フランスの女性監督が放つ不穏で官能的なSFホラー

4月19日(金)11時0分 文春オンライン

 フランスの巨匠クレール・ドゥニの新作映画『ハイ・ライフ』は、驚くほど不穏で官能的だ。サイコホラーのようなぞくぞくとする快感をもたらし、私たちを未知の領域へと連れていく。舞台は、太陽系の遥か彼方を旅する宇宙船。そこには死刑や終身刑を告げられた重犯罪者たちが乗り込み、ある恐るべき実験に参加させられている。元死刑囚たちを演じるのは、昨今、サフディ兄弟の『グッド・タイム』(2017年)など野心的な作品への出演が続いているロバート・パティンソン、リメイク版『サスペリア』(2018年)で注目のミア・ゴスら。そして監督の前作『レット・ザ・サンシャイン・イン』(2017年、日本未公開)でも主演したフランスの大女優ジュリエット・ビノシュが、危険な実験を指揮する謎の医師ディブスを演じている。ドゥニ監督にとって、これが初の英語による長編映画であり、初のSF映画でもある。


(*この記事には、映画『ハイ・ライフ』の結末に触れる内容が含まれています)



クレール・ドゥニ監督


『オデッセイ』はもはやSF映画ではなくなっている


——『ハイ・ライフ』が、これまで見たことのないまったく独創的なSF映画であることに驚かされました。ここでは派手な特殊効果は使われず、物語は宇宙船という密室でのみ進行します。これは、いわゆるハリウッド製大作SF映画への挑発なのでしょうか?


クレール・ドゥニ ハリウッド映画に反するものをつくろうだなんて発想は、私にはありません。ただ単に、長年自分が温めていた、大切なストーリーに従っていっただけです。地球を離れて長い時間が経った囚人の集団がいて、最後に男が一人残される。彼は、何も持たず、希望もなく、長いこと閉ざされた人生を送ってきた。自分を孤独だと感じていますが、一方で、宇宙船のなかに子どもが一人いることを知っています。そして彼の人生が少しずつ変わっていく。突然、赤ちゃんに対して責任があると感じるようになり、愛が自分のほうへやってくるのを感じるのです。そうした映画をつくるうえで、ハリウッドの映画のことなど何一つ考えていませんでした。そもそも自分の考え方においては、すでに存在している映画に抗って映画をつくることは不可能です。



——実は本作を見ていて、リドリー・スコット監督の『オデッセイ』(2015年)を思い浮かべたのです。ロバート・パティンソンたちが宇宙船のなかで野菜を育ててそれを食料にするシーンと、『オデッセイ』でマット・デイモンがじゃがいもを栽培するシーンを重ね合わせてしまったのですが、監督にとって、そうした既存の映画のイメージの影響はないということでしょうか?


クレール・ドゥニ もちろんその映画のことをまったく考えなかったわけではありません。けれど私たちの映画のシナリオの方が、リドリー・スコットの映画よりも先にできあがっていました。リドリー・スコットの映画の舞台は、火星のコロニーです。そこではどうやって生きるか考えなければいけませんから、野菜をつくったりするのは当然です。


 一方、私たちの脚本のほうは、古くからある考え方、私が科学書のなかで読んだ考えに基づいています。私の映画が描くのは、火星よりも遥か遠い太陽系の外。こんなに遠いところに行くと、人間は何か庭園のようなものを再現しないと狂ってしまうと科学書には書いてありました。長い宇宙での旅においては、すべてがリサイクルされてしまい新しく生えてくるものはない。そういう状態では人生を構築することが不可能になる。ですから何か地球のルーツを思わせるもの、たとえば庭園をつくりだすことが必要なのです。実際に、70年代の『サイレント・ランニング』(ダグラス・トランブル、1972年)というアメリカ映画のなかで、そうした描写が出てきます。



 今日では、『オデッセイ』はもはやSFではなくなっていると思います。火星に行く計画はすでに人類によって構想されていて、近い将来実現するはずだからです。それは6年ほどかかる旅になるようです。火星への旅はいまや単なる科学計画なんです。一方、太陽系の外に出て太陽系以外の宇宙を見ること、まったく堆肥がないところで暮らすこと、それはまだSFのプロジェクトのままであり続けています。誰もブラックホールを見たこともなければ、近づいたこともないからです。人間がもう帰ってくることがない永遠の旅に出る方法はまだ見つかっていません。


