タブレット純「27歳でバイト先の古本屋が閉店。老人の相手だったら、自分にもできるかもと《ヘルパー2級教室》へ」

2025年4月15日(火)12時30分 婦人公論.jp


歌手、歌謡漫談家、歌謡曲研究家の「タブレット純」さん

あなたは「タブレット純」を知っていますか?《ムード歌謡漫談》という新ジャンルを確立しリサイタルのチケットは秒殺。テレビ・ラジオ出演、新聞連載などレギュラー多数、浅草・東洋館や「笑点」にも出演する歌手であり歌謡漫談家、歌謡曲研究家でもあります。圧倒的な存在感で、いま最も気になる【タブレット純】さん初の自伝本『ムクの祈り タブレット純自伝』より一部を抜粋して紹介します。

* * * * * * *

バイト先の古本屋が潰れ


ほんの腰掛け、のつもりが、気がつくと首までどっぷりと浸かってしまっていた古本屋のバイト。

といって、クビになったわけではないけれど、どだいのっぺらぼうな、妖怪のような歳月、そして幕切れだった。

で、これから何をする? 

ぼくはもう、26歳になっていた。もうすぐ27になる。27といえば、名うてのロックスター達が不慮の死を遂げ、「呪いの27」のようにロック史に刻まれた齢であったかと。

ぼくの場合のそれは「鈍(のろ)いの27」に違いない。ここまで、やるべきことを何もクリアせずに、ただのろのろと人里離れた畦道を徘徊し、切り株でふぅと休んでは、夕陽の漬け物になっただけ。

引き摺る影だけが重くなっていた。こんなことを若干意識していたのは、自分にも音楽への淡い夢があったから。しかしそれは遠い汽笛のように、儚く空に散るばかりだった。

思いつきで、介護の道へ


そうして持ち前の猫背をおんぶして歩いているうちに、思いついたのが「介護の仕事」だった。

老人の相手だったら、自分にもできるかも……。それは、古本屋のおばあちゃんと過ごした時間にも裏打ちされた発想だった。

ほとんど日常会話は成り立たない、ねじの飛んだ宇宙語を話す彼女とも、ぼくはどうにかこうにか違う惑星から打ち解け合っていたし、しょっちゅう持たされるいびつな自家製野菜たちも家のゴミ箱まではしっかり葬送していたし、交代の時のレジ点検で毎度のように打ち出される天文学的誤差にも、黙って向き合い修正していた。

そういえば……。ぼくはお店の売上げを水増ししていた。

水増し、といっても、この行為はなんていうのだろう。レジに自腹でお金を足して、実際の売り上げよりも多く報告していたのだ。つまりただの自虐的ボランティア。

少ない身銭をなげうってまでも会社に服従していたのは、1日の売上げを電話で報告する時、受話器から落胆の色をおびた社長の声に沁み入るのが苦痛だったから。

時に「1日の売上げ=890円」というような恥ずかしい額が、自分の人間としての価値をも表しているようで惨めなのもあったかと思うけれど、根本では社長へのほの暗い忠誠心に支配されていて、やはりそこにも、自分の裡(うち)に在りし日のムクの揺れ動く尻尾を見ていた。

心配する親への体裁


それともう一つ、おばあちゃんの「息子への思い」がいつしか伝播していたようにも思う。

あんなに呆けていても、なんとか1冊でも古ぼけた本を売ろうとお客をつけ回すその執念は、息子愛そのものだった。

それがわかるのは、自身の母親も、このダメ息子の安否を常に案じていたから。古本屋には、不安な将来へのリアルな合わせ鏡も憐れげにぽっかりと存在していたのだ。

とはいえ、介護職の道を思い起ったのは、もっと単純に「老人と気が合いそう」なことと、心配する親への建前上の体裁も存分にふまえていた。「手に職を持たなければ駄目だよ」は母の口癖だったから。

つまりこれもまた結局、現実のお茶濁し的発想ではあったのだけれど、まもなくしてぼくは町田にある「ヘルパー2級教室」にとぼとぼと通い始めたのだった。漠然と、社会への何らかの資格を得るために……。

初日のその道すがら、「なんの芸もない犬」であったムクが、小豆色の瞳をうるませて、ぼくの背中を寂しそうに見送っていた。


介護の仕事なら…(写真はイメージ/写真提供:Photo AC)

歪んだ分岐点


介護の資格、といっても「ヘルパー2級」と呼ばれるそれは、通い切れば取得できる免状のようなものだった。

とはいえ、ぼくは束の間「学生」となって吊革に揺られることとなった。古本屋へは、南橋本という、やはりローカル駅沿いの家賃3万円のアパートから、おんぼろ自転車でキコキコ通っていたのだけど、学生街である町田への電車通学には、何となく遅れて味わう「若者気分」が幽かに立ち揺れた。

しかし、思い返せばぼくは1度、「学生」をやっている。

高校を卒業した年の冬に、製図の専門学校に通ったことがあった。これとて何かその方面へのビジョンに胸ふくらませて、のことではなかった。微塵もふくらまなかったかもしれない。

ではなぜ通うに至ったのか?いびつにふくらんでいたのは、「恋」だった。

高校の同級生で、現役で大学の夜間部に合格し通っていたその人と「同じ時間、同じ方向の電車に乗るため」だけで、その学校を選んだのだ。

そんな動機ゆえ、学校とは名ばかりの、雑居ビルにまばらに居を散らした、無認可のもぐりのような教室に過ぎず、授業料も通常の3分の1ほどだったか。

とはいえ、そんな資金は手元にないので、罪悪感を舌先にひりひり秘めつつ、親にすべてを賄ってもらった。

※本稿は『ムクの祈り タブレット純自伝』(リトル・モア)の一部を再編集したものです。

【インタビュー記事】
タブレット純「いじめや視線恐怖…普通に生きられない葛藤を、昭和歌謡が埋めてくれた。憧れのマヒナスターズに加入して」

婦人公論.jp

「タブレット純」をもっと詳しく

「タブレット純」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