本郷和人『べらぼう』今も語られる家基暗殺説。北条義時に足利直義、毒殺の歴史を追って辿り着いた家基<まさかの死因>
2025年4月16日(水)17時0分 婦人公論.jp
(イラスト:stock.adobe.com)
日本のメディア産業、ポップカルチャーの礎を築き、時にお上に目を付けられても面白さを追求し続けた人物“蔦重”こと蔦屋重三郎の生涯を描く大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』(NHK総合、日曜午後8時ほか)。ドラマが展開していく中、江戸時代の暮らしや社会について、あらためて関心が集まっています。一方、歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生がドラマをもとに深く解説するのが本連載。今回は「家基の死」について。この連載を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし!
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家基の死
前回のドラマでは将軍の後継ぎと目されていた家基が急死しました。
生前の家基が健康だったことから、松平武元と田沼意次に死の真相を探らせた将軍・家治。
結果として二人とも鷹狩の手袋に毒が仕込まれたところまで到達。ここからライバルの二人が手をとり合う展開が予想された矢先、こんどは武元が殺されてしまい…。
ドラマそのものは立て続けに登場人物が消されるなど、予断を許さない展開になってまいりましたが、今回はその家基の死について考えてみたいと思います。
毒殺説について
死んだ当時、家基の年齢は18歳で、実際に毎月鷹狩りに出かけるような健康な青年だったようです。
本郷先生のロングセラー!『「失敗」の日本史』(中公新書ラクレ)
そんな彼が急に亡くなる? それはおかしいだろう…ということで実際に毒殺説が語られています。
でもドラマや映画ならともかく、毒殺なんて現実であり得るのでしょうか?
毒といえば、中世ヨーロッパのボルジア家が用いていた「カンタレッラ」が有名ですよね。
ボルジア家は多くの政敵をこの毒物で亡き者にしてきたのですが、1503年夏にボルジア家出身の教皇アレクサンデル6世が没し、その息子チェーザレが重病でしばらく動けなかった原因も、彼らが誤ってカンタレッラを自分たちで服用したためだとする研究者がいます。
教皇父子は数日前の宴会で、参加者に対して毒入りワインを飲ませるつもりが、ボーイがうっかりさんで、彼ら自身もそのワインを飲んでしまったというのです。
毒殺説のある人物といえば
日本の中世だとどうでしょうか? 毒殺疑惑がある有名人というと、北条義時と足利直義ですね。
承久の乱ののちに指名手配犯となった二位の法印尊長は、逃亡の後に捕縛されたとき、武士たちに向かって「さっさと殺せ。北条義時殺しに使われたあの毒で、おれを殺せ!」と叫んだといいます。
「北条義時は妻に毒殺された」という話がウソか本当かは別として、人々の間で噂されていた、ということはあり得るわけです。
足利直義の場合は、兄の尊氏に毒殺された疑いがある、と『太平記』に書いてあります。
鴆(チン)という鳥がいて、その鳥の羽を酒に浸しておくと毒酒ができる。その毒で直義は殺された、というわけです。
鴆は実在するのか
鳥の羽根で毒が? そんな馬鹿な、と思われた方も多いと思います。
一方で、2022年に国立科学博物館は『毒』展を開催し、多くの人が訪れました。ぼくも見学に行って、同館の細矢剛さんにお話を伺うことができました。
そこで早速、鴆毒のことを聞いてみたのです。すると鳥の展示に誘って下さった細矢さん。そこには、全長30センチくらいの一羽の鳥が。
名前は「ズグロモリモズ」といい、南太平洋のニューギニアに生息しています。この鳥は羽毛や皮膚に神経毒をもっていて、触れるとしびれや痛みなどの症状がでるそう。
つまり、鴆は実在していたのです!
ただ、ズグロモリモズの羽に毒があることがわかったのは、1992年。かなり最近のことなのです。博物館の学芸員がこの鳥の標本を触ると、どうも体に不調が出ることから、毒を持つことが分かったそう。
ということは、日本の中世にこの鳥を毒殺目的で使うことは難しいのではないでしょうか。
あらためて家基が毒殺された可能性は…
日本で毒というと、あとはフグ、毒キノコ、トリカブトくらいでしょうか。
問題はどれを使うにせよ、そこから毒のみを抽出する必要がある、ということなのです。そこでぼくは細矢さんに質問しました。「毒を抽出する作業というのは、誰でもできますか? それとも専門的な知識を持っていないとダメですか?」と。
対する細矢さんのお答えは、「学生や大学院生レベルだと厳しいでしょうね。研究者レベルになって、初めてできることだと思います」。
そうか。そうだとすると、中世はもちろん、江戸時代の人にも、毒薬を作るのは簡単じゃあない、となると家基が毒殺された可能性は低い、ということですね。
だったら、死因として考えられるものはなにか?
それを考えるのであれば、オランダ商館長が書き残した記事が気になります。それによると、家基はオランダ商館が献上したペルシャ馬に乗っているうちに落馬し、うちどころが悪くて亡くなった、と書かれているのです。
ただし、記事は家基の死から20年の後に記されている。同時代資料ではないのですね。
だから信頼性は落ちるのですが、こうしたことがオランダ商館という限定された場で語り伝えられている可能性は、「アリ」だと思います。 もちろん、そうはいっても、そういう説もあり得るかな、くらいですかね。
簡単に答えは見いだせないでしょうけれど、ドラマの今後を追いながら、あわてずに考察を進めていきましょう。
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