2歳で両親が離婚、児童養護施設へ。里親候補に金をせびる父、自分の都合で里親と引き裂く母、勝手な両親に振り回されても「幸せ」と言える理由は
2025年4月17日(木)12時30分 婦人公論.jp
(イラスト:堀川直子)
総務省の発表によると、児童養護施設や里親等の下で養育される児童は令和3年度末において約4.2万人。こども家庭庁は里親やファミリーホームといった家庭と同様の環境下での児童の養育を推進していますが、里親等委託率は約2割の状況です。置かれた境遇は厳しくとも、あることをきっかけに人生が輝きだすことも。山川宏美さん(仮名・大阪府・非常勤講師・55歳)は、2歳の頃両親が離婚。児童養護施設に預けられることになりましたが——。
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父はお金が絡むと見境がなくなって
私が2歳の時、両親が離婚。母との二人暮らしが始まるも、生活は不安定でした。母は常にイライラしていて、些細なことで怒り、私は怯えて過ごしていた記憶があります。
父とは月に1度面会していました。でも私に会うというのはただの名目で、母にお金を無心するのが本当の目的だったようです。父は金銭トラブルを抱えており、お金が絡むと見境がなくなる人だったと、母が言っていました。
断片的ではあるものの、幼い頃の記憶は私のなかに強く残っており、その後も大きな声や威圧的な態度をとられると萎縮したり、動悸がしたりするなど深い傷を残したのです。
離婚して1年も経たずに、母は私を児童養護施設に預けました。大きくて広い建物が怖く、また集団生活に馴染めない私は、不安に押しつぶされそうになりながら寂しく過ごしていたことを覚えています。
しばらくすると、父が突然私を引き取ると言い出し、施設から強引に連れ出しました。父はこの時、女性関係でトラブルを起こし、裁判沙汰になっていたようです。
そこで考えたのが、子どもの養育を理由に情状酌量をしてもらうということ。私を育てる気などはなからないため、裁判が終わると、再び私を宮崎県にある別の児童養護施設へ預けたのです。
ここでも寂しい思いをしながら過ごしていると、施設の提案で里親制度を利用することになりました。里親制度とは、親の病気、虐待、貧困などさまざまな理由で親と一緒に暮らせない子どもたちの社会的養護のために、里親登録を行った家庭で養子縁組や養育を受けるというもの。
受け入れを希望する里親の家で体験宿泊し、互いに承諾すると、里親の元での暮らしが始まるという流れです。
さっそく1軒目の里親の元で体験宿泊を行い、とんとん拍子で委託されることになりました。しかし、なぜかすぐに児童養護施設へ戻ることに。2軒目、3軒目も同じで、委託が決まっては戻されてを繰り返すことになったのです。
まだ3歳だった私は、お泊まりごっこをしているくらいにしか理解していなかったものの、冷たい雰囲気の施設よりも、人の家の温かさのほうがいいなと感じていたのに……。
施設に戻される原因は父でした。里親が決まるたびに父がその家を訪ねていき、難癖をつけて金銭を要求していたのです。里親は驚きと恐怖で委託解除していたのでした。
無条件に愛される喜びを知った
けれど私が4歳になった時、奇跡のような素晴らしい里親さんとの出会いがあったのです。これまでと同様に、宿泊体験のあと里親の家庭へと迎え入れられました。父もまた、例によって家を訪ねてきたそうです。
しかし里親さんは、これまでの父の素行を知ったうえで、「私たちまでもが施設へ戻してしまったら、宏美ちゃんの人生はどうなってしまうのか。考えると、心配で眠れない。見守りながらしっかり育てたい」と思ってくれたのでした。こうして、ようやく私は安全で安心な場所にたどり着いたのです。
里父、里母ともに50歳で、実子3人は成人し、すでに自立していました。2人が私を本当の家族として育ててくれた日々は奇跡そのものでした。私は初めて、家族で食卓を囲み、無条件に愛される喜びを知ったのです。
なかでも里親さんの家でお風呂に入る時にかわした、里母さんとのやりとりは一生忘れられません。
「これからはずっとここにいていいのよ」
「本当? お母さんって呼んでいい?」
「いいよ」
「お母さん!」
「はーい」
親子なら当たり前のこの会話こそ、私がずっと求めていたものだったのです。
田舎という土地柄、近所の人たちにさまざまな噂をたてられていたと大人になってから聞きました。実父も相変わらず忘れた頃に訪ねてきては金銭を要求していたようですが、屈せずに私をずっと守って育ててくれた里親さんには感謝しかありません。
里親さんのおかげでのびのびと子どもらしい日々を送っていましたが、私が10歳になった時、実母が「会いたい」と児童相談所をとおして連絡してきたのです。
戸惑う私の気持ちに関係なく、面会が決まり、再会する日を迎えました。実母は駆け寄ってきて「ごめんね」と泣いていましたが、私はというと、母の顔をまったく覚えていません。
その後ろで里母さんは、心配で胸騒ぎが止まらなかったといいます。その後、実母との面会頻度は増えていき、私が12歳になった時に実母と暮らすことに。私に愛情をたっぷりかけて育ててくれた里母さんは、親権を理由に引き離されてしまう結果となり、ショックで寝込むほどだったようです。
私は動揺しながらも、実母と新たに親子としてやり直そうと前向きに考えることにしました。けれど実母の性格の根本的な部分は変わっておらず、暮らし始めて半年も経たずに些細なことで逆上し、「一切あんたの食事の世話はしないから!」と言い放ち、本当にそうしたのです。
けれど、運は私を見放していませんでした。多くの場合、里親関係を解除した後に連絡を取り合うことはないのですが、里親さんは私が離れた後も気にかけてくれ、時に家に立ち寄ってくれたり、段ボール箱いっぱいに食べ物を詰めて送ってくれたり、手紙や電話をくれたりしたのです。それは、私が結婚してからも続きました。
どんなに悲しいことがあっても、大変な状況になっても、見守り思ってくれている人がいる。その事実が私の心を救い、強くしてくれました。あの時、里親さんと出会わなければ、不運な人生だと思い続けていたでしょう。
私の生い立ちから、「苦労したね」と言われることがありますが、私は今、心の底から「いいえ、幸せです」と言えます。
親と離れて暮らす子どもは約4.2万人
山川さん(仮名)は、親からのネグレクトを受けながらも、里親さんからのサポートで「幸せです」と言えるようになりました。
今、日本には親と離れて暮らす子どもたちが約4.2万人います。そんな子どもたちを自分の家庭に迎え入れ育てる「里親制度」、そして自分の子どもとして迎え入れる「特別養子縁組制度」があります。
「年齢制限はある?」「独身だとなれない?」「共働きでもなれる?」など、里親制度についての疑問に答える特設サイトが開設されています。
子どもたちの力になれたら…そんな気持ちが浮かんだら、まずは制度を知ることから始めてみましょう。
●広げよう「里親」の輪(里親制度特設サイト)
https://globe.asahi.com/globe/extra/satooyanowa/
●子どもを育てたいと願う人へ(特別養子縁組制度特設サイト)
https://telling.asahi.com/telling/extra/tokubetsuyoshiengumi/
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