——人間が現実にはたどり着けない場所や、見ることができないものを描くことが、SF映画ではもっとも重要なのでしょうか。


クレール・ドゥニ そうですね。とはいっても、天文物理学の知識は急速に進歩しています。現在、アメリカの小さな探査船が一基、太陽系の外に出て、宇宙が何でできているのかを今調べているところです。ただし、そこに行くまでの旅には時間が長くかかり、再生可能な燃料が必要となります。私自身は科学者ではありませんが、映画をつくるために天文物理学者の授業を聞きに行きました。人間は、宇宙が何で構成されているのかの5%くらいはすでに知識を持っているそうです。ブラックホールの存在も、恒星がどんどん年をとっていることもわかっています。でも言い換えれば、まだ95%も知らないことがあるわけです。それは本当に素晴らしいことだと思います。(注:このインタビューの後、ブラックホールの撮影成功のニュースが報道された)



急逝したフィリップ・シーモア・ホフマンを主役に想定していた


——俳優たちについてお話を聞かせてください。ロバート・パティンソンは素晴らしい演技を披露していますが、もともと監督はフィリップ・シーモア・ホフマン(2014年2月に急逝した)を主人公モンテ役に想定されていたとうかがいました。


クレール・ドゥニ フィリップ・シーモア・ホフマンと実際に会うことはありませんでしたが、彼に演じてほしかったのは確かです。彼が私の脚本を読むこともなかったし、私の方から近づこうとしたこともなかった。もし現実に会って彼が出演をOKしてくれていたとしても、この映画に出ることはできなかったでしょう。撮影が始まる前に、彼は亡くなってしまったからです。


 その後もプロデューサーたちは40歳くらいの俳優を探していたのですが、ある日、キャスティングディレクターが「ロバート・パティンソンという若い俳優があなたに会いたがっているから会ってあげて」と言ってきました。最初、彼は素晴らしい俳優だけど少し若すぎると思いました。私が考えていたモンテという人物は、人生に疲れ、希望も愛も失った人だったから。けれど何度か会ううちに、彼こそこの映画に最適な俳優であると思うようになりました。もちろんそのために映画について考えていたことの多くを変える必要がありましたが、それはすべていいように変わったと思います。



——私が惹かれたのは、ロバート・パティンソン演じるモンテとミア・ゴス演じるボイジーという若い娘の関係です。とても強い絆で結ばれた凶暴な兄と妹のようで、監督が過去に手がけられた『ネネットとボニ』を思い浮かべてしまいました。


クレール・ドゥニ まったくそのとおりです。彼らはお互いに惹かれていて欲望もあるのに、顔を合わせると反発してしまうのです。フランス語ではこうしたふたりの関係を「犬と猫の関係」と言います。ボイジーはモンテに惹かれているけれど、モンテはもはや何も必要としていない人物で、愛の関係であれ、欲望の関係であれ、あらゆる関係から自分を切り離しておきたいと考えています。もう遅すぎる段階になって、彼はようやく、あの子のことが自分は好きだったのだと気づくのです。ただし、ネネットとボニは実の兄と妹ですから、その関係には禁忌(タブー)があります。『ハイ・ライフ』の場合は、こうしたタブーは別のところにおかれています。



父と娘の禁忌(タブー)の存在


——別のところに、というのはモンテとウィロー、つまり父と娘の関係ですね?


