笑福亭喬龍「自分にしかできない落語をやりたい」古典芸能と演劇をミックスさせる

2025年4月16日(水)11時0分 スポーツニッポン

 【古野公喜のおもろい噺家み〜つけた!】名前は「きょうりゅう」だが強面でも、厳つい風貌でもない。極めて今風で、イケメンタイプ。入門7年目の落語家・笑福亭喬龍(31)は「自分にしかできない落語をやりたいです」と目を輝かせた。

 経歴は異色。中学時代にパソコンで見ていた“小劇場演劇”の動画にはまった。“小劇場演劇”とは1960年代のアングラ演劇に始まり、70年代には演劇にコメディ、パロディ要素が取り入れられ、80年代には技巧的で遊び心ある作劇術が特色。近未来や架空の世界を舞台にした作品が多い。90年代には日常的な世界をコンセプトにした作品が増え、喬龍は「いろんな表現があるんだなと。笑えたり、心を震わされたり。昔の作品に感銘を受けました」。藤原竜也の舞台に足を運んで「凄いな」。演劇の世界へ飛び込んだ。

 高校卒業資格を得られるエンタメの専門学校に通い、高校3年の18歳で劇団「がっかりアバター」を立ち上げた。自身は舞台上ではちょい役程度。脚本・演出を手がけた。劇団員は最大10人規模に。だが、演劇を続けるうちに、考え方が変わってきたという。

 京都で活動していた劇団主宰者員から「ボストンバッグ1つで移動できる演劇が一番優れている」と聞いた。日本固有の古典芸能、能や歌舞伎など研究し、そこで行き着いたのが落語。「座布団の上に着物を着て正座して。ただしゃべるだけでお客さんに想像させる」。19年2月、師匠・笑福亭松喬の門を叩いた。

 落語界に入り、「最初は全く違うなと感じた」という。演劇は「何かを学ぼうと思ったら、横のつながりでしかモノを知ることができなかった」。演劇界の大御所とは会う機会も、学ぶ術もなかった。だが、落語の世界では「師匠から着物のたたみ方、お茶の出し方、気配りの仕方など、人としての生き方など全部教わり、稽古をつけてもらう」。芸の世界には強い縦のつながりがあることを知り「居心地がよかった」と厳しくも楽しい修業を積んだ。

 上方落語家名鑑に載っている噺家を研究して、松喬門下に入ろうと決めた。「100人以上の噺家さんを見ました。横軸を古典的とエンターテインメント的に、縦軸を社会的と個人的にして表を作り、そのど真ん中にいると思ったのが師匠でした。古典的、エンタメ的、社会的、個人的なすべての部分に見えるのが師匠。全部の顔を持っておられる。人生かけるので、絶対に後悔せんようにと」と振り返っていた。

 噺家歴7年目で「ここまで教わってきたことを“守る”つもりでやってきた。ここに自分が好きな演劇をどうやって落語に落とし込んでいけるか。弟子として古典芸能を学んできた自分と、演劇を続けてきた自分をミックスさせていけたらええなと思います」。十八番は「腕(かいな)食い」。「登場人物の優しさに感情移入ができるから。情があって、サゲも落語っぽい」。

 一昨年、年季明けして1人会で90分しゃべる公演を開催したが「並大抵のことではない。努力せんとアカンし、お客さんに満足してもらうにはまだいろんなことを考えないとアカン」と力不足を痛感。昨年は2人会や他の落語会を中心に技を磨いてきた。

 5月5日には「ガオガオめーめー筋肉祭」(心斎橋角座)を開催。笑福亭呂翔(26)、笑福亭喬路(27)、笑福亭喬明(24)らと若手4人で落語と企画コーナー。同10日には「喬龍戯画 笑福亭喬龍落語会」(ウイングフィールド)で開催する。「100人が100人、好きになってもらえる人間ではないので。100人に見ていただいて、1人でもいいし、欲を言うなら10人ぐらいが好きになってくれればいいなと思います」。志高く、先を見据えている。 (演芸担当)

 ◇笑福亭 喬龍(しょうふくてい・きょうりゅう)本名=坂本隆太朗。1993年(平成5年)6月10日、兵庫県神戸市出身の31歳。19年2月、七代目笑福亭松喬に入門。趣味は観劇、読書、映画観賞。

スポーツニッポン

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