越乃リュウ 宝塚の演出家・谷正純先生の早すぎる旅立ち。一番覚えているのは「とにかくお前は動くな!」と言われ続けた『ジャワの踊り子』。厳しくも愛のある先生でした

2025年4月16日(水)15時15分 婦人公論.jp


写真提供:越乃さん 以下すべて

100年を超える歴史を持ちながら常に進化し続ける「タカラヅカ」。そのなかで各組の生徒たちをまとめ、引っ張っていく存在が「組長」。史上最年少で月組の組長を務めた越乃リュウさんが、宝塚時代の思い出や学び、日常を綴ります。第96回は「谷正純先生」のお話です。
(写真提供:越乃さん 以下すべて)

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前回「越乃流贈り物の極意、たくさんのプレゼントを頂いて学んだこと。熊本で「松風」を発見、大空ゆうひさんを思い出して」はこちら

谷正純先生の早すぎる旅立ち


暖かい春の日に、突然その知らせは届きました。
宝塚歌劇団の演出家、谷正純先生が旅立たれたという同期からの連絡に、言葉を失いました。

長きにわたり、数々の名作を手掛けられた谷先生。
たくさんの作品にご一緒させていただきました。
厳しくも愛のある先生でした。

「舞台は1人では作れない」
「自分の事だけ考えるな」
「周りをよく見ろ」
舞台に立つ基本を叩き込まれた記憶があります。

谷先生と初めてご一緒させていただいたのは『エールの残照』という作品でした。
トップスターは天海祐希さんでした。
下級生だった私はまだ役などありませんでした。
「そんな時は、人がダメ出しされているのを聞いて自分に落とし込むんだ!お前たちはやる事がいっぱいあるぞ!」
人がダメ出しされているのを聞いて自分に落とし込む。
そんなやる事がいっぱいある時期が、私は果てしなく長く続きました。

『エールの残照』
『CAN-CAN』
『EL DORADO』
『なみだ橋 えがお橋』
『ジャワの踊り子』
『JAZZYな妖精たち』
『ジプシー男爵』
と、たくさんの作品でご一緒させていただきました。

『ジャワの踊り子』での思い出


一番覚えているのは、
「とにかくお前は動くな!」
と言われ続けた『ジャワの踊り子』。
1952年初演の再演作品で、インドネシア独立のために倒れた若者たちの恋を描いた作品です。

舞台は第二次世界大戦終戦後のオランダ領インドネシア。
傀儡王朝の王宮では王を慰めるため、華やかに歌と踊りが繰り広げられていました。
花形の踊り子アリ・アディナンと、踊りのパートナーで恋人のアルヴィア。
アディナンは、独立運動のリーダー、マタハリでした。

踊り子の中に"マタハリ"がいるという疑惑により、オランダ政庁の警察総監ポールが、部下でインドネシア人の刑事ハジ・タムロンと共に王宮を訪れます。
タムロンはアディナンを疑い、物語は始まっていきます。

私の役はオランダ政庁の警察総監ポール。
怜悧な切れ者ですが、アルヴィアを気に入り、恋人アディナンの命と引き換えに結婚を迫る(しかも現地妻に)という敵役でした。

「一歩たりとも動くな。顔も動かすな!」
と、稽古中は動くことが許されず、少しでも動こうとすれば、
「動くな!」
と鋭い声が飛んできます。 
最初はその意味がわからず、どうしたらいいのか、もがく日々でした。

ひたすらに動かずに芝居をしていくと、ある日よぎる感覚がありました。
自分の感覚で演じるのではなく、動いてごまかすのでもなく、その役を理解して自分の中で感情を回す感覚。
動かずに見せる演技。
動かない芝居の意図がわかり出し、このとき芝居の引き出しを増やしていただいたように思います。
これがこの後続くことになる悪役の原点でした。

谷先生の手掛ける作品


次の年、また谷先生の作品が巡ってきました。
今度こそ動かずに出来ます!と意気込んで臨んだ作品は『JAZZYな妖精たち』。
あろうことか、まさかまさかの妖精役でした。
なかなか測りかねる衝撃に、動けと言われてもどう動いたらいいのか、全く動けない私。

「お前は妖精だぞ!」
そう言われても、妖精の引き出しが1ミリもありません。
現地妻になれと迫る方が、妖精よりも簡単に引き出せました。
どうやって妖精をやっていたのか、それ以上妖精の記憶がありません。
ある意味忘れられない作品です。


桜の花びらが風に乗って舞う名残の桜

改めて谷先生の作品を思い返すと、その守備範囲の広さに驚かされます。
日本物や古典落語を題材にしたものや、悲劇的作品を得意とされていた印象ですが、歴史物、映画、オペレッタ、ファンタジーなど、その振り幅は広く、落語のおもしろさを知ったのも谷先生の手掛ける作品からでした。
これも谷先生の作品だったんだ、と改めて知った作品も多くありました。

みんな先生のことが大好きでした


退団をしてから、バッタリ空港で先生とお会いしたことがありました。
嬉しくて思わず、
「先生!越乃です!」
と声をかけたら、
「知ってるわ(笑)」
と優しい笑顔で話してくださり、現役のときの怖さが嘘のようでした。
芝居のダメ出しのときからもわかってはいました。
先生は宝塚が大好きで、厳しくも生徒を育ててくださる先生だと。

名残の桜を見ながら、手を合わせました。
先生、越乃です。
振り返ると、叱られた思い出ばかりが思い出されますが、先生のおかげで芝居のおもしろさを知ることができました。
ありがとうございました。
時々見せてくれる先生の笑顔が大好きでした。
厳しくても、みんな先生のことが大好きでしたよ。

「知ってるわ」
そう笑っているでしょうか?
早すぎる旅立ちはさみしすぎます。

先生の残されたたくさんの作品は、これからもみんなの心の中に永遠に生き続けます。

婦人公論.jp

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