海も富士山も見える大好きなご自宅で過ごせて、本望だったんじゃないでしょうか。そして、橋田さんがたくさんの人に温かく見守られて逝けてよかったと思います。きっと喜んでおられることでしょう。

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4月27日発売の『婦人公論』5月11日号では、上記記事に加えて、二人の出会い、橋田さんの結婚秘話、『渡る世間は鬼ばかり』の思い出なども語ったロングインタビューを掲載します。『婦人公論』を彩った橋田さんの名言も併載します。

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