クレール・ドゥニ 父と娘のタブー、これはほとんど神話的なタブーです。ギリシャ悲劇のようなものです。この映画では、赤ちゃんは父の愛に包まれて育ち、女性として成長します。ただしこの世界には他に誰もいない、彼女以外には父親しか存在しません。彼女が「子犬を飼いたかったのに」と言ったときでさえ、父は拒絶します。あたかも自分たちふたりだけで完璧な世界がつくられている、というかのように。タブーは存在しているとも存在していないとも言えます。描写はされないけれど、その考えは示されます。ふたりのタブーが始まるようなシーンがひとつありますね。モンテがベッドで目覚めるとウィローが自分にくっついて寝ていることに気づくシーンです。「お前はもう大きくなりすぎた、自分のベッドへ帰れ」と言われてウィローはしぶしぶベッドに帰りますが、そこで彼女が初潮を迎えていることがわかります。そして彼女は「若いときはならず者だったくせに」と父に向かって言うけれど、モンテは彼女を怒ることができない。もう一緒には寝られないということを、彼女に納得させるのは難しい。だからモンテは「君は僕のクレイジーガールだ」と答えます。



——モンテとウィローが乗った宇宙船は、やがてブラックホールへと向かっていきます。最後、モンテが「Shall we?」と呼びかけると、ウィローは力強く「Yes」と答えますね。その後ふたりがどうなるのか、どこへ行くのか、映画は描いていません。ここには奇妙な緊張感が漂っています。あのラストシーンは、この後ふたりの間にあったタブーが破られること、つまり近親相姦的な関係に到ることを示唆しているのでしょうか。


クレール・ドゥニ 彼らは無限の場に到達するわけです。それが何なのか、私にもわかりません。ブラックホールがあること、そのなかにはシンギュラリティ(技術的特異点)と呼ばれる場所があることも知られています。それは時間と空間の概念が消える場所であり、そこには無限が広がっています。その無限とはふたりの愛の無限なのか。それともふたりの消滅の無限なのか。何か人間の生命よりも強いものであるのはたしかです。「Shall we?」「Yes.」と言ってふたりが乗り込んでいくのは、こうしたタブーの中に、ということかもしれません。つまり彼らは、人間がこれまでしたことのないタブーに挑むのです。


 ウィロー役を演じた女優(ジェシー・ロス)は、撮影時まだ16歳にもなっていませんでした。ですから映画のなかで父と娘の間の近親相姦のセックスシーンを描くとか、そういうタブーを実際に見せるだなんて、私には考えることさえできませんでした。この女優はまだセックスシーンを演じる年齢ではありません。それに無限というものは、単なる男女間の性関係よりもずっと複雑で素晴らしいものです。ほとんど抽象的なものです。ですからこのふたりが何をするのかわからないままに置いておくほうが重要だと思ったのです。



ジュリエット・ビノシュの不思議な魅力


——この映画におけるジュリエット・ビノシュの大胆で妖艶な演技にも驚かされました。ジュリエット・ビノシュという女優の一番の魅力とは何だと思われますか。


クレール・ドゥニ 前作『レット・ザ・サンシャイン・イン』を撮影していたある日、共演者のジェラール・ドパルデューが彼女に向かって、からかうように言っていました。「君はまた男の子みたいな格好をして」と。ジュリエットは不思議な人です。十分に年を重ねたのに、いつも子どものように遊びたがる。とても美しい人なのに、決して人を誘惑しようとはせず、ただ単に存在しようとする。でもそうした例外的なところこそ、彼女の魅力なのです。


 この映画のなかで、自分でもとても好きなシーンがあります。夜、ディブス医師が、元死刑囚たちを監視するために廊下をひとりで歩くシーンです。歩きながら彼女は独り言を言います。「あなたたち囚人のなかで一番重い罪をおかしたのは私。私が一番悪人だ」。まるでそのことが彼女にとって内的な喜びをもたらしているかのようです。彼女こそ最も悪である。だから彼女がリーダーなのです。



Claire Denis/1948年パリで生まれ、12歳までアフリカ各地で暮らす。87年、初監督作『ショコラ』がセザール賞にノミネート。『パリ、18区、夜。』(94年)はヴィム・ヴェンダースに「人生の最後に見る映画」と評される。96年、『ネネットとボニ』でロカルノ国際映画祭金豹賞受賞。




INFORMATION


『ハイ・ライフ』

4月19日(金)より、ヒューマントラストシネマ渋谷、ユナイテッド・シネマ豊洲ほか全国順次公開

http://www.transformer.co.jp/m/highlife/




(月永 理絵)

文春オンライン

